追加訂正 2015/11/10 疑問の道標 未だ修正できず
修正しました。11/25
長嶋住吉神社よこの堤防にある 道標
お参りされています。
この道標 高川から移築した物
写真を追加
「(役行者像)大峯山上三十三度」
「右 かつをじ 左 みのをせ川」
嘉永六年(1853年) 世話人講中
■山講先立 長嶋村■治■
旧設置場所の推定 今、問題の道標・参道案内 「天神様道」 が立っている辺りにあった物と考えられる。 明治の地図では、すぐに、堤防を降りる道があり、小曽根を通って「箕面・瀬川」に向かう。
よって、その分岐に立っていたものと思われる。
明治の地図では 高川の右岸に街道があるが、
同じような表示、「高川の道標」がある。下記に掲載
修正しました。11/25
長嶋住吉神社よこの堤防にある 道標
お参りされています。
この道標 高川から移築した物
写真を追加
送信者 2015-11-13 |
「(役行者像)大峯山上三十三度」
「右 かつをじ 左 みのをせ川」
嘉永六年(1853年) 世話人講中
■山講先立 長嶋村■治■
旧設置場所の推定 今、問題の道標・参道案内 「天神様道」 が立っている辺りにあった物と考えられる。 明治の地図では、すぐに、堤防を降りる道があり、小曽根を通って「箕面・瀬川」に向かう。
よって、その分岐に立っていたものと思われる。
明治の地図では 高川の右岸に街道があるが、
同じような表示、「高川の道標」がある。下記に掲載
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