豊中駅 176号線 から 能勢街道
栄地蔵
能勢街道を離れて 墓地へ
金禅寺 こんぜんじ
豊中稲荷神社 上新田天神社 服部神社
3.2キロ
看景寺 本町3丁目14−32 看景寺
寺の北東に金寺(こんじ)と呼ばれる巨大な寺院があったと推測されている。「金寺千軒と言われ、塔頭(たっちゅう=子院)が多く、うちの寺もその1つ」と、豊島了雄住職は語る。
境内の隅に、大きな石がある。金寺の塔の礎石だと見られている。石の上面中央部に、直径6センチほどのくぼみがある。塔の中心柱を据えた部分で、大きな塔だったことを物語る。礎石が看景寺に置かれた経緯は、はっきりしない。
金寺千件桜井谷の報恩寺は金寺の一つとも言われている。
こんじ千件・・吹田山田の円照寺伝承にもあった。 高槻市の今城塚古墳の東側の 「素盞嗚尊神社」の水盤には、2つの円が書かれた物があった。上町台地の案内で調べていたら 四天王寺の近くにもそのような寺があったといわれている。 いづれも建設は飛鳥・奈良時代である。
ところが忽然と姿を消す。 伝承だけが残る。
2.1キロ
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金禅寺 こんぜんじ
豊中稲荷神社 上新田天神社 服部神社
3.2キロ
看景寺 本町3丁目14−32 看景寺
寺の北東に金寺(こんじ)と呼ばれる巨大な寺院があったと推測されている。「金寺千軒と言われ、塔頭(たっちゅう=子院)が多く、うちの寺もその1つ」と、豊島了雄住職は語る。
境内の隅に、大きな石がある。金寺の塔の礎石だと見られている。石の上面中央部に、直径6センチほどのくぼみがある。塔の中心柱を据えた部分で、大きな塔だったことを物語る。礎石が看景寺に置かれた経緯は、はっきりしない。
金寺千件桜井谷の報恩寺は金寺の一つとも言われている。
こんじ千件・・吹田山田の円照寺伝承にもあった。 高槻市の今城塚古墳の東側の 「素盞嗚尊神社」の水盤には、2つの円が書かれた物があった。上町台地の案内で調べていたら 四天王寺の近くにもそのような寺があったといわれている。 いづれも建設は飛鳥・奈良時代である。
ところが忽然と姿を消す。 伝承だけが残る。
2.1キロ
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