2010年3月4日木曜日

播磨道Ⅳ  道標

この地区には所々こんな案内板があります。 千本地蔵

山口村の元標

道標①  


右  すく三木あふこ

    右 すく道場川原

    左 すく三領きよ水
 
左  すく中山大坂

背  すくなた兵庫 先起人 □□
    観世音菩薩 安政五年三月

 ここは有野川沿いにつづ〈旧道の中央部であり、丹波街道と播磨街道を結ぶ接点でもあった。



道標②


   寛政十一末七月廿一日

     右 京大坂    施主
正  梅原信士        勇連中
     左 道場川原

   俗名 坂田宗重郎
 

 西国三十三カ所巡礼中、不幸にもこの地で病にた
おれた巡礼者を村人はふびんに思い手厚くここに葬
り、供養塔と墓碑を兼ねて建てたと伝え、並んで二
つの西国供養塔が立っている。


道標③、④


      二橋施主 大坂浮田五龍
神  右 兵ご山田  左 京大坂中山
      文政五午三月


 

道標⑤


     右ハ大坂道
  ○南無地蔵菩薩
     左ハ三田みち 

道標⑥


              右 は り ま
正   (地蔵立像)(台石)        みち
              左 をふさうし


 もと、寺の北方、八多小学杖の南の角(播磨街道
上) にあった。奥蔵寺への表参道は寺の前の道を南
へ、北芝徳蔵家の東に納屋の建っているところへ通
し、そこに山門があった。


役行者  ??????


道標⑦


右   嘉永六丑三月吉日

    右 ありま
正  奉供養西国三十三所道
    左 京大坂

   同行
背  平兵衛 清兵衛 惣兵衛 源右衛門
   治兵衛 吉蔵  嘉平治 五平衛 与吉
   重三郎 栄次郎



神姫バス「深谷ロ」バス停前に立っている。
この辻は揚乃山街道と播磨街道が合して淡河宿へ
向う、このあたりでは最も多くの旅人が通ったとこ
ろである。「右 ありま」 は附物・柳谷・五社を通っ
て有馬へ、「左 京大坂」は千本地蔵・八多を通り吉
尾にて播唐街道に分かれて東へ向い、田尾寺・名塩・
生瀬をすぎて丹波街道を神崎方面へ行く

 
三本松跡



道標⑧


   右ハ三木
正            道
   左ハ村 




道標⑨


右  安政四巳十二月吉日

   右 おうこ三木
正  奉納西国供養
   左 むらミち
   施主 嘗村同行二人

左  田中伝左エ門
   池ノ上清三郎

 屏風村の農家の二人は、西国三十三カ所巡礼の旅
に出た。長く苦しい巡礼であった満願成就、無事
巡礼を終えて故郷に帰り、報恩供養のため村の辻に
この道しるべを建てた。


道標⑩



       右 山田兵庫

       スク有馬大坂

正 (仏像) 西国三十三所順礼供養

左      左 スク淡河三木

                 西野ト ミ、
背 明治廿五年九月建之 村上ヤ エ
                池尻ジュウ

神姫バス停「屏風辻」と「西畑口」の中間、小畑
商店前に立っている。ここから右へくだって、南方
の黒甲越えを経て金剛童子山・下谷上を通って兵庫

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