国立公文書館所蔵資料展 を 開催
大阪大学総合学術博物館 平成25年2月22日(金)から3月9日(土)まで
国立公文書館 デジタルアーカイブ
元禄摂津国絵図(1696~1702) 重要文化財
江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回、
全国規模で国ごとの地図が作成されました。
現存している絵図で江戸時代最古のもの6年の歳月で完成
村名と石高、山、川、街道等が描かれている。
重要文化財
原図サイズ:東西306cm×南北304cm
黒点は一里塚を示す。 吹田、出口、味舌村内■ ケ畠北村(山田川)にあった。
1里を6寸で表す、
出口村と片山村との間の一里塚から原村、七尾村で亀岡街道に合流する。(津戸の中道)
:『摂津志』表紙(『摂津志』は『日本輿地通志』の「摂津国」部分の名称)
元禄摂津国絵図(1696~1702)には 下新田。上新田の村の記載がないが
天保摂津国絵図(1835~1838)には 下新田村、上新田村が書かれている。
小野原街道は山田下村から別所村をとおり小野原へ
もう一つ 両絵図とも石高を表すが 横関村の存在はない。
中津川の右岸には 薬師寺村、濱むら、川口村、川口新家村、木寺村、小嶋村が
石高として挙げられており、この時、横関村は存在しない。
榎舟渡川幅壱町三拾間、ただし、「小曽根の渡し」は 「廣芝舟渡川幅弐町」になっている。 別な絵図でもこのような書き方になっている。
拡大図
小野原街道は 両方の地図では 山田下村から別所村を経て小野原に行くルートになっていた。 山田下村、別所村、小川、中村、上村
もう一つの絵図 では
この図の方が新しいのか
明治19年の地図に近い
********************************************************* もう一つの国立公文書
山田村の資料として使いました。
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