JR千里丘 ➡ 京都 ➡ 亀岡 970円 1時間07分 15~20分間隔
http://www.geocities.jp/hinatacobo/page015024.html
亀岡街道 佐保川(茨木川) を北上 余野街道とでる。 南桑田郡 福井から余野までの道は明治25年開通
旧亀岡街道 清坂峠 石河村大字大岩 国見峠 神坂
JR大阪 ➡ 福知山 一時間 一本 定時 :11 分 1940円
京都回りだと 1940円 2時間25分
三田回りだと 2270円 3時間16分
阪急を使うと
JR京都駅まで 530円
JR京都駅を利用 1490円
嵐山を歩き 嵯峨嵐山で乗車 21分 亀山で 10分
嵐山から 4780円 3時間57分
桂駅東口
亀岡市内の石物
その① 寒谷の民家前にある道標
城下町を歩いていると道標をみかけます。愛宕灯籠はよくありますが、灯籠にも「左あなう道」とか書いてあるものもあります。
道標を見ると穴太寺や愛宕山、善峰寺、妙見山がよく見かけます。そうです、穴太寺は西国三十三所観音霊場の21番札所であり「巡礼道」という道があります。
西国三十三所巡礼は、定かではないが応保元年(1161年)、大津の三井寺の僧・覚忠が修行のために廻ったのが始まりといわれています。その後,、修行僧や山伏たちが信仰のために巡礼をしていたが、江戸時代、元禄年間には社会が安定し宿場も整備され庶民にも広がり、巡礼だけではなく観光の要素が強くなってブームになったようです。そのために道標も多く建てられるようになりました。
その② 鍬山神社百太夫社横の道標
西国札所は20番の善峰寺、21番穴太寺、22番茨木の総持寺の順ですが、人気コースは、19番札所京都・行願寺革堂から愛宕神社へ参り、そこから穴太寺、善峰寺、総持寺へ巡るのがはやっていたようです。驚くことに「西国巡礼細見記」というガイドブックもあったそうです。それによると善峰寺から穴太寺までは四里半、穴太寺から総持寺までは六里だそうです。穴太寺への道は洛西大原野外畑から山を越え寒谷、鍬山神社、医王谷を抜けるのが早いとされ、総持寺へはまっすぐ南に与能神社、桜峠から東別院を通ります。それと保津から水尾へ行く愛宕谷の道、これらを西国三十三所巡礼道とよばれています。
道標を訪ねて善峰寺から穴太寺までの巡礼道をたどってみました。
その⑤ 右手矢印の道しるべ
その⑦ 曽我部町重利の道標
http://www.geocities.jp/hinatacobo/page015024.html
亀岡街道 佐保川(茨木川) を北上 余野街道とでる。 南桑田郡 福井から余野までの道は明治25年開通
旧亀岡街道 清坂峠 石河村大字大岩 国見峠 神坂
JR大阪 ➡ 福知山 一時間 一本 定時 :11 分 1940円
京都回りだと 1940円 2時間25分
三田回りだと 2270円 3時間16分
阪急を使うと
JR京都駅まで 530円
JR京都駅を利用 1490円
嵐山を歩き 嵯峨嵐山で乗車 21分 亀山で 10分
嵐山から 4780円 3時間57分
桂駅東口
亀岡市内の石物
その① 寒谷の民家前にある道標
城下町を歩いていると道標をみかけます。愛宕灯籠はよくありますが、灯籠にも「左あなう道」とか書いてあるものもあります。
道標を見ると穴太寺や愛宕山、善峰寺、妙見山がよく見かけます。そうです、穴太寺は西国三十三所観音霊場の21番札所であり「巡礼道」という道があります。
西国三十三所巡礼は、定かではないが応保元年(1161年)、大津の三井寺の僧・覚忠が修行のために廻ったのが始まりといわれています。その後,、修行僧や山伏たちが信仰のために巡礼をしていたが、江戸時代、元禄年間には社会が安定し宿場も整備され庶民にも広がり、巡礼だけではなく観光の要素が強くなってブームになったようです。そのために道標も多く建てられるようになりました。
その② 鍬山神社百太夫社横の道標
西国札所は20番の善峰寺、21番穴太寺、22番茨木の総持寺の順ですが、人気コースは、19番札所京都・行願寺革堂から愛宕神社へ参り、そこから穴太寺、善峰寺、総持寺へ巡るのがはやっていたようです。驚くことに「西国巡礼細見記」というガイドブックもあったそうです。それによると善峰寺から穴太寺までは四里半、穴太寺から総持寺までは六里だそうです。穴太寺への道は洛西大原野外畑から山を越え寒谷、鍬山神社、医王谷を抜けるのが早いとされ、総持寺へはまっすぐ南に与能神社、桜峠から東別院を通ります。それと保津から水尾へ行く愛宕谷の道、これらを西国三十三所巡礼道とよばれています。
道標を訪ねて善峰寺から穴太寺までの巡礼道をたどってみました。
その③ 君塚団地にある道標・お地蔵
西京区大原野外畑から西へ林道を通り篠町寒谷へ抜ける林道があります。今は車両通行禁止になっていますが、昔、老いの坂が事故で通行止めになったとき、車で京都へ行くのにここを通ったことがあります。大原野から来ると峠に三叉路があり高槻にも行けます。さらに下ってくると釣り堀がありそこを過ぎると寒谷の集落。車がやっと通れる市道ですが、当時の巡礼道は民家の直ぐ横を通る野道だったようで、民家の前の野道に道標があります。二つ並んでいて「右よしみね」「左あなう」とあります。
その④ 右手矢印の道しるべ
巡礼道は寒谷を越え、イトーピアの南の林道を超えて鍬山神社の前に出ますが、今は入山禁止になっています(熊が出るという注意書があります)。鍬山神社の境内にも「右よしみね」という道標があります。
その⑤ 右手矢印の道しるべ
鍬山神社から君塚団地をとおり医王谷へ抜けますが、開発されていて道は定かではありません。君塚団地に道標が地蔵さんと一緒に祀られています。右側から「右手」の道標、その左からは地蔵さんや台座に「四国八十八カ所」、「右よしみね」、「左あなう」、「右よしみね道」、「文久元年」(1861年)とあります。地蔵さんに道しるべがあるのは、巡礼途中にここで亡くなった人を祀ったものでしょうか。団地造成の時にここに集めたようです。
その⑥ 医王谷の道標
その⑥ 医王谷の道標
医王谷にある秋葉神社の一の鳥居近くにも道標がありました。「右山みち」「左よしみね」とありますが、道標の場所が移動しているため推測ですが、「山みち」とは秋葉神社への参道でしょうか。この秋葉神社は元禄年間に建立されたもので山の頂上にあります。医王谷を抜ける道は京都縦貫道の側道になっていて、道幅は狭いが交通量は多いので注意して進みます。
その⑦ 曽我部町重利の道標
「右よしミね道」 医王谷から中山池を抜け京都縦貫道と池田街道との交差点を過ぎると穴太の集落が遠くに見えてきます。農道に入り走田神社の南の田んぼの真ん中(この辺りを曽我部町重利といいます)にひときわ大きな道標があります、「右よしミね道」「左かめ山・京道」。この道標は高さ165cm、37cm角で、亀岡の道標のなかでも一番大きなものだと思います。農道を進むと小川を渡る小橋があります、その名を「巡礼橋」といいます。
ようやく穴太寺に到着です。「西国巡礼細見記」によると善峰寺から穴太寺までは四里半ですから約18kmです。ホントに昔の人はよく歩きます。信仰と行楽を兼ねた巡礼道、森林浴もでき健康にも良い「巡礼」をしてみませんか。亀岡の道をもっと歩いて、故きを温ねて先人の自然を楽しむ心、愛しむ心を感じてみませんか。
ようやく穴太寺に到着です。「西国巡礼細見記」によると善峰寺から穴太寺までは四里半ですから約18kmです。ホントに昔の人はよく歩きます。信仰と行楽を兼ねた巡礼道、森林浴もでき健康にも良い「巡礼」をしてみませんか。亀岡の道をもっと歩いて、故きを温ねて先人の自然を楽しむ心、愛しむ心を感じてみませんか。
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