2009年4月4日土曜日

道しるべ 道標

道標
 道標については
 地図のない時代には、旅人が安心して商売、旅行に出かけるのに不可欠のものであったでしょう。
道標は
街道・道の分岐にはあったようで。 また、その近くには目印となる大きな木、旅の安全などを祈る祠、旅の途中で死んだ人を弔うものも立っています。
 消えていく街道であるが、そんな点に気おつけて見ると、昔の街道が見えてくる。
 
 街道の往来は現代と同様、通勤、旅行(観光)、物流だけでなく、古くは巡礼者道が、役行者のように修行をし、死後のことを思い、全般に信仰心が高くその現われとし「講」を組み、定期的に大峰、柳谷、妙見山に参った。また、巡礼者同様に一般の人もそれを習ったようです、現代の88箇所めぐり、西国33箇所めぐりで 勝尾寺参り、役行者の天竜寺、妙見山参りとなった。
  

大坂府最古の道標 高槻市田能 巡礼道道標

2009年4月2日木曜日

街道・道  勝尾寺街道

街道の名称は情報が発達していない時代では

その地域からの『行き先』で呼ばれていた。

 有名な能勢街道は吉野街道、池田街道などと呼ばれていた。 

又通行するものによって呼び名がある場合もある。

 銀山街道、馬車街道なと

 豊中市を通る勝尾寺街道を取り上げる。

江戸時代の「豊島郡誌」絵図  作 今西玄章によると
 大阪市内からルートは2つ
箕面街道から分岐し熊野田から上新田ははっきりと表記されていない。
この地図を最初に見たときは 天竺川をさかのぼる道があった。
 箕面街道の分岐が服部より南であったのでこれは天竺川と勘違いしました。
① 高川から上新田のルート
能勢街道の道標から も説明できるが
② 箕面の滝から勝尾寺に抜けるルートの2つがある。
  豊島郡誌   今西玄章

天竺川を上るルートは表記されていない。 
   新免からのルート、原田神社ルートもはっきりと表記されていない。
   唯一 三国街道があるが 上新田をかするように描かれている。
そのほかの街道が描かれ 勝尾寺ー中山寺の巡礼道
 織田信長が有馬に向かうのに使った 有馬街道、
 伊勢街道、伊丹街道がかかれていた。


 また、明治19年の地図によると
 熊野田を通る2つのルートが描かれている。
 一つは兎川の手前で原田神社から熊野田南に入る南ルート。
 もう一つは 新免から熊野田北に入る北ルート
  南ルートは三国の天竺川を北上してきた道と兎川と合流する点で熊野田の南側で合流する。
 この熊野田の南北の2つのルートは熊野田東で一つになり上新田に向かう。
勝尾寺には 豊中からは
 箕面の滝を通るルートと熊野田ー新田ルートは三国ー新田ルート合流し勝尾寺に向かうことになる。
  いろんなルートがあるが信仰心の厚い当時の人達は山門からの参拝を希望するのが多かったと思われるので、上新田から勝尾寺に向かったと思われる。だから 上新田から今宮、新家で勝尾寺表参道を目指した物と思われる。  
 マップ
         明治19年陸軍地図
 A点 天竺川と兎川の合流点 堤防に道が確認できる。
 B点 赤坂の道標
 C点 京・柳谷の道標
以上の点から  大阪市内から
  豊中を通る「勝尾寺街道」は3ルートあった。

ただ 大阪府誌によると
 勝尾寺街道は 豊中村新免  → 熊野田村  →  新田村  →  萱野村  →  豊川村  →  清渓村  →  止々呂美村  →  東能勢村川尻(余野街道) と記されている。
  疑問 上新田から今宮に抜けるのが一番近いと思われるが
      ここでは道を少し戻ることになるが
      上新田から萱野に抜ける道は 新田の道標「北口」を通るルートが記されている。
            
もっと新しい資料によると 道標編 昭和50年の地図
天竺川の街道 が書かれている。
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「見本のまち」 上新田の見どころ  旧新田小学校; 食事処  2010年2月19日金曜日

上新田のとんど                      2013年1月19日土曜日
竹藪がなくなる。 上新田  変貌する町並み   2012年8月13日月曜日

追加 2012/05/06
天竺川 橋 八坂橋より上新田       2012年5月4日金曜日
ニュータウンの地蔵尊            2012年5月5日土曜日
祭り とんど祭 上新田 (無形民俗文化財)  2010年1月14日木曜日
続きルート  追加
追加  2012/03/25 
勝尾寺へあなたはどのルートを取りますか


 

能勢街道 案内板5

案内 
阪急豊中駅前  見つけました。
能勢街道
思い 

2009年3月30日月曜日

高野街道 パート2

13個の道標(高野街道13里)
 前回途中で終わりました。近くまで行ったのに会うことができませんでした。
 前回九里の道標、今回は八里の道標を目指して
 
 案内には遠くない、国道まで行くまであるはずですが 
国道まで行っても見つかりません。 一駅歩きました。


 横の居酒屋が気になり、見過ごして 橋を渡りました。
 電柱の陰に隠れています。

 

 その1  興味をそそる  高野街道 河内長野

2009年3月27日金曜日

 松並木の街道  天竺川堤防


  熊野田街道??   天竺川堤防

  天気のいい日にちょっと 三国から天竺川を上って
 服部緑地まで散策もいいですね! 
  この松並木、街道の風情を残す、 古い地図には堤防までの道は書いてあるが、近くでは高川の堤防を使う「三国街道」は道を赤で記してあるが、天竺川の堤防には堤防まで書いてあるが、道としては書いてない。
 熊野田の子供たちは、服部神社の祭りにはこの道を使っていたといわれている。が、その道もうっそとした草が生い茂っていたという。
 
西願寺橋 上流
 

2009年3月26日木曜日

大発見 豊中市上新田 また 見つけました。 

 

熊野田・大坂へ分岐道標
   「見本のまち」・・・「道標の見本」
   長年 この道標を探していました。 この村にはすでに4基の道標があるので
   道標は旅人が間違いなく目的地にたどり着くためのものです。ですから、分岐には
   必ず、道標があり、旅人が安心して旅ができるものですので、
   上新田には分岐が5カ所あり、すでに4基の道標が確認されていますので、
   「もしかしたら!」と上新田、勝尾寺を調べるとそんな気がしていました。
   残るは、三国街道と勝尾寺街道の分岐にないかないか とさがしていました。
   この道標がそれにあたります。 旧新田小学校北東角にあったものです。
   それで、この村上新田村の出口にはすべて道標が揃ったことになります。

勝尾寺参り帰りの道しるべで落合橋の手前、旧新田小学校横にあったのでしょう。
この他上新田には4つの道標が残っています。新田東出口の勝尾寺の道標
南出口 佐井寺の道標。最後にもう一つの出口(西出口)、大阪道、熊野田の分岐のここに欲しかった道標です。 新田の道標が揃いました。 良く残っていました。近所の人に聞きましたが、此処に道標があるとは気づいていないようです。
途中で折れていますが、3文字の判断が出来ます。来られる方が頭をさすっているのでしょう、良く光っていました。 
見つけた当初は下方が雨のしぶきで土が跳ねて文字が見えませんで、
西面の南しか見えませんでした。 表面の土を落とすと 次のように判読できます。
  
南面 左大阪
西面 南無阿(弥陀仏)
北面 為万人
東面 右くま

熊野田の名が現れました。  後は熊野田に道標があればいいのだが!

上新田の墓地 六地蔵の横に








まだ知られない道標があるのでしょうか?
これまで
上新田の道標 A、B、C、D、E 5基


万人講の道標

「見本のまち」・・・「道標の見本」

見つかった道標       

豊中の道標 

  

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最初の道標探索

『思い出 Ⅰ』 豊中三中 『琵琶湖と私たち』
『思い出 Ⅱ』 豊中九中 『初めての教え子』 
『思い出 Ⅲ』 豊中九中 『街道を探る』 その2、その3(上新田村の道標を記載) 1999

旧新田小学校校舎見学会 おいしいラーメン 2012年11月11日日曜日
上新田のとんど                      2013年1月19日土曜日
竹藪がなくなる。 上新田  変貌する町並み   2012年8月13日月曜日
見つかった 「上新田西口道標」     2009年3月26日木曜日

天竺川 橋 八坂橋より上新田       2012年5月4日金曜日
ニュータウンの地蔵尊            2012年5月5日土曜日
祭り とんど祭 上新田 (無形民俗文化財)  2010年1月14日木曜日

続きルート  追加
追加  2012/03/25  
あなたはどのルートを撮りますか
道標から





上新田から勝尾寺まで
「見本のまち」 上新田









2009年3月25日水曜日

「福西 茂  画 集」 製本 東雅書房

「福西 茂  画 集」 完成
自分なりによく出来ました。
製本がバッチリでした。


豊中の歴史資料「豊中の史跡たずね描き」の
元になった「絵」を本にしました。

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左右の原本は、やく300枚 それを
福西氏がいろんなところで 展示・公開されていました。
その後 絵、資料を豊中市教育委員会に寄贈され、
まとめられたのが「豊中の史跡だずね描き」です。
今回、原画をデジタル化し本にしました。  
写真印刷の方が良いのですが、手軽にできるというので、インクジェット印刷
インクがどんどん減っていきます。
製本 東雅書房 が無料でやっていただきましたが
紙代、インク代、総計 3万円 一冊当たり約1万円


三冊作成 寄付先 福西茂氏、豊中市立岡町図書館、
            豊中市教育委員会にそれぞれ寄贈しました。
       私の手元にはありません。

非売品です。 問い合わせは 豊中市教育委員会文化財保護係 まで

        「福西 茂 画集」  
         「豊中の史跡たずね描き」
         豊中市立岡町図書館

つながり   塩田豪一氏 と出身地が同郷