始まりは ここから 江坂・豊津探索から
下記の道標 「何故 吹田に」
あるのか 感想文、ミステリー想像できる人いませんか!
吹田江坂の素盞嗚神社 油かけ地蔵よとの石仏群に
2011年6月19日(日)
吹田まち案内人養成講座 実習
江坂・豊津コース
から始まった 「気になる石物」
もう 三ヶ月になります。
表示
(右面) 文政十二年
(正面) (僧像) 右 みや津 七リ なりあいへ 九り
(左面) 当村願主 松原庄右衛門
結論としては
この道標は 福知山市上天津 の175号線(旧宮津街道)と府道527号線の交わる三叉路にあったものである。
では、なぜそれが 吹田にあるのか!
経過を想像してください。
昭和57年の調査の結果「福知山市史」には 掲載されていないので、
それ以前に 移動されたものであることまでは分っている、
後は 想像です 皆さんに任せます。
箇条書きでも良いし、
結論だけでも良い
一石投げかけませんか!
さて、今日の午後は「加賀真砂子文庫」ボランティアに出かけます。
下記の道標 「何故 吹田に」
あるのか 感想文、ミステリー想像できる人いませんか!
吹田江坂の素盞嗚神社 油かけ地蔵よとの石仏群に
2011年6月19日(日)
吹田まち案内人養成講座 実習
江坂・豊津コース
から始まった 「気になる石物」
もう 三ヶ月になります。
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(右面) 文政十二年
(正面) (僧像) 右 みや津 七リ なりあいへ 九り
(左面) 当村願主 松原庄右衛門
結論としては
この道標は 福知山市上天津 の175号線(旧宮津街道)と府道527号線の交わる三叉路にあったものである。
では、なぜそれが 吹田にあるのか!
経過を想像してください。
昭和57年の調査の結果「福知山市史」には 掲載されていないので、
それ以前に 移動されたものであることまでは分っている、
後は 想像です 皆さんに任せます。
箇条書きでも良いし、
結論だけでも良い
一石投げかけませんか!
さて、今日の午後は「加賀真砂子文庫」ボランティアに出かけます。
2 件のコメント:
こんばんは
道標の本来あった場所の捜索作業ご苦労様でした。現地の方ですら確認できていなかった文化財ですからtentenさんが動かなかったらどうにも解決がつかなかったでしょう。
なぜ江坂にあるのか?についてですが、平凡ですけど― 価値あると思い込んで大阪まで運んだものの引き取り先が見つからなかった ―というあたりではないでしょうか。
いつか地元に帰る日がくるのでしょう。
こんはんは
ありがとうございます、
お金になること
一般的に そこに落ち着くのでしょうね!
ですが 別のミステリー作家はいませんか!
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