水路が張り巡らせている
西町
織田信澄(信長の甥)に、天正六年(1578)
大溝城に入り、新しく城下町を整備しました、その
際古道(旧北国道)を西の通りとして町割りしたの
がこの町の初めといわれています。
大溝陣屋
「惣門」
元和五年(1619)八月、高島郡を中心に二万石の領主として、
伊勢の国上野(三重県阿芸町)から江州大溝(高島町)に入封した
分部光信(1591から1643)は,さきに織田信澄(織田信長の甥、明智光秀の女婿)が
築いた大溝城(水城)の西に、陣屋・武家屋敷を構築し、背戸川を堺として石垣・土塁を
巡らせてこの地に総門を設けた。
宝暦五年(1755)秋、大修理して今にいたる。
棟瓦には部部氏の定紋(丸の内に三引)が残り、両袖に部屋のあるこの長屋門は
大溝城関係建造物でただ一つ現存する貴重な遺構である、
高島町観光協会
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