この地区には所々こんな案内板があります。 千本地蔵
山口村の元標
道標①
右 すく三木あふこ
右 すく道場川原
正
左 すく三領きよ水
左 すく中山大坂
背 すくなた兵庫 先起人 □□
観世音菩薩 安政五年三月
ここは有野川沿いにつづ〈旧道の中央部であり、丹波街道と播磨街道を結ぶ接点でもあった。
道標②
寛政十一末七月廿一日
右 京大坂 施主
正 梅原信士 勇連中
左 道場川原
俗名 坂田宗重郎
西国三十三カ所巡礼中、不幸にもこの地で病にた
おれた巡礼者を村人はふびんに思い手厚くここに葬
り、供養塔と墓碑を兼ねて建てたと伝え、並んで二
つの西国供養塔が立っている。
道標③、④
二橋施主 大坂浮田五龍
神 右 兵ご山田 左 京大坂中山
文政五午三月
道標⑤
右ハ大坂道
○南無地蔵菩薩
左ハ三田みち
道標⑥
右 は り ま
正 (地蔵立像)(台石) みち
左 をふさうし
もと、寺の北方、八多小学杖の南の角(播磨街道
上) にあった。奥蔵寺への表参道は寺の前の道を南
へ、北芝徳蔵家の東に納屋の建っているところへ通
し、そこに山門があった。
役行者 ??????
道標⑦
右 嘉永六丑三月吉日
右 ありま
正 奉供養西国三十三所道
左 京大坂
同行
背 平兵衛 清兵衛 惣兵衛 源右衛門
治兵衛 吉蔵 嘉平治 五平衛 与吉
重三郎 栄次郎
神姫バス「深谷ロ」バス停前に立っている。
この辻は揚乃山街道と播磨街道が合して淡河宿へ
向う、このあたりでは最も多くの旅人が通ったとこ
ろである。「右 ありま」 は附物・柳谷・五社を通っ
て有馬へ、「左 京大坂」は千本地蔵・八多を通り吉
尾にて播唐街道に分かれて東へ向い、田尾寺・名塩・
生瀬をすぎて丹波街道を神崎方面へ行く
三本松跡
道標⑧
右ハ三木
正 道
左ハ村
道標⑨
右 安政四巳十二月吉日
右 おうこ三木
正 奉納西国供養
左 むらミち
施主 嘗村同行二人
左 田中伝左エ門
池ノ上清三郎
屏風村の農家の二人は、西国三十三カ所巡礼の旅
に出た。長く苦しい巡礼であった満願成就、無事
巡礼を終えて故郷に帰り、報恩供養のため村の辻に
この道しるべを建てた。
道標⑩
右 山田兵庫
右
スク有馬大坂
正 (仏像) 西国三十三所順礼供養
左 左 スク淡河三木
西野ト ミ、
背 明治廿五年九月建之 村上ヤ エ
池尻ジュウ
神姫バス停「屏風辻」と「西畑口」の中間、小畑
商店前に立っている。ここから右へくだって、南方
の黒甲越えを経て金剛童子山・下谷上を通って兵庫
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