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2015年11月1日日曜日

11000歩 能勢街道 十三界隈探索 

九月例会は 雨のため中止 10月に延期

今までのハイキング

 新しい案内板 原田井 6月25日

 街道を探る シニア自然大学校 中津界隈 5月29日



「島左近」 石田三成の家臣、関ヶ原の戦いで戦死
その子孫は木川で暮らす。
子孫に 中津川の治水に貢献した 中川道悦がいる。
上の碑は 道悦の子孫で島吉治郎が昭和9年に建立

 
      島道悦の墓               道悦の碑 山本洞雲書の碑文
 治水の恩人 島道悦(中川道悦) 木川墓地内

 学者 高橋俊乗 善久寺内

 蔀間月の墓 正通院内
提供 大塚幸之氏

木川町共同墓地にて

昼食場所を探します。

満員

通りがかりの人が教えてくれました。
「権太呂すし」 ここに決めました。
すぐに満員になる盛況でした。

「見返りトミー像」

新種


2011年9月19日月曜日

十三神津神社境内から


宝暦年間の十三宿場の図大阪市率市史編纂所

 境内には 最初の道標 小島村宮 稲荷社道標  大阪市立博物館研究起用3
 難波百景 「十三中道の景」

大正初期の神津神社 資料 高石市立図書館
 明治初年の十三の渡し大阪市立博物館
 十三「吉向窯」の図管 楯彦 画


十三「吉向窯」なかなか見所がある、神津神社
 あの貝の先生の写真もあったが 撮ってない!

2011年8月8日月曜日

十三 神津神社の道標 地名に

十三 神津神社

 神津神社の地図上では

左から C, D, B, 道標といわれているが 
神津神社にある 三基の道標を このサイトでは次のように読み替える
命名  左から
道標Cは木川村西道標、または木川村道標
道標Dは小嶋村北道標、
道標Bは小嶋村西道標、 
道標Aは十三の渡し=池田文庫の道標

******************* 考慮中・提案・コメント 2013/09/13
道標 A,B,C,D 道標名称はその碑の特徴、地域名を入れた方が分かりやすい。
小嶋村の神津神社を中心に考える方法もある。 
道標A : 十三の渡し
道標B : 小嶋西道標 ・ 神津西道標  
道標C : 小嶋東道標 ・、木川の道標 
道標D : 小嶋北道標、・ 神津北道標
 


地図で確認します。 一番上の赤丸は「新高公園の道標」別項
地図上の4つの赤印  右から
木川村西道標、 小嶋村北口道標、 小嶋村西口道標
一番左は 十三の渡し道標


2013/09/13 作成
新高公園の道標は別項で説明
距離の測定と旧在所の推測Ⅰ  
距離の測定と旧在所の推測Ⅱ
またはこちら
************************************
道標 A ここにはないが「池田文庫の道標」又は
十三の渡し道標
道標 B 右端 最近移築された道標  小嶋村西口道標
     (東面)「往来安全」
     (南面) 嘉永 四年
     (西面) 是より ■ ■ 三国の渡し 池田 (はっとり天神宮三国渡池田)
     (北面) 「堤上 西十三渡  東本庄渡 大坂」 

道標 D 左端 三国から小島村に入る三つ辻にあった。  小嶋村北口道標   
    「    右ハ 小島村宮稲荷社、
     すぐハ 十三、
        左りハ 本庄 道」
    「あんさん御守 おりこうよけ御ふた/ほうそう 御守か持 御信心ニ神主宅より披露之」
    「寛政二年」

道標 C 中央 ここに最初におかれた道標、 木川村西口道標 
     本庄から木川村の西出口で  三国と尼崎への分岐 
     「 小島村宮稲荷社是より左へ、
      すぐハみのを 多田 のせ」

2011年5月18日水曜日

またもや発見 神津神社 3基目の道標

だいぶん以前の調査です。 2011/03/30
その他の調査のためアップするのが遅くなりました。
確認できていませんので、チョッと気になっていたのです。3基目の道標が 
ここには道標2基のはずです。

十三の商店街を抜けると左に神津神社
ここには道標が2基あるとのこと。

中央のはもとからあったもの。
左側の道標 (道標D)
  「小島村宮稲荷社是より左へ、すぐハみのを多田のせ」

ところが、新しく1基 右側が増えていました。
拓本候補です。 右端の道標(道標B)
  「東 往来安全  」読み取れません。
    再度調査になります。
    だれか読んでください。高市先生に頼むことになりますか!

 新しい道標の裏面です。
 

ここで一番大きい道標です。
道標C 「右ハ小島村宮稲荷社、すぐハ十三、左りハ本庄道」(寛政2年)
      本庄の渡し 
      案内では 能勢街道の三国から来て、三叉路に立っていたそうだ。
      その三叉路の 「右ハ」と「すぐ」は同じ方向を表している。
      それとも、もっと南の十字路に立っていたのか?      4差路? 十三にそんなところがあるとは  再調査
       同様な表示 「新高公園の道標」       これは次のように理解する。
    「まっすぐ進みなさい、但し、途中で右手に小島村宮稲荷社があります。」
       と、このように 読み砕くと 同じ方向に表示であっても理解が出来る。
    新高公園の道標にも同様に当てはめると、道標には説明はいらない。
     原理に沿って判断し、「すぐ」が主 次に方向が
理解できるし、納得することができる。 

案内には ABCDとあります。  
Bは一番右端、Cは左端 Dは中央
「小島村」には 4基になります。

 道標A は今は池田市にある池田文庫の「妙見山道」です。

これは大きいですよ!  撮影2008/10/25

  大阪市内は道標の宝庫  誰が見つけるか! 
  拓本をやっていただく方を見つけなければなりません。
  「後世に伝えることです。」
新しい物は新しい物の良さがあります。
 古い物は古い物の良さがありますし、その物の自身の歴史があります。  
 しかし、破壊されたら、そのものは良さ、歴史を再生することはできません。

再度確認に行かねばなりません。  こちら 

2011年4月23日土曜日

十三の長安橋


この橋は・・・・




電話で問い合わせました。



 昔、長安寺の前を小川が流れておりその橋を渡ってお参りしたということです。

小川は商店街と平行に流れていたようです。

欄干が大きいので過ごし幅があったと思われる。







別項

大阪市図書館で「道標」を検索結果



1. 大阪の街道と道標:改訂版∥武藤 善一郎/著∥武藤善一郎∥1999.12∥680◇682◇682.163



2. [非図書] 旧京街道\>大阪~京都\<と道標∥大阪市立旭図書館∥1995.10∥682◇682◇682.163



3. [非図書] 大阪市内の旧京街道と道標∥大阪市立旭図書館∥1992.10∥291.63◇291.63◇291.63



4. 大阪の街道と道標∥武藤 善一郎/著∥サンケイ新聞生活情報センター∥1988∥680◇682◇682.163



5. 大阪市立博物館研究紀要 第5冊 〈調査報告〉大阪府下の道標 2∥大阪市立博物館/編∥大阪市立博物館∥1973∥060◇061◇060



  これらの中にあると思いますが






街道に関して  





大阪市の旧街道と坂道」増補再版 大阪市土木技術協会・大阪市都市協会 定価2060
 この本には、横関街道、本庄街道などは記載がない、道標もないのでちょっと物足りないものになっている。
豊臣時代の道路の拠点は「大阪城京橋口

江戸後期に高麗橋東詰め その後 大阪市市庁に移動

現在は「梅新」