ミステリーを解明する。
解明1 一考察 今夕(16日)掲載予定
道標表示「すぐ」が「すぐ」でないこともある!「近く」でもない!
2013/10/06(日) 西国街道リレーウォーク② 西宮 - 伊丹
参加者 57名 約9キロ 23741歩
神戸市東灘区~西宮市上大市
西宮市上大市 ~ 箕面市瀬川
立派な立石です。門戸岡田町の道標
正面 『☜ 日本三躰 厄神明王社』
東面 『すぐ京都伊丹池田道 尼左ハ参詣近道 ???』
裏面 『是より門前まで西へ五丁 中山荒神 三田 有馬道』
西面 『文久二壬戌冬再建』 松井源兵衛 中尾権兵衛 播磨屋喜兵衛 泉半兵衛』
もう一つ
案内では道標⑨
西国街道 下大市東町の道標
左手の道が大阪への道、 手前の道を
左に行くと厄神明王 右に取ると 今津への道
この道標の「すぐ」も元来た道を表示しています。
正面 左尼崎大阪道
左面 右厄神明王道
右面 すぐ高木今津道 ???
このようになっていました。「すぐ」この道をまっすぐに進むむと、行き先です。
「すぐは厄神明王道」のはずだが、ここでは「すぐ 高木今津道」とはなっている。
高木今津からここに来ると「すぐ」は元た道をさしています。
北面 西面 南面 東面
右 厄 神 明 王 道 |
左 尼 崎 大 阪 道 |
す ぐ 高 木 今 津 道 |
高 木 村 津 高 平 兵 衛 |
尼
崎
大
阪
道
|
||||
■ | 立ってる位置 | |||
厄神明王道 | 高木今津道 |
このように来た道を「すぐ」と表示です。ここ西宮で二基
もう一基は 摂津市の道標
この道標は 南北に走る高木今津の延長線上にある。そこで、この道標を角度を90度右に回すと
『すぐ』の反対側は 右 厄神明王となっているので 大坂方面をさしているので当てはまらない。
色々な話を総合して次のように考えます。
2.書き換えられているとしたら 「すぐ」の間違い
この街道沿いにはそのほかには一般的に行く方向で「すぐ」の表示でした。
問い合わせの電話
詳しい人はいませんでした。 私の素朴な疑問 「すぐ」が「元来た道になっている。」
溝に落ちていた物で二つに折れているのがわかる。
道標⑨ 高木村 津高平兵衛 の道標で考えると 今までの考えと違う、
考えられないことですが、「今まで問題になっていない。」とのことでした。
なぜ、そうなっているのか! その疑問に何か妙案を出してください。
一度 ご検討をお願いしたい。
もう一つ。話の中で、元の位置と違う場所にあるのでは?
道標ですから立って位置が違う場合などは、立てたときに分かるはずで、
溝から取り上げ、設置する人たちが、方向、立ってた位置を間違えることはないでしょう。
古道をやっている人がそのような立て方はしないし、
また、腑に落ちない場合、間違いなどは説明板・資料等には但し書きがつきます。
この地区にこのような表示「すぐ」が元来た道とされているものが他にあるかもしれないので
それをおしえてほしかったのですが!
以前の調査
「門戸岡町」と 「昆陽寺山門前」の道標 2009年1月13日火曜日
今回の「西国街道」 2013
もう一つの「西国街道」
天下人が駆け抜けた天王山 ① 2013年5月9日木曜日
新聞報道 吹田郷土史研究会の紹介 2013年5月18日土曜日
新聞記者から電話 「名水が生んだウイスキー」 ② 2013年5月24日金曜日
2013年6月26日水曜日 パワースポット ④
****************************** メールでの問い合わせ
早い 西宮市立郷土資料館
電話です。 長時間の電話です。
西宮市で他にそのような表示方法があるのかは分かりませんでした。
記載表示について 「すぐ」は「すぐ」での認識でしたので、この地域だけ特別なひょうじではないようです。昔からその場に立っていたということで表示については検討はされていないようでした。
ただし、道標⑥については 正四角形でなく、後で訂正されていることが他の資料に出ているということです、それであるならば、私としては
配布資料等については、表示が違うことを掲示して欲しいと要望しました。
追加 10/11
この表示が正しいのであれば、旧所在地は
1.「すぐ」を基準に考えると 西から来た人が「すぐ」京都 と考えると
日本三躰厄神明王社 その道から左の方向になる。
それで 旧在所地 日本三躰厄神明王社 は王社の北側にあったことになる。
2.問題なのは、設置したものが間違った可能性が高い
**************************** その他の情報あり
箕面市立郷土資料館 より資料を頂きました。
その上に立って、再考した結果の地図です。 10/16 夕方発表します。
より大きな地図で 門戸岡田町の道標 を表示
********************* ミステリーの解明
移動されたもので、旧在所が確定した事例は
ミステリー西宮 一考察
1.新高公園の道標は 中島大水道をわたる、東西の橋の袂にあった
2.江坂の道標 は 旧在所 福知山市上天津の道標
3.上新田墓地の道標は 上新田西口の道標
4.江坂西西道標 は 下新田の失われた「下の立石」?
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