2015年3月2日月曜日

木下直三郎翁

木下直三郎翁

[藤澤章次郎編輯]
岡本太郎, 1932.1
p168



木下直三郎翁追慕録

桜井, 喜一郎  1941
166p

大正バブル期の泡沫事業への擬制“投資ファンド”とリスク管理
―“印紙魔”三等郵便局長の「虚業家」ネット・ワークを中心に―
「貯金魔」1)と称された高柳淳之助,「会社魔」2)と称された松 島肇を「虚業家」の典型例として取り上げて来た。同様に鈴木商店の金子直吉 もある方面からは「事業魔」とか「借金魔」3)などとも称されたが,これら大 正末期から昭和初期にかけて,「○○魔」と呼びならわされた特異性が顕著な 人物には他に「印紙魔」(T10.6.5東日)と称された津下精一も存在する

大阪新淀川流域利用開拓事業
  新淀川河川敷 地ヲ占有シテ是ニ三角藺32)ヲ栽培シ,製莚原料ヲ得ヘク
   「藺」は湿地に自生するイグサ科の多年草で,細長く,約一メートルになる茎を畳表や 莚の原料にする。淀川沿岸の 貸下を出願して,大仕掛に三角藺を栽培し,鹿児島出身の人々の手で畳表製造 の会社を起さん」(大毎号外)

川端信次郎(吹田町)は明治6年5月生れ,公吏,摂池銀行取締役,北大阪電気鉄道, 商工信託,吹田製紙各監査役(要 T11役上,p193),吹田町長,淀川右岸水防組合副議長, 京阪土地監査役,浪花瓦斯相談役(『財界人物選集』昭和4年,か p27)


南船北馬集 第十四編    大正7年1月28日
5.発行所    国民道徳普及会
ビール飲むなら朝日に限る、誰れも吹田と云て居る。
 当夜は小学校講堂にて開演す。町長川端信次郎氏、校長山本喜太郎氏等の発起なり。郡長笠井英一氏、視学安野実氏、ここに来会せらる。
宿所は駅前山下市松氏宅とす。このごろ宇治黄檗山隠元禅師へ大諡号下賜せられたりと聞き、一詩を賦呈す。
檗山陰鬱久難開、御忌今年春漸催、皇日漏輝九重上、恩光照到隠元梅。
(黄檗山はほのぐらく、久しく開かれることはない。御忌は今年の春にようやくとり行われた。おおいなるひかりは宮中にまでもれいたり、皇恩の光は隠元の梅に至ったのである。)

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