2014年6月13日金曜日

 旧町名継承碑 若松町・ 鉾流橋・天神橋橋名飾板

 

    旧町名継承碑 若松町


 蘇った「若松浜」
  裁判所は 元鍋島藩跡

 船入橋:「名残のはし」
高松橋、徳島橋、熊本橋が残っていた。
 江戸時代、各藩は米や特産物を換金するため主に中之島を中心とした場所に蔵屋敷をもっていた。川沿いの蔵屋敷に直接船で多量の物産を搬入するため屋敷内には御船入という入堀を設けていた。そのため、川沿いの道路は入堀への水路をまたぐために橋が必要であり、この橋を船入橋と総称した。
 橋長は4間から8間半(約7.2メートルから15.3メートル)幅員2間(約3.6メートル)程度で積荷を高く盛った船が通航しやすいように反りの大きな橋であった。
 蔵屋敷は明治維新後全て姿を消したが、一部の船入橋は所有各藩の名をとめ、高松橋、徳島橋、熊本橋などとして残っていた。
 平成2年、この地に入堀跡が確認されて、現裁判所の地が鍋島藩蔵屋敷跡であることが裏付けられた。またこの船入橋は近松門左衛門の「心中天の網島」の中で、冥土へ旅立つ男女の姿を見送る「名残の橋」としても読み込まれている。 大阪市hpより転写


天神橋 橋名飾板

もう一つは 天満宮の「白米社」の「星合の池」のほとりにある。



2014年6月12日木曜日

西国街道は 有馬 - 高槻断層帯にある。 

千里丘陵の北側にある 西国街道 

 川は天井側になる。


 ここは 千里丘陵と地層の違いを探していました。

 西国街道は 地層的には 有馬-高槻断層帯となるようです。

 千里丘陵地帯は 大部分が 大阪層群によるものと思われる。

 千里丘陵の井戸水は 大阪平野に降った雨が 地下水となり何万かして

井戸になると考えられる。

 さて 以上の内容のことが列記されているサイトがありました。

      
     「背山」
  元のサイトは   六甲砂防  国土交通省近畿地方整備局  六甲砂防事務所
                
   みんなで語り、伝えよう!   六甲の川物語 夙川

        面白いですよ! わかりやすい解説でした。
    一度ご覧下さい。

 

源流を求めて 九名井の伏越樋 を再点検 上流と下流

写真①
走井で ここから滑走路の下を潜ります。
滑走路の東側の右から流れてきて、この地下道を潜って
顔を出すのは左です。 
写真② 
幅の広い水路ですが 水は少しだけ  この水路はこの後見えません。
滑走路の東側に出口みたいです。
写真③
大きな水路が地下に消え、どこで現れるのが 直角に曲がった 幅が狭い水路 
それもしばらくすると 
写真④
水を満たした水路が現れ 2つの水路となる。 
写真⑤
伏越樋 の入り口には 水を満たした水路だけが2つに分かれて流れ込む
写真⑥ 
下川の水路が水をたたえていて、下流へ

地図で確認してください。

現存する大型伏越樋 ・・・・


           空港の東側からは伏越樋 ここには水が来ていない。
水の多い水路が出現するのは 写真④ 
地図を見ると 滑走路の反対側 滑走路の横を流れる水路が
 「岩屋の三反長」 が取り入れ口でしょうか
その水路が 写真④ の水の量の多い水路の出現
 そう考えると理解しやすいのだが、

もう一つは 空港地下道西 の2本の水路 
下流は一本はどう流れているのでしょうか!

資料によると 桑津村(現伊丹市)領堤に取樋口を設けている。となっている。
それを見つけることでしょうか!


滑走路の西側の水路を見てみます。

寝屋川の伏越樋 九左衛門樋  現存する
経過
 きっかけ  豊中の町案内で探索  3/11  自前の案内板
 豊中の伏越樋                        2014年4月22日火曜日    

 源流を訪ねて 九名井は     2014年6月9日月曜日

 源流を求めて 九名井の伏越樋          2014年6月12日木曜日


 
 

2014年6月11日水曜日

阿弥陀さんとお地蔵さんが並ぶ珍しい石像と唐子川の源流

資料を見ていると 表題のことがあり、探索に
 白島に寺は一つと思い出かけます。
 


常照寺です。どうもここではないようです。
近所の方が 出ておられて 草むしりなどをやっておられました。
その一人に聴きますと「あみださん」と 「阿弥陀寺」がありますよ。
行ってみます。 
 
浄土宗「阿弥陀寺」


歴代の和尚さんの墓 多いですね 古いお寺になります。
 本堂では
 
一緒に子育てを 「サラナ 親子のひろば」が開かれていました。
見当たらないので引き揚げます。その横の道を探っていて
この看板を見つけました。「阿弥陀仏寺
左側の狭いところに墓が 「ひょっとして これか」
 再度 小寺の中に狭い路地を入っていくと
 歴代の墓のようです。

ありましたありました。 これは 古いぞ!  大分風化しています。
阿弥陀さんとお地蔵さんが並ぶ珍しい石像
これで今日のお勤めは終わりです。

吹田の六観音・六地蔵


続いて 池めぐり・源流めぐり  まずは大宮寺池 この上に池が
大宮寺池  地図 奥は「ルミナス箕面」

大宮神社跡(おおみやじんじゃあと)  
式内社爲那都比売神社2座のもと地、大宮神社跡とか。
真言宗大宮寺 こじんまりとしたお寺です。 でなく 薬師寺だそうです。そういえば
手前に 参道がありました。

役行者象 
これは木造です。 

普請池 地図
 
 案内板  右 白島愛宕社   左 医王岩 二十二曲り
一人のハイカーが 何年かぶりに来たといって 医王岩に行くのだと
後で行くことにしました。
記念碑が 
昭和四十二年七月九日豪雨により道心ケ谷大宮寺北
普請池取池堤防決潰シこれが復旧工事は昭和四十三年三月三十一日竣工ス
坊島如意谷水利組合
 先祖から手渡されたこの<鎮守の森>を

    市民の手で大切に見守っていきたいものです。

      (拍手・拍手 そうですね!)

       「大宮寺の森だより」
      リーフレットが出来上がりました。

「取池」  その上の堤防が 「貞池」
 医王岩 地図





またまた見つけました。 2代 福西茂氏 画像から 

6/10 GOOGLE アルバムが使えません。 
  エラー表示  「500 内部サーバー エラー」
    誰か 処理方法を知っている方はいませんか!
ブログを作るのにこまります。  仕方なく、基本に還り、容量が大きくなりますが、自分のパソコンの画像を使って掲載することにしまし、 回復したら、ウエブアルバムを使用する手間のかかりますが、その方法で掲載します。
 ところが、写真はアップロード出来ていて、そのファイルから画像を呼び込むことが出来ました。
チョット今までにない方法ですが、それも、なれれば と思い
その方法を使います。


それで
     古いファイルを見ていると   えええ となりました。 資料です。
     福西茂氏の画像から

その①
徳林院(上新田)への道標と
巡禮橋?? 池田の巡礼橋か!


その②
何処の道標でしょうか!
石棺の蓋??? 何処のでしょうか!

よく読めません。 左面
すぐ  なにわばし  てんま天神
右 ■■■■■■  よどやはし

どうも大阪市内にあった物と思われる。


この2代は サボテン公園にあった「原野農芸研究所」

現在は 奄美大島に移転 奄 美 ア イ ラ ン ド

ここから 奄美大島の調査に行くことになりました。 Yooは 何しに 奄美へ?


昔の資料を調べてみると 新しい発見が・・・・
池田の時もいろいろありました、再度、チェックします。

一歴史愛好家が描く郷土の風景


2014年6月9日月曜日

千里川 芝南橋の上流は?  芋川

千里川 藤原橋の上流 は分岐していて

芝北橋 千里川
芝南橋 ・・・・・・ 名前は???? わかりません。

これが 芋川
仕上げましたが 源流から辿っていないことに気づきました。
しばらくこのままでお送りします。
芝南橋の上流を
古墳みたいです。
 繊維団地の北側 
 
  箕面の山々が  水田が青々した風景も稲穂が垂れる秋もいいです。
 反対側から 
この先の左手に今宿の墓地
 これにも名前がない
 ここは旧西国街道ですが、ここも・・・ 
  西国街道です。 少し西に行くと祠が
  
今宮から北へ

このように 橋には名前がありません。
 サントリーのトレーニングセンター
 
箕面池田山麓線です。  この尾根には  石丸3丁目
 
すしの「長治郎」      西川さんの家が
 打越池 豊中にもあった
尾根が違うが
為那都比古神社石垣に沿って進み 尺下池に注ぐ 、
新池(回転寿司店スシローの裏手)を通り
  「西の池」からの郷之久保川と合流 勝尾寺川になり 東南に流れる。 安威川  神崎川に合流する。
  今宮からサントリートレーニングセンターの尾根が分水嶺となる。 最後は神崎川で合流し大阪湾へ
今宮の南方は 豊中の千里中央体育館 南千里の尼塚 阪急の千里駅 が 分水嶺となる。

芋川は 箕面市船場西の「藤原橋」で千里川に合流