2015年10月3日土曜日

永禄 12  室町時代

弘治 3 ⇐ 永禄 12 ⇒ 元亀 3

弘治

永祿
3

1
永祿 2
永祿 3
永祿 4
永祿 5
永祿 6
永祿 7
永祿 8
永祿 9
永祿 10
永祿 11
永祿 12

元龜

1


弘治 3 ⇐ 永禄 ⇒ 元亀3

 和暦ー西暦 

元亀 4   室町時代

永禄 12 ⇐ 元亀 4 ⇒ 天正 19

永禄 12 1569

元亀 1  1570
元亀 2  1571
元亀 3  1572
元亀 4  1573

天正 1  1574

永禄 12 ⇐ 元亀 4 ⇒ 天正 19

和暦ー西暦

江戸時代の絵図から

全国規模で国ごとの地図が作成されました。
江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回、
現存している絵図で「元禄」の絵図
江戸時代最古のもの6年の歳月で完成
 村名と石高、山、川、街道等が描かれている
 重要文化財 
 http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000945

村名と石高、山、川、一里塚街道等が描かれている。 から 

 いくつかの新しい真実が上がりました。

 ①   街道でいうと吹田村には一里塚が書かれている、また
      亀岡街道と吹田街道が書かれている。 
 
 ②   吹田街道が 出口村と吹田村に分岐し 片山村を通る街道が描かれている。
                出口村に一里塚がある。

 ③   小野原街道は 山田三つ辻に道標があるが  街道は
        山田下村から小川村枝別府村を通るルートになっている。

 ④   一般的に言われている 「小曽根の渡し」の記載がなく 
        別名 「廣芝舟渡川幅貮町」としるされている。

 ⑤   「長柄の渡し」の記載はあるが 「本庄の渡し」、「横関の渡し」は記載されていない。
       「十三の渡し」、「三国の渡し」が記載されている。

 ⑥   三国からの街道・能勢街道は岡村を通るルートはない。
       小曽根から天竺川を渡り、長興寺村 新免村のルートになっている。 
    
    

まちを歩くと いろんな出会いがある。  気になっていた欄干 「増島橋」



イベント情報は 右側の ラベル「予定表」をクリック。


忘れられた橋 「増島橋」 その②

ここは、宮原、 出口から淡路の「新太郎松樋」の中島大水道へ
赤橋のJR貨物線も改修工事、南吹田駅と繋がる。

陸の孤島 「淡路」 阪急淡路駅の高架事業と併せて、
新大阪駅から内環状へ。陸の孤島は相変わらず、
いやいや、橋が出来ています。
東淀川区宮原一丁目の交通量の多い 交差点 「宮原1」
手前にあるのが 「増島橋」親柱

後ろに見えるのが JRの貨物線


以前の「増島橋」 2011年4月25日月曜日

近くに「和合橋」 2011年5月17日火曜日

忘れられた橋

2015年10月2日金曜日

「命のビザ」と「日本最古の石碑」が記憶遺産


今年も話題になりました。 「日本のシンドラー」
第二次大戦中ナチス・ドイツ迫害から多くのユダヤ人を救った 71年前の話
外交官 杉原千畝(ちうね)氏
ユダヤ人約6000人を救済

戦後「多くのユダヤ人が杉原氏を探す。」 探し当てるのに28年係った。

「あなたは私のことを忘れたかもしれませんが、私たちは片時たりともあなたの事を忘れたことはありません。28年間あなたのことを探していました。
やっと、やっと会えました”Sempo Sugihara”。」 

助けられた一人のニシエリが参事官として日本のイスラエル大使館に赴任し、八方手を盡すが、見つからない。
「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」

新聞やテレビで騒がれるようなことじゃないよ。
「私は、ただ当然の事をしただけだから。」と後に語っている。
辞職(1947年)  名誉回復(2000年) まで  54年間 長いな・・・・・

今年の新聞では、香港の日本居留地に「ユダヤ人」を抑留していた。

ユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(11)感動の再会


杉原千畝物語(1) 

.杉原千畝物語(2,杉原千畝物語(3)、杉原千畝物語(4)、

杉原千畝物語(5)杉原千畝物語(6)、

杉原千畝物語(7)、杉原千畝物語(8)、杉原千畝物語(9)、杉原千畝物語(10)、

杉原千畝物語(11)

郷土の人物 説明がない吹田の碑  人気沸騰中  2014年5月15日木曜日

シンドラーはドイツ人実業家
 ポーランドの工場にナチス人労働力の提供を要請し、労働者の名簿を提出、雇用することで強制収容所に送られる運命にあった1200人の命を救った。
 映画「シンドラーのリスト」



「日本最古の石碑」 山上碑 高崎市







2015年10月1日木曜日

「引江の渡し」があった!2    古い地図追加 2024/06/07

平塚さんから 絵図が贈られてきました。 有難うございます。
 
大坂町中並村々絵図
渡し 右から 「吹田の渡し」、「新田の渡し」:「引江の渡し」、
丸印は「榎木の渡し」、一番左が「小曽根の渡し」

摂津市史別巻表紙(1827年)淀川浚渫騒動の際の資料図

以前の紹介ページ 
「吹田にもう一つの「渡し」があった! 伏越樋の図解」 
                                2011年10月13日木曜日


      明治18年仮装図 では、吹田側「字上新田」から 
                      対岸の「淡路字引江」(引江村)へ渡しの様になっている。
さらによく見ると、神崎川両岸の堤防には道路があり、その道から河原に降りる道がある。
            起は定かでないが、江戸時代からあったものとおもわれる
            明治18年には、その形跡が伺えることが出来る。
明治44年大阪府に出された「新田渡船場」 渡船願いは、ズート後のことになる。            

この渡しは、街道としての渡しの使用でなく、近隣の交通手段としてつかわれていたもので、歴史上には登場していなかったものと思われる。 上新田村と引江村 名称は・・・・
     上新田は千里中央にもあるのですが、ここにも「上新田」
  「新田の渡し」:「引江の渡し」としました。

     以前上新田で見つけた道標にこの村から出口、全てにあるので「上新田西口道標」と命名しましたが、  分かりやすいのは「旧新田小学校の道標」であれば、分かりやすいと思い、加えました。


   引江の右側にある川・水路が「新太郎松樋」「中島大水道」の起点となります。
          左には 蒲田街道の蒲田村が見える。
         明治18年の地図と 文章を追加 2015/09/27

 古い地図追加 2024/06/07
淡路駅の左上に 「新太郎松樋」が書かれている。

がんこ 宝塚苑からの回答

早速の回答がありました。
「がんこ 宝塚苑」 店長さんからの返事

わざわざ写真を撮っていただき。  有難うございます。
写真に番号を入れておけばよかったですね。 

 家主さんに問い合わせ、「先代が収集した物で、正確なことは不明」とのこと

写真② 灯篭
本来は5重の塔で阪神大震災で被災倒壊して、今の三重塔にしたそうです。

写真 ③ こちらも不明とのことです。

蓮 臺 野  ??? もう一つの石物


*******************  がんこ亭宝塚苑での調査(?食事)

結果として 新しい情報です。
分からない不明、感想を含めて
レプリカか 

「店長さん 有難うございました。」