現在一柳家の③番に立っているが
一柳家の道標は ④に立っていた。と考えられる。
吹田から来た人が「すぐ おおさか」を見る
大阪から来た人は「☞ 瑞光寺道 同江口道」が最初に見える。
つぎに「☜(左) 吹田 富田 茨木 道」
橋の親柱2基 「和合橋」「増島橋」
⓵②は道標がったっている場所
⓵「右大阪」「左ずいかうじ(瑞光寺)、吹田、江口」(文政十二年)
② 手前「右大坂みち、左すいた、江口わたし」「左大さかみち」
大阪から⓵②から右は江口ですが、 北摂から来た人たちの案内で、瑞光寺と同じと考えると理解できる。
両方とも 江口とすいたが同じ道になっていのと、一柳家の道標も 瑞光寺と江口と同じ方向を指している。江口の道はこれと思われる。
これは2つも 立っていた場所は現在の場所からはなれ、④までのあいだのどこかに立っていた。と考えると理解できる。一柳家の前がそうなるのではないですか!
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