その② 他のサイトで検証 こちらもご覧ください。
上記のサイト すごいですよ! 一度ご覧ください。
その① 移築された道標を見に行ってください。
千里丘陵に開発が間逃れた昔の面影が残る「上新田村」を楽しんでください。
他のブログで紹介してありました。 私の原稿を数カ所引用しています。3月に新しい案内支柱と別に昭和53年の古くなった案内支柱があります。
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ガッカリして近所を探しますが ありません。
豊中市に問い合わせ など考えながら
チョット引き返して 旧新田小学校へ
千里丘陵に開発が間逃れた昔の面影が残る「上新田村」を楽しんでください。
他のブログで紹介してありました。 私の原稿を数カ所引用しています。3月に新しい案内支柱と別に昭和53年の古くなった案内支柱があります。
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ガッカリして近所を探しますが ありません。
豊中市に問い合わせ など考えながら
チョット引き返して 旧新田小学校へ
ありました。チョット高さが高くなっていま。
下部欠損していて建てると文字が見えなくなるので 継ぎ足してありました。
「移築」されました。
上新田自治会が旧場所に建ててありました。説明書付きです。
この道標で上新田の全ての出口に道標があることになりました。
この道標の経過を報告します。
① 見つけたのは 上新田の墓地にて2009年3月26日木曜日 10年前ですね!
この年の9月には『箕面から大坂への道しるべ展』で紹介
② 旧所在地の確認と箕面市に2基ある「南無阿弥陀仏」
「為万人講衆中法界」=万人講 道標を調べ、
箕面では大坂への帰りの道筋に建てたありました。これで 3基目
「万人講の道標」4基目は 2011年8月17日
「またもや発見 ここよ!ここよ!と呼んでいる」 2011年8月17日水曜日
③ 案内の杭を建てたのは 2010年11月 頃だったと思う
箕面市では「万人講」の道標で有名で、箕面市では2基あり、吹田でも1基見つけたのですが消滅しました。一時は4基存在してました。
勝尾寺から大坂に還る道筋に「万人講」が合計4基建立しました。
立っていた場所が違いますね。 地図が新しく昭和28年の地図で記載されていますので、
校舎の前に 運動場が造られ道が地図になっています。
新田小学校は 初期の頃 1校舎です。「今昔マップ」で確認してください。
新田小学校の沿革
明治6年 創立 真覚寺内
明治15年 分銅751番に「郷倉」に移転
明治33年 上新田2073,2074番に校舎移転 旧校舎(西側)
児童数が増え増築 旧校舎の東側に その時、運動場も拡張されたのか!
中央左 道が集まるところ 「上新田」水色「佐井寺観音道」緑「三国街道」
黄色の道が「勝尾寺街道」
赤は上新田から「山田街道」もう一本は「小野原街道」
昭和47年 「文化財ニュース豊中」より
「サヨナラ 100」
翌昭和48年現在の新田小学校が開校
大きな校舎が2棟 現存しているのは上の校舎です。
新しくなった「上新田西口道標」を見学に来てください。
道標 5 基 「見本のまち」 上新田の見どころ 2010年2月19日金曜日
2014年8月7日
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