ここは何処 校章で分かればえらい!
由来記
昔当所に水門あり、天保六年石造りに改修さる、
高さ五尺 幅九尺 長さ拾間、南二丁に「島ノ水門」あり、
外島に「高見水門」あり神崎川に排水高潮防止の重要な役を果たす。
庄内五カ村水利組合で用水反別に百三十四町四反五畝三歩であった。
内用水路には庄本村「牛屋の樋」丁田「十三の樋」島江村「北の口樋」三屋村「内法利樋」
畑崎用水池「新樋」「島田村の樋」「北南の石樋」「野田土の樋」等あり。
当水門内外には、船留りあり付近日常生活品の洗い場
農産物及び田畑肥料船が水門を出入りし農民の大切な浜として栄えた。
古老云う「昔より伊勢参宮にはこのところより乗船し神崎川に出
西島河門より淀川を経て伝法の河門にいり 尻無川、安治川、古川等を
経て出発せりという 我ら等はこの風習従わず子供のころより
春夏秋冬船遊水永魚とりその遊び尽きる今年らず
昭和四十二年九月 区画整理に依りその姿を消す
今このところに碑を建てその遺構確かにこの下に埋もれてあることを
示し後世に残す
昭和五十七年 三月」吉日
遺構の一部、遺構はこの地下に眠るか
この碑のおかげでなんとなくわかった。
写真や地図があるともっといいのだが!
この辺りの 史跡一覧表はこ ち ら
展示会を開催 昔の豊中 「福西茂さんのスケッチから」
展 示 平成26年12月5日(金)~12月11日(木)
10:00 ~ 17:00
主催 豊中市教育委員会 ・ 豊中の歴史を掘る会
協力 シニア自然大学校豊中支部
0 件のコメント:
コメントを投稿