大阪府茨木土木事務所 より丁寧な回答がありました。 有難うございました。
問い合わせの回答 「昔の千里丘陵 失った道標?」
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なだらかな低い山が連なる広大な丘陵地。嵯峨天皇(786-842)が何度も訪れたといわれる美しい地でした。池には水鳥が巣をつくり、人々はホタル狩りを楽しんでいました。水牛が通れるほどの道には石の道標が置かれ、峠では、モモなどの名産物がならんでいたといわれています。
「石のみちしるべ」 千里名産「モモ」
この道標 何処のでしょうか (馬頭観音像)「みぎ かつをじ ひだりのみち」
だれか知りませんか! どこかの資料に載っているのでしょうか!
珍しいことです。
右左の方向をひらがな表示は珍しい。 もう一つ
「ひだりのみち」=「左 野道」
近隣では勝尾寺街道沿いで「今宮会館の道しるべ」がある。 この表示も珍しい
千里ではこのようなこともあったと思う。何処にあったのでしょうか!
春日町からの道で上新田と別れ、牛ケ首池に出て現在の吹田箕面線を北上する途中山田街道を横切り豊中の中央体育館を歩く道があったと思われる。
今宮会館の道しるべに 「左 野道」
モノレールから北側の緑の線が 「旧勝尾寺街道」
大坂からの道は 江坂、春日、上新田を通ります。
千里丘陵では見かけられない「道標」 上新田では、5基の道標が現存しています。
変貌する町並み、砂漠化の公園、落ち葉を腐葉土に、生ごみを腐葉土に
人間が手を加えたニュータウン、自然回帰は人間がしなければ、自然には戻らない。
その例が 万博公園 自然への回帰を
花博は元はごみの集積所、ごみからメタンガスが出て炎が出ていたのを覚えている。
無くなる自然、無くなる昔の家並み、庶民の思い
数少ない昔の面影が残る上新田 こちら
府道 吹田箕面線 緑道 の紹介
この道標 何処のでしょう というので 問い合わせ
発行元の「茨木土木事務所」へ
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