2015年10月25日日曜日

門真・守口の探索  茨田堤跡  文禄の堤跡  淀川の歴史


 伝茨田堤  わが国最古の堤 
                    式内社   堤根神社境内から





もう一つの堤 「文禄の堤」 57番目の宿場 「守口宿」
 






「守居橋」
  





道標 「右 なら   
           のざき  みち



2015年10月24日土曜日

吹田の古道 New  佐井寺への道と「津門の中道」2024/08 もう一つの地図


追 加 2024/08/01 

   ① 佐井寺から上新田への道

   ② 「津門の中道」




上新田から佐井寺への道表示されている 地図②です。

他の本では 表示がありません。 地図①  


地図 ② 別の地図を見つけましたので捉える。 



吹田市都市整備部都市計画課編 「吹田市都市景観形成基本

計画」 1993 より

 「吹田市の歴史文化と西尾邸」 

 旧庄屋屋敷保存活用会 1996,1997,1999


以前の地図 地図①

「わがまち岸辺」より

  この地図は 川と池が描かれており、現在と比べるのに非常に有利で、小学生にも分かり

やすいのが特徴である。 利用させてもらっています。


観音信仰 佐井寺への道は 道標のある2点 小路道標、天道道標
 道標はないが他に上の地図で記載されている道が 千里山、片山、山田からの道がある

その① 前回の時 「片山からの参拝道はない。」という意見があったが、この地図からは信仰道として千里山からの道と共に書かれている。

秀吉の「中国からの大返し」? 吹田地域では記載はないが
 その② 「津門の中道」は、吹田を通っているという文言で 「津門の中道は一旦吹田に寄る」と主張し、何でも 片山へ抜ける道を知ってもらっていない。 この地図にはその片山を抜ける道が描かれている。 明治の地図でも 片山を通る道がえがかgれている。下の地図②にも描かれている 但し、津門の中道は当てはまらない。「津門の中道」

街道の原則は 
 「まっすぐな道」
 「障害物は避ける」  ことが前提ですので、その①、②については当てはまらない。
☆糸田川が神崎川に合流する手前で 糸田川を通る道・堤防・街道がある、その道は金田を通り吹田に至る。 それ以降 亀岡街道で茨木・春日で茨木と通り、富田で泊、翌日天王山へ


さて前項で挙げた 片山への信仰道 
その① これにも、千里山からの道と片山からの道が挙げてあり、信仰道の役割をはたしていたようです。 それ以外に 上新田からの信仰道が書いてあります。
 ズート昔になりますが、発表の時に 私も挙げさせてもらいました。上新田からの信仰道

佐井寺への道Ⅴ 信仰道 上新田ルート 2009年12月14日月曜日


上新田に佐井寺への道標があるので、新しい片山への信仰道と挙げました。
 この2枚目の地図では 上新田からの道が描かれていました。

2015年10月23日金曜日

祝 16万件ビュー(訪問者)  2015年10月18日

忘れていました、  私の誕生日でもありませんが!

訪問者数 16万件 記念すべき日でした。 10月18日(日)

 前回 15万ビューは  今年の7月には 15万ビュー  

 
開設が2008年7月13日が開始になる

      準硬式野球のブログも 2008年7月にアップしている。
  
 2006年8月27日掲載の物は むかしの写真をアップしたのでしょう。 


全区間の訪問者数の推移 月合計数

「道標・石物 その歴史を後世に伝える」
 Blogger ページ ビューのグラフ

この三カ月ほど、
 5月 2947
 6月 2860
 7月 2606
 8月 2528
 9月 2575

  
毎日100ビューはクリアしていない。  精々 80ビュー




下記は 今月のページビュー です。 



Blogger ページ ビューのグラフ



 
              

近場でランチ  夕焼け

竹見台にある
 元は内科、小児科、皮膚科などの病院があった、代が変わり 職種変更
 チョット分かり辛い




中華どんぶり

スパゲティー
どちらも盛がいい!  コヒー付きで 1000円
年金生活者には 豪華なランチ

小さな庭ですが、店の前は大きな公園です 「コゲラ」が姿を見せました。








17:55
9/19

2015年10月22日木曜日

江坂ウォッチング  著者 平塚 正明



 送られてきました。







総ページ 52ページの小冊子ですが、面白いですよ!
前回よりさらにグレードアップしています。  図書館に寄贈されたらと言っていましたが

今回は 図書館に寄贈されたそうです。  一度ご覧臭さい。

2015年10月20日火曜日

踏切探索 阪急箕面線 未完成



  
  西小路第1踏切
   

 
  西小路第三踏切

  
  平野踏切

既に調査済みの方がいらっしゃいますので そちらにリンクします。

踏切(阪急電車・箕面線)


私の踏切調査 

積層

有馬高槻構造線
 慶長の大地震 1596 みのお坊島断層   上下に約1.2m 右に3メートルのずれ

               茨木市の耳原     上下に約1.7m  
この場所は縄文時代晩期にも地震があった。

 2000年周期の断層が地震を起こしている。

 その断層の上に10万年前の地層がある。 大阪層群  


大阪層群  人類の誕生 170万年前 第4紀 更新世中期~前期

    大阪層群は200万年前から10数万年前までの地層100万年間に10回以上も海面が上がったり下がったりをくりかえした。海面が高い時には粘土をため、低い時には砂やレキをためた


沖積層と完新世

 沖積層とは、最終氷期の終った時(1万5千年前)から現在までにできた地層のことです。氷期には海面が下がり河川が深く谷をけずりこみ、その後の海水面上昇の時に地層がたまるために、この1万5千年を境に、地層のようすが大きく変っています。一方、完新世(沖積世)は、1万年よりも新しい時代のことです。ですから、厳密には、沖積世にできた地層と、いわゆる沖積層とは一致していません。


冲積世、沖積世、完新世

 以前は第四紀は、冲積世と洪積世(こうせきせい)に区分されていました。冲積とは、流水のために土砂が積み重なるという意味で、洪積とは洪水によって土砂が積み重なるという意味を持つ言葉ですから、ほんらいは、時代を特徴づけるものではありません。ですから、もっと古い時代の地層でも「ここは、かつての沖積平野であった」などと言うことがあります。
 そこで、最近では、第四紀を完新世と更新世に区分して呼んでいます。
 なお「沖積」はほんらいは「冲積」と書かれていましたが、常用漢字にはかっため「沖積」と書くようになったものです。

約20000年以降 沖積層ちゅうせきそう 最終氷河期最盛期以降に堆積した地層のこと
約6000年前 縄文海進
約2300年から2200年頃 上町断層の最新活動時期
弥生時代中期 河内湾沿岸の水没と 紀元前3世紀頃まで 稲作  300年頃終焉
3から7世紀 古墳時代

鳥羽で海抜10メートル

千里山   70m
緑地駅   50m
垂水神社  30m  上で40m