2009年10月6日火曜日

石仏の溝(地蔵の溝に変更)   唐臼の軸石に利用

交野市の資料を再度点検
 リサイクルと思っていました 。
 リサイクルでも唐臼が先か、地蔵が先か が問題です。

唐臼は、地蔵・阿弥陀さんなどのリサイクルはないと考えていました。
なぜかと言うと、先祖を大事にしない、親を大事にしない、近所を大事にしない、友達を大事にしない、結局は自分を大事にしないなど、間違っている現代の世の中ですが、道標、地蔵などは、先祖を敬い、先祖の霊を弔う、先人の行なった業績を敬うことの象徴である物、自分たちの安全を守る地蔵などを粗末にするとは考えにくいと考えています。

 ところが、唐臼に利用していることがわかる物がありました。
溝が地蔵・阿弥陀さんの頭まできている物です。(例 吹田市佐井寺の「じろう」)  ????
 信仰する物を他の用途に使うことになります。   廃棄物を利用するにも、姿、形を変えるまでにして、利用するとか考えにくい。ですから、憶測するには、地蔵・阿弥陀が先でその後、リサイクルとして唐臼に使用されたと考えるのが妥当だと思います。そのことは、今までの私たちの観念を打ち破るものです。
 大変です! 時代の流れとはいえ、地蔵・阿弥陀さんに対する考え方が変わっています。
 明治初期の「神仏分離令」などのものによって、思想が変えられたとおもいますが、
 そのことは、現代と変わらない、無責任な時代と同じだと思います。
 「神仏分離令」は政治が行ったものです。 しかし、阿弥陀さん信仰が薄れ、百年という短い間で復活するとは考えにくいので、これら「石仏の溝」はもっと以前(明治時代以前)に行われたもとの考えるのが妥当だとかんがえる。時代を探ると、
 戦乱の世・安土桃山時代「安土城」建設には、石が足らず、「階段に墓石を使用した。」例があります。
また、仏教宗派で、仏像など有形の物を崇拝することを嫌う宗派がありました。また、改宗するには以前の神仏を焼き払う風習は続いています。時代からして「一向一揆」がそれにあたるのではないでしょうか!
 一向宗は一世を風靡し我が物顔で宗教改革を行い日本中を仏教の教えを広めました。そこで多くの檀家は浄土真宗に改宗された時期がそれにあたります。
 戦後、新しい宗教が発生し、その行動は、先祖などを祭る祭壇、仏壇などを廃棄することから始まった宗派もあります。

推測するにこのことから、江戸初期まで続いたのでしょう。 逆に言いますと、
この溝のある石仏は「江戸時代以前の物」と言えます。古いです。

 もう一つの疑問?台座として使用されたものが、その後、何故、祀られているのでしょうか!!!
まだまだですが、一応ここでは、
 私が考えるに、自分たちの過ちに気づき、元のように祭ったのではないでしょうか!

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