右面 「右 西宮 /左 大坂」
正面・東「右 妙見 /すぐ 西宮」
左面 「天保二年」(1831)
背面 「すぐ 大坂 京 /左 いけだ」
背面 「すぐ 大坂 京 /左 いけだ」 西宮から来た人への案内なるが。
この記述では、大坂・京都が同じ方向になるのは 納得がいかない。
ここでは すぐ 京 右 大坂 とあるべきである。
明治18年の地図から考えると 腑に落ちない点がある。
西国街道は 黄色 能勢街道は 赤色 麻田道は 水色 である。
設置された場所は 交差点の西側とされている。
この道標は、石橋の東方の山形宅にあった物です。
地図から考えるには、下記の表示になると考える。
右面 「右 西宮 /左 大坂」 池田から来たとなる
では、左は背面と同じ表示 大坂 京とすべきだ
この道標は、石橋の東方の山形宅にあった物です。
地図から考えるには、下記の表示になると考える。
右面 「右 西宮 /左 大坂」 池田から来たとなる
では、左は背面と同じ表示 大坂 京とすべきだ
正面 「右 妙見 /すぐ 西宮」 大阪から来たのでなく
京人の案内となるので
では、左 大坂とすべき
京人の案内となるので
では、左 大坂とすべき
左面 「天保二年」(1831)
背面 「すぐ 大坂 京 /左 いけだ」 西宮から来た人への案内なるが。
この記述では、大坂・京都が同じ方向になるのは 納得がいかない。
ここでは すぐ 京 右 大坂 とあるべきである。
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