ありました。地図での表記は
天道から片山を通り、西の庄を抜け出口町までの吹田街道・亀岡街道の間道調べてありました。
その名は、「津門の中道」の一部です。と書かれていますが、下記の
輿地通史志 摂津之一 「津門の中道」項の 説明では
西宮ヨリ至吹田五里十三町 今津四軒茶屋 ➡ 東新田 ➡
尼崎 ➡ 長洲 ➡ 浄光寺 ➡ 尼崎 ➡ 戸内 ➡
(豊中市領)庄本 ➡ 牛立 ➡ 小曽根
小曽根の渡し(十八条)の小曽根の南部を通り、(芳野)を通り、広芝 ➡ 吹田
「垂水」は通らない!
吹田領 ➡ 広芝 ➡ 吹田
吹田至芥川四里十五町
吹田 ➡ 小路 ➡ 七尾 ➡ 市場 ➡ 宇野辺 (亀岡街道)
ここで、片山はない! 吹田からでは遠回りになるので
宇野辺まで亀岡街道を走る、宇野辺で茨木に変更
➡ 茨木 ➡ 戸伏 ➡ 富田 ➡ 西五百住 ➡ 東五百住
(富田街道)
街道は真っ直ぐで最短距離を通る そうすると、見つけた道標
その他、千里山、山田から道もありますが、これらには道標は見あたらないのが残念です。
いろんなルートを歩いていましたが、もう少し詳しく「佐井寺」への道を探索しようと正月から歩いています。
この項での地図での「津門の中道」定かでないのが問題だ!
紹介文では垂水を通ることでしたが、 ここに上げた地図、「今津っ子」さんが調べた資料もここの地図と同じように書いてありました。
吹田街道と「津戸の中道」の交わるところが出口町になっています。
出口町には一里塚が有ったそうです。ここには道しるべはありません。また
この本からもう一つわかりました。
佐井寺に向かう道がもう一つありました。 これも、片山の道標を認めるものになります。
観音様信仰の「佐井寺」へ 特に「信仰道」として、3つが挙げてあります。
大阪からは
佐井寺に向かう道がもう一つありました。 これも、片山の道標を認めるものになります。
観音様信仰の「佐井寺」へ 特に「信仰道」として、3つが挙げてあります。
大阪からは
1つは、天道から
2つめは、小路から (きつね坂)
この2つには道標があります。 新しく
3番目はJR吹田駅から片山3丁目をわたり、浄念寺の横をぬけ、北上するルートがあります。(・・・・・・)
これは「片山の道標」を裏付ける物になります。
ただし、天道からが主な信仰道であったようだ。
それに、ここでは挙げてないが、他市の道は
ただし、天道からが主な信仰道であったようだ。
それに、ここでは挙げてないが、他市の道は
4.豊中の上新田の南口道標に「右佐井寺」がありますので
合計4ルートとなります。
その他、千里山、山田から道もありますが、これらには道標は見あたらないのが残念です。
いろんなルートを歩いていましたが、もう少し詳しく「佐井寺」への道を探索しようと正月から歩いています。
この項での地図での「津門の中道」定かでないのが問題だ!
紹介文では垂水を通ることでしたが、 ここに上げた地図、「今津っ子」さんが調べた資料もここの地図と同じように書いてありました。
吹田街道と「津戸の中道」の交わるところが出口町になっています。
出口町には一里塚が有ったそうです。ここには道しるべはありません。また
「津門の中道」先の輿地通史志 摂津之一
もう一度 立ち止まることではないですか!
「郷土の歩み」14
吹田の旧街道
吹田市立第五中学校
郷土研究クラブ
送信者 本 |
1978 年 12 月 20 日発行
これも良く調べてあります。
地図で問題
その① この地図は主に佐井寺が中央で 佐井寺から豊中の上新田村への道がありません。
その② 「津門の中道」が地図だけで 説明がない。
出口を通り 片山を通るルートですが
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