横山勘兵衛 ガラス版写真
従兄から 連絡ありました。 ありがとうございます。
親戚関係の部分は割愛し 下記の要点を記載します。
4.話は勘兵衛さんの方に戻りますが 高岡の中心部に勘兵衛屋敷が有ったと言われながら何故に、
誰の世代に没落し狩野の川向の山が迫っている楠見部落に移り住んだのかオフクロに聞いておくことを忘れました。
少なくともオフクロさん達は楠見部落で育った筈で戦後直後或はその前か分からないが狩野の方に移って来て
タバコ販売を中心とした雑貨店をしていたと思われる。
尚、楠見には喜助さん?達の墓があり一度だけオフクロに連れていかれました。
もし、あなたは行っていなければ楠見部落の人に聞けば墓の場所は解ると思います。
5.横山勘兵衛良豊(通常言われている横山勘兵衛)さんは1701年生まれで88歳没は1789年となっている事になり
貴方の書いてる横山?九兵衛さんは寛延4年66歳(1751年)没という事なら生まれは1685年となり勘兵衛さんより
15歳以上年上になりますので勘兵衛さんの子供とは言えませんが。。。
もし、この九兵衛さんが本当に寛延4年没という事なら申し訳ないがあなたが作った系図が狂う事になるのではないですか?
明治の勘兵衛さんは1810年生まれと逆算されますが勘兵衛良豊さんの生まれとは109年後になるのでこの2人の間に何人が
存在したかが問題になり我々世代が7代目になるのかも分からなくなります。
貴方の調査力でもう一度?九兵衛さんの亡くなったのが寛延なのかどうか確認して貰えればと思います。
返信 ありがとうございました。
楠見には喜助さんの墓があるとは 知りませんでした。
帰った折、見てきます。
横山勘兵衛の年号は再度 整理中です。 本家に系図の下書きがありますので挑戦してみます。
上村 和功
0 件のコメント:
コメントを投稿