平塚さんから 絵図が贈られてきました。 有難うございます。
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「吹田にもう一つの「渡し」があった! 伏越樋の図解」
2011年10月13日木曜日
大坂町中並村々絵図
渡し 右から 「吹田の渡し」、「新田の渡し」:「引江の渡し」、
丸印は「榎木の渡し」、一番左が「小曽根の渡し」
摂津市史別巻表紙(1 827年)淀川浚渫騒 動の際の資料図
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「吹田にもう一つの「渡し」があった! 伏越樋の図解」
2011年10月13日木曜日
明治18年仮装図 では、吹田側「字上新田」から
対岸の「淡路字引江」(引江村)へ渡しの様になっている。
さらによく見ると、神崎川両岸の堤防には道路があり、その道から河原に降りる道がある。
起は定かでないが、江戸時代からあったものとおもわれる
明治18年には、その形跡が伺えることが出来る。
明治44年大阪府に出された「新田渡船場」 渡船願いは、ズート後のことになる。
この渡しは、街道としての渡しの使用でなく、近隣の交通手段としてつかわれていたもので、歴史上には登場していなかったものと思われる。 上新田村と引江村 名称は・・・・
上新田は千里中央にもあるのですが、ここにも「上新田」
「新田の渡し」:「引江の渡し」としました。
以前上新田で見つけた道標にこの村から出口、全てにあるので「上新田西口道標」と命名しましたが、 分かりやすいのは「旧新田小学校の道標」であれば、分かりやすいと思い、加えました。
引江の右側にある川・水路が「新太郎松樋」の「中島大水道」の起点となります。
左には 蒲田街道の蒲田村が見える。
明治18年の地図と 文章を追加 2015/09/27
古い地図追加 2024/06/07
淡路駅の左上に 「新太郎松樋」が書かれている。
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