豊中の北部
地図 「桜井谷六カ村御小物成場図」明和三年八月(1766)
「桜井谷六カ村御小物成場図」より
道をひろう
内田村から大阪に向かう箕面街道は「大阪道」と書かれている。
また、春日南道標で右手にとる道は「勝尾寺道」と書かれている。
この地図から街道を探すと 基準となるのは、千里川と池です。
大きく違った点は
新免からの箕面道は(括弧内は明治19年の地図との比較)
①能勢街道で千里川を渡り、しばらくして右にとり、赤坂池の東側を通る。
(「しばらく」でなくすぐに右に折れる、そのまま進むと、道の左に祠のある千里園3丁目公園を通り、豊中十三中学校の東側を通るルートが存在し、柴原公園内の道標がそこにある。右柴原道、左刀根山道となる。北進し、左側に祠があり、赤坂池の東側を通る。 )
②箕面街道は内田に入る前に箕面と柴原の北側を通り、箕面市に抜ける道がある。(右に取るとほとんど北進し、野畑で千里川を渡る。橋は高橋その後、柴原から来た道と合流する。少し行ったところで右勝尾寺、左みのお(牧落)に別れる。そのまま北進すると法師谷池にあいそのまま峠を下ると、牧落である。)
③新免から箕面街道との合流点は、野畑の北側で合流する。
④法師谷池手前で箕面と勝尾寺と別れる。(勝尾寺道はその後、通信隊の北側を抜け、西国街道に出会い、東進して新家で旧表参道で参拝する。豊中の道標でみのお・かつおじと併記されたのは箕面の滝から勝尾寺でなく、ここで分岐する。)
(柴原公園の道標 )
二ッ毛池の南側を渡り、刀根山を登り、能勢街道と合流する。
その後能勢街道は 金坂池の南側を通り、石橋に向かう。
地図 「桜井谷六カ村御小物成場図」明和三年八月(1766)
「桜井谷六カ村御小物成場図」より
道をひろう
内田村から大阪に向かう箕面街道は「大阪道」と書かれている。
また、春日南道標で右手にとる道は「勝尾寺道」と書かれている。
この地図から街道を探すと 基準となるのは、千里川と池です。
大きく違った点は
新免からの箕面道は(括弧内は明治19年の地図との比較)
①能勢街道で千里川を渡り、しばらくして右にとり、赤坂池の東側を通る。
(「しばらく」でなくすぐに右に折れる、そのまま進むと、道の左に祠のある千里園3丁目公園を通り、豊中十三中学校の東側を通るルートが存在し、柴原公園内の道標がそこにある。右柴原道、左刀根山道となる。北進し、左側に祠があり、赤坂池の東側を通る。 )
②箕面街道は内田に入る前に箕面と柴原の北側を通り、箕面市に抜ける道がある。(右に取るとほとんど北進し、野畑で千里川を渡る。橋は高橋その後、柴原から来た道と合流する。少し行ったところで右勝尾寺、左みのお(牧落)に別れる。そのまま北進すると法師谷池にあいそのまま峠を下ると、牧落である。)
③新免から箕面街道との合流点は、野畑の北側で合流する。
④法師谷池手前で箕面と勝尾寺と別れる。(勝尾寺道はその後、通信隊の北側を抜け、西国街道に出会い、東進して新家で旧表参道で参拝する。豊中の道標でみのお・かつおじと併記されたのは箕面の滝から勝尾寺でなく、ここで分岐する。)
(柴原公園の道標 )
二ッ毛池の南側を渡り、刀根山を登り、能勢街道と合流する。
その後能勢街道は 金坂池の南側を通り、石橋に向かう。
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