2021年3月16日火曜日

奥の細道 壷の碑 編   講演者 柿衛文庫 辻村 尚子先生

 最上部 中央に「西」

かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十符(とふ)の菅(すげ)有。今も年々十符の菅菰を整て国守に献ずと云り。

壷 碑 市川村多賀城に有。

つぼの石ぶみは、高サ六尺余、横三尺計カ。苔を穿て文字幽也。四維国界(しゆいこくかい)之数里をしるす。「此城、神亀元年、按察使鎮守符(府)将軍大野朝臣東人(あぜちちんじゅふのしょうぐんおおののあそんあずまびと)之所里也。天平宝字六年、参議東海東山節度使、同将軍恵美朝臣アサカリ修造尚。十二月遡日」と有。聖武皇帝の御時に当れり。むかしよりよみ置る歌枕、おほく語伝ふといへども、山崩川流て道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り、代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰(ここ)に至りて疑なき千歳の記念(かたみ)、今眼前に古人の心を閲(けみ)す。行脚の一徳、存命の悦び、羇旅の労をわすれて、泪も落るばかり也。    奥の細道 朗読 より

最終 大垣市「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」

先生の講座は 分かりやすく!とても為になった。

多くの「壷の碑」

最上部 中央に「西」   

 奈良の京から1500里(1里=540M)、約800kmなどの道程と、政庁の初建立神亀元年(724年)と、再建を記念し、この石碑を建てた(762年)ことが記されている。

日本三古碑 - Wikipedia

宮城県多賀城市多賀城碑[1]群馬県高崎市吉井町多胡碑[1]栃木県大田原市那須国造碑[1]、および、京都府宇治市宇治橋断碑[1][2]がそれぞれ日本三古碑と呼ばれている。いずれも飛鳥時代奈良時代にかけての8世紀前後のものである。

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