お世話になった太子町役場・鍋島隆宏さんに
受賞のお礼と冊子を持参しました。
大変喜んでおられました。
その話の中で
1.巡礼道の道標が移動されている記述が歴史的に記載されているものがある。
その道標は岩屋の分岐にあった物で
「左 当麻寺」があった、現在 道の駅近くに移動されている。
何故問題になったのかは
「このルートをとるとまっすぐ行く竹ノ内での宿泊客が少なくなった。」
それで、竹ノ内村の住民が大津の裁判所へ訴えた
裁判所は豊中などでは京都になっていたが、奈良県の当麻では、大津の裁判所というのもはじめてでした。
その裁判の結果が資料として残っているそうです。
移動するような裁判の結果でしたが、廃棄されずに移動されました。
「当時石物は高価であったのでしょう。現在の道の駅近くに移動されたそうです。」
2.鍋島さん宅は祖父の時代に新聞社を経営されていたそうで、
吹田市役所や「セピア色・・・」の鍋島さんも写真を借りに来られたそうです。
隆宏さんも
「何時かは整理をしなければ! と思いながら整理できていない。」と言われていました。
「私も今年度は忙しいが、来年度になると少し余裕ができるので、
私にできることがあれば、お手伝いします。」
「デジタル化された方が良いと思います。」
など話していました。
またまた、仕事が増えます。また話がいろいろ広がります。
受賞のお礼と冊子を持参しました。
大変喜んでおられました。
その話の中で
1.巡礼道の道標が移動されている記述が歴史的に記載されているものがある。
その道標は岩屋の分岐にあった物で
「左 当麻寺」があった、現在 道の駅近くに移動されている。
何故問題になったのかは
「このルートをとるとまっすぐ行く竹ノ内での宿泊客が少なくなった。」
それで、竹ノ内村の住民が大津の裁判所へ訴えた
裁判所は豊中などでは京都になっていたが、奈良県の当麻では、大津の裁判所というのもはじめてでした。
その裁判の結果が資料として残っているそうです。
移動するような裁判の結果でしたが、廃棄されずに移動されました。
「当時石物は高価であったのでしょう。現在の道の駅近くに移動されたそうです。」
2.鍋島さん宅は祖父の時代に新聞社を経営されていたそうで、
吹田市役所や「セピア色・・・」の鍋島さんも写真を借りに来られたそうです。
隆宏さんも
「何時かは整理をしなければ! と思いながら整理できていない。」と言われていました。
「私も今年度は忙しいが、来年度になると少し余裕ができるので、
私にできることがあれば、お手伝いします。」
「デジタル化された方が良いと思います。」
など話していました。
またまた、仕事が増えます。また話がいろいろ広がります。
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