2013年9月20日金曜日

吹田の歩き  また新しいことが 石龕・石祠 2014/01/12

再調査 2014/01/19 
気づきませんでしたが 上を見上げると

火の見やぐら跡に サイレン搭が

再調査 2014/01/13
先日 芝田町の「六観音・六地蔵」の探索はできませんでした。
知っている方何処に行ったか教えてください。

が、天津神社がわかりました。 その中からまた新しいことが
 南吉志部自治会 
    天津神社
 
『日本書紀』、『古事記』に 神功皇后に反旗をあげた忍熊王が大津で殺さたときその首を、配下の武将が岸部の天津神社に持ってきて埋めたという言い伝えがある。その武将が吉志氏の祖だと。
 難波吉師霊燈? 剥離して読み取れない。

 天津神社

 

開けさせていただきました。  中は これです。 吹田では珍しい「石がん」  
 
2基目となる こちら   1基目は市場池は こちら
再掲  一度撮ってあるはずですが 見つからず再調査


 
リンク機能が働かず、修正が出来なくなりましたので 一時中止 

一般的に石造の扉ですが、これは木の扉、開くことが出来ませんでした。
中には地蔵か、壁面に像が彫ってあるかです。


 「石がん」の説明はこちら 

市場池の祠  2009年10月29日木曜日
元興寺文化財研究所 2009年10月30日金曜日
泉大津市  多くありました。2009年11月11日水曜日
西宮市  2011年1月30日日曜日
山田市場の地蔵塚???? 吹田で唯一「石がん」、 2013年9月5日木曜日
交野市の石造文化財 Ⅱ
これ以上は調べられません。  


近くを見ると
キンカンです、 根の方を見ると  
植木鉢に植えてあります。植物の生命力って、すごいですね!

さて、以下の写真は  訂正2014/01/15
浜屋敷でのボランティアから帰る途中  
記載漏れがないように写真を記録しておきます。
亀岡街道に沿って帰ります。 向こうに見えるのが
JR吹田駅前の「メロード吹田一番館」 この写真は下の写真と全然関係ありません
撮影 2010/12/10
祠があります。
左側の祠には 地蔵が祭ってありました、 「出口地蔵」
(追加 これが 天津神社)
もう一つの記録は 「五位橋」の上流の写真

こちら

2013年9月19日木曜日

もう一つの 金寺廃寺塔刹柱礎石? 見つかる?

またまた 歩くと新しい発見が  2013/03/28
豊中を探索中  次の写真をご覧ください。 どこかで見たことありませんか!

2013/03/28 撮影  後日高市先生により確認 水盤でした。終わり

 同じようなものが 府の指定文化財に 下

2012/03/19 撮影 その時のブログ
金寺廃寺塔刹柱礎石(府指定文化財)  看景寺

2013年9月18日水曜日

「吹田の地質と三名水」 吹田市観光講座

9月21日(土) 10:00~
千里ニュータウンプラザ(南千里)
「吹田市観光講座」最終回 全6回 

 
主催 吹田歴史文化まちづくり協会

〒564-0025 大阪府吹田市南高浜町6-21 
TEL 06-4860-9731    FAX 06-4860-9725

「(仮称) 吹田の地質と三名水
     講師 安倍亮介 吹田地質学会前副会長

吹田の3名水  泉殿宮、垂水神社、佐井寺
1.佐井寺は高地にあるが、なぜ湧水がでるのか
2.垂水の滝 このあたりの地質はアサヒビール吹田工場あたりの地質が同じか
3.豊中少路にある、上町断層は直角の地層が表れている珍しい地層である。
            念仏寺断層  文化財として保存を!
4.

「倍返し」 台風18号 今日の淀川(16日)

よく雨が降りました。福知山も大変です。桂川氾濫、木津川氾濫 
東北大震災、竜巻、台風と竜巻   半沢さんの「倍返し」だ!
なかなか水が引かない。気になって淀川へ、
長柄の淀川大堰(おおぜき)は、下流から迫ます。
豊里大橋の下流 テニスコートです。
このような状態です。時間は16日午後5時前後

阪急電車 その向こうに淀川大堰・毛馬の閘門
こちらの水位はそんなに上がっていないようです。放流していないのか?

ごうごうと流れています。 
手前の水門が濡れているようで、今まで閉鎖していたのでしょうか!

パトカー ・・・・・ 
赤川鉄橋
先日の水位えらい違いです。  先日の赤川鉄橋 2013/09/09
電車と人が通れる橋が2013/10/31で人は通行止め、廃止となる。
毛馬の水位は最大6.03メートル  2013/09/16 13:00
 
 
 
国土交通省
 淀川水系 リアルタイム 映像
  大阪府河川室
桂川の氾濫は日吉ダムの放流???  治水の役目を果たさず。
大堰は上流の氾濫を防ぐことができるのか!
川は天井川になる。 淀川の堤防を挟んで見ると
 居住地が 川面に比べ格段と低い、守れれている。
川は肥沃な土を運ぶので、長い年月で天井川になる。

2013年9月16日月曜日

これ何!!!  吹田に茅葺 重要文化財!


レンガ作り 吹田市で
2019/09/10 以前は駐車場でしたが現在家が建ちは確認できません。
 





この壁の釘です。これが重要文化財!

茅葺 

吹田市「亘家」 旗本竹中領の庄屋を務めた。  この家の住宅離れは重要文化財





これは 旧西尾邸

西尾邸の北側

この塀は低いが面白い 

歴史から学ぶ 市町村合併  吹田こんなところ! 

2013年9月14日土曜日

古い写真 旧国鉄の遺構 ・・・・ 再調査 「吹田の丸また」 最古の物 追加 2015/1/12

またまた 「下久野暗渠」の写真 追加2015/1/12

むかしの写真があります。珍しい楔形(くさびがた)レンガ
吹田にはまだある レンガ塀

阪急千里線の一部は明治9年旧国鉄京都-大阪の一部のルートの払い下げ
よって、私鉄でその遺構が残っている数少ない場所です。
その他の「マンボ」・「マンポ」は、踊るマンボではありませんが、
詳しくは下記に「鉄ちゃん」グループのサイトでお確かめください。

今年は2013年  明治9年は1876年完成 その間137年現役です。もつものですね!
ビルの建て替えが頻繁に行われている日本ですが!
もっと物を・人を・歴史を大事にして欲しいですね。
レンガ造りの建造物もいいですね!  北摂で探してみましょうか! 

「井戸口橋梁」 

これは明治当初の物と考えられる よって 複線で線路は作られていたようだ。

こちらは新しいといわれている。

井戸口橋梁

神崎川

新神崎川橋梁





上流から





新しい橋

手前は水道管

円形ウエル基礎が明治の物2基、当初から複線だったのか!
先の「井戸口橋梁」の大阪側の橋梁から推測すると複線だった。

その他の物は操業開始の大正10年(1921)の煉瓦造り

年数を感じさせます。


北千里への電車   次は「吹田の丸また」 の西側

これこれ  西側の「丸また」「吹田の丸また」「鴨沢丸また」「鴨沢マンポ

少し引きました。

丸またから西の方向   白く見えるコンクリートが溝の跡
隙間から覗くと水が西方向へ流れています。

もっと引いてみました。
車の向こうに見える物置の向こうが「丸また」
線路の向こうに見える送電線の鉄柱
左側のセメント色が元の小川の跡
線路の向こうに鉄柱が見えます。    今日はこれまで
「吹田の丸また」 名称「鴨沢暗渠」でした。

現在も現役! 明治9年の国鉄の遺構4基 
阪急淡路駅高架のため消滅の予定

 
マンボ????    丸また???  解説その他のマンボ

*************************** レンガ建築物 
今日の新聞より  旧万世橋 「マーチエキュート神田万世橋」
旧万世橋駅 が面白い

千里線の下新庄駅にある「丸また」を見つけました。   名称は「下久野暗渠 」
「下久野暗渠」 終わりの方に写真があります。
もう一つの写真

旧国鉄の明治9年の遺構 4基 下新庄から 
   「四 鉄道用煉瓦構造物」に記載 ☆で表示 

① 下新庄駅ホームの下にある  「旧下久野暗渠」 
② 神崎川の手前にある「井戸口橋梁」 川・溝が有ったものでしょう。
  ☆ 吹田側は明治二五年以降の建設
  この川は、神崎川・運河の途中から出た川で下の神崎川に流れている。
③ 「新神崎川橋梁」 
④ 名前はなかった「吹田の丸また」・「鴨沢のマンボ」 = 「鴨沢暗渠」
     ☆ これは京阪間の鉄道構造物で最古のもの明治七年竣功「鴨沢暗渠」でした

以上4基  調べれば出てきます出てきます。
北大阪電気鉄道の敷設経過は『吹田市史』第三巻を参照 
  一部 千里線の誕生の歴史

資料
⑫ 北大阪電気鉄道による千里丘陵への鉄道敷設に際して東海道本線の旧線
の再利用を推し進めたのは、用地買収と設計の省力化や放置された構造物
の再利用等が会社と地域の利益に結びつくとの目論見が大きな理由とされ
る。なお東海道本線、北大阪電気鉄道の敷設経緯については『吹田市史』
第三巻に詳しく、本論では割愛した。
⑬ 本論で紹介した各構造物の基礎的データの記述は、後掲する小野田滋氏
の業績に負うところが大きい。
⑭ 煉瓦の統一規格が縦二一〇×横一〇〇×高さ六〇ミリメートルと定めら
れたのは大正一四(一九二五)年の日本標準規格である。それ以前は地域、
製造者等で規格はまちまちであったが、縦横高さの比が概ね四:二:一でで
きた基本的な形状のものを「オナマ」という。
⑮ 煉瓦の小口のみが表面に現れる段と長手(煉瓦の側面)のみが現れる段
を交互に積む煉瓦構築技法。同じ段において小口と長手が交互に表面に現
れる煉瓦構築技法もあり「フランス積み」という。
⑯ 『明細録』では竣功時の名称「上神崎川橋梁」と記載される。
⑰ 小野田滋「阪神間・京阪間鉄道における煉瓦・石積み構造物とその特徴」
『土木史研究』第二〇号
⑱ 「小口のみで構成される粗迫持の煉瓦の一部を竪方向に積んで、円周方
向のツナギをとった補強方法」(小野田 二〇〇三)