2008年7月20日日曜日

対応は品格!!  早い箕面市

5/22  「道標」箕面の教育委員会にメールで問い合わせ  
すぐ 返事があり、「道標」に詳しい人を紹介されました。
早速 箕面市郷土資料館に問い合わせ、  返事を貰いました。 
全文 
道標に関するご質問について回答いたします。

1.道標展につきましては、2005年の当館の移転に伴う リニューアルオープン
記念事業として『西国街道の道標展』を開催したもので、
再度の開催についての計画はございません。
2.小野原にありました「右しんでん 左やまだ」の道標は区画整理の工事中に破損する恐れがありましたので、区画整理事務所で仮保存されていましたが、
近々元の位置の近くに戻されます。  現在小野原の墓地に移築

追記 ホームページを拝見いたしました。その中の「今宮会館の道標」について
右  大阪   道
左  野     道  とあり、

野は何を指すのでしょうか?とありましたが、この「野」は「野山」の野です。
あえて野と刻んでいるのは旅人に左に行っても何もないですよと伝えるためです。
この「野」と対照的なもので、道標に時々あるのが「左 ざい所」などのざい所で、
これは左に行くと人が住んでいますという意味を持ちます。昔は旅の途中で行
き倒れになったり、盗賊に襲われたりすることがよくありましたので、道に迷って
野山に迷い込まないようにするために道標に「野」と刻んだり、病気の時に
近くに住んでいる人に助けてもらうために「ざい所」などと刻んだりしたと考えています。

今後ともよろしくお願い申しあげます。
箕面市立郷土資料館 福田 薫 


もう少し早めに問い合わせしていたら、早く解決していたのに と思いました。
小野原での分岐   
右  しんでん
左  やまだ
途切れている道が豊中市上新田につながっていることが分かりました。
点と点  道標でつながりました。

次は 今宮です。  ここには 大阪  道 とあります。  上新田の道標で 左 勝尾寺 につながり、後、三国街道で大阪へ


これも、古い歴史が保存され、伝承されます。
ある市では、道標を新しく建てたらしいです。 ? ? ? ? ?  
道標は歴史を伝えること、伝承です。 教育委員会の品格ですね。


5/16  「やがて消えていく道だから、
その歴史をしっかりと心に刻んでおこう(文中より))
道標・石物をまとめた 1987年の道標写真を掲載 


5/14 自分のルーツ!!!    先祖は
江戸時代 豊中には16代続いた「麻田藩」(藩主青木氏)がありました。
その菩提寺は、池田市の佛日寺です。

そのホームページをご覧下さい。

麻田藩ゆかり の 
藩主邸玄関、陣屋の門、麻田藩陣屋絵図、発掘調査報告書が記載されています。






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