2011年5月25日水曜日

六甲山で70年ぶり道標発見 有馬への「住吉道」

道標をWebで調べていると次のような記事がありました。
去年の話ですが
神戸新聞
 六甲山で70年ぶり道標発見   
   (2010/07/27 14:19)
 大きな道標です。
 このようなこともあるのですね!

2011年5月23日月曜日

道路元標 宮崎県綾町


亞椰駅

奈良時代にあった 律令制度の駅跡
ここには元家があり、背の高い同級生がいたと思います。
背中の方が 小野さん宅、そして、小学校へ

距宮崎元標六里三拾七間■尺綾駅
本荘駅壱里参拾五丁三間参
明治三十五年六月

綾村

チョッと 2基もあるとは???

その他の「道路元標」

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
追加 2012/04/26
宮崎県綾町 「湯之谷」
宮崎県綾町

2011年5月20日金曜日

最高記録 十三 神津神社 道標

最高記録  1日訪問者数 120ビュー 5月18日
 テーマはどれでしょうか?

  「またもや発見 神津神社 3基目の道標」でした。
  歩くたびに新しい発見があります。

  この項に書いてあるように、確認ができない状態でした。
現在のところもB基は詳しくわかりません。
今日確認しました。後でアップします。


商店街


             神津神社 春祭  5月21・22日
中央は 昔からある道標D 木川から小島村の入り口にあったもの(木川道標)
 左端は 三国から小島村に入る三叉路 道標C=小嶋北口道標 左本庄
 右端は 2年ほど前 ここに移されたもの 神津神社の前の大通りにあった道標B=小島村西口道標
      堤上 西十三渡  東本庄渡   大坂     
 道標A は池田文庫の「妙見道」=「十三の渡し道標」=「池田文庫道標」

 一度は お忙しいようで 話をする機会を逸しました。
1時間ほどして再度 訪れて お話を聞くことができました。
まずは
表示にある「梶山彦太郎氏」なくなられたそうです。
 大変有名な方でした。特に貝については市博物館からも鑑定の依頼があったそうです。
 亡くなられたから大分経っているそうです。
 ここの道標の一番大きい道標も 神津神社西側にあったものを、梶山先生がここに持ち込まれたそうです。

前置きが長くなりました 道標Bのいわれから
 道標B=「小島村西口道標」はもともと神津神社前の大通りにあった。
 何時のころか 十三駅西側の中華料理店「幸楽」の袂にあったらしい。 
 その店が廃業した後、この道標が尼崎で見つかり、尼崎市教育委員会から大阪市の教育委員会に連絡が入り、「神津神社に縁があるので引き取ってもらえないか!」 ということで、2・3年前当神社におかれたということです。 だから 昔の写真には載っていないはずです。
 大きさは 25x23x76 見事な道標です。
 (東面)  往来安全
 (南面)  はっとり天神宮  三国渡 池田

(西面)  嘉永 四?年 四月


 (北面)  堤上 西十三渡  東本庄渡   大坂

また地名として残る本庄、「本庄渡」がここの2基(道標B=小島村西口道標、道標C=「小嶋村北口道標」
  十三の新高公園の道標  東中島の道標
  そして 夕願寺の道標
合計 5基見つかったことになり、
昔の街道は本庄、横関、脚光を浴びます。

道標A については 池田文庫の「妙見山道標」=「池田文庫の道標」「十三の渡しの道標」、といわれました。
これで納得しました。 またまた 発見です。

2011年5月19日木曜日

だんじり

吹田のだんじり  7基

「吹田のだんじり」本年の浜屋敷には

「川面町だんじり」

彫がいいですね! 1885年江戸中期
岸和田のだんじりは江戸時代華やかになり、各地でもようされるようになりました。
南河内郡太子町のだんじりも面白いです。
吹田も同じような年代に行われていました。
ただ、建造費は1億円を越します。維持するのに大変です。

ここ浜屋敷では だんじりを展示しています。見学には予約必要
毎年 お祭りの後 次のだんじりがここに入庫します。
6年経ったら 吹田のだんじりすべてみることができます。
来年は どのだんじりになるのでしょうか

案内者との話
南町だんじりの行方は
奄美大島の原野農業研究所
この前の災害で壊れているらしい。

「だんじり」の詳しい内容はこちら
南河内郡 太子町   岸和田のだんじりは有名

2011年5月18日水曜日

またもや発見 神津神社 3基目の道標

だいぶん以前の調査です。 2011/03/30
その他の調査のためアップするのが遅くなりました。
確認できていませんので、チョッと気になっていたのです。3基目の道標が 
ここには道標2基のはずです。

十三の商店街を抜けると左に神津神社
ここには道標が2基あるとのこと。

中央のはもとからあったもの。
左側の道標 (道標D)
  「小島村宮稲荷社是より左へ、すぐハみのを多田のせ」

ところが、新しく1基 右側が増えていました。
拓本候補です。 右端の道標(道標B)
  「東 往来安全  」読み取れません。
    再度調査になります。
    だれか読んでください。高市先生に頼むことになりますか!

 新しい道標の裏面です。
 

ここで一番大きい道標です。
道標C 「右ハ小島村宮稲荷社、すぐハ十三、左りハ本庄道」(寛政2年)
      本庄の渡し 
      案内では 能勢街道の三国から来て、三叉路に立っていたそうだ。
      その三叉路の 「右ハ」と「すぐ」は同じ方向を表している。
      それとも、もっと南の十字路に立っていたのか?      4差路? 十三にそんなところがあるとは  再調査
       同様な表示 「新高公園の道標」       これは次のように理解する。
    「まっすぐ進みなさい、但し、途中で右手に小島村宮稲荷社があります。」
       と、このように 読み砕くと 同じ方向に表示であっても理解が出来る。
    新高公園の道標にも同様に当てはめると、道標には説明はいらない。
     原理に沿って判断し、「すぐ」が主 次に方向が
理解できるし、納得することができる。 

案内には ABCDとあります。  
Bは一番右端、Cは左端 Dは中央
「小島村」には 4基になります。

 道標A は今は池田市にある池田文庫の「妙見山道」です。

これは大きいですよ!  撮影2008/10/25

  大阪市内は道標の宝庫  誰が見つけるか! 
  拓本をやっていただく方を見つけなければなりません。
  「後世に伝えることです。」
新しい物は新しい物の良さがあります。
 古い物は古い物の良さがありますし、その物の自身の歴史があります。  
 しかし、破壊されたら、そのものは良さ、歴史を再生することはできません。

再度確認に行かねばなりません。  こちら 

2011年5月17日火曜日

今日は浜屋敷  時間があるので忘れ物を撮りに 一柳家道標再考2017/05/11

今日は浜屋敷「加賀真佐子文庫」でボランティア 
夜、会う約束には時間があるので、

先日の撮り忘れた道標を求めて   亀岡街道 菅原Ⅱ
 前回 まよいまよい・・・   前回の調査



間違ったところから再スタート

風流ですね! 塀と石垣


亀岡街道です。   その横に公園が

「わがふはし」橋の欄干 公園を散策 もうひとつありました。

「和合橋」 昭和二年十二月架橋 
前回見つけた欄干

「増島橋」欄干 淀川の北部を並行して流れていたのか!
 移動しました。 

立派な門構えの家です。

  そうそう、この塀の先に道標が
  
この塀には 瓦が埋め込まれていました。
 
正面
☞(右) 厄除・安産 正権世音 瑞光寺道 同江口道 
 瑞光寺 は クジラ橋 で有名です。

裏面 すぐ 大阪道

左面
☜(左) 吹田 富田 茨木 道
この道標は もともと道路の反対側に立っていたものでしょう。
再度考察 2017/5/11
 立っていた場所が違う。三叉路に立っていた。
写真:  
 現在一柳家の③番に立っているが
 一柳家の道標は ④に立っていた。と考えられる。
 吹田から来た人が「すぐ おおさか」を見る
大阪から来た人は「☞ 瑞光寺道 同江口道が最初に見える。
 橋の親柱2基 「和合橋」「増島橋」は移動している。

⓵②は道標が立っていた場所
表示
⓵ 「右大阪」「左ずいかうじ(瑞光寺)、吹田、江口」(文政十二年)    
② 「右大坂みち、左すいた、江口わたし」「左大さかみち」 

 大阪から⓵②から右は江口ですが、 北摂から来た人たちの案内で、瑞光寺と同じと考えると理解できる。 
 両方とも 江口とすいたが同じ道になっていのと、一柳家の道標も 瑞光寺と江口と同じ方向を指している。江口の道はこれと思われるのが交差点④です。
これは2つも 立っていた場所は現在の場所からはなれ、④までのあいだのどこかに立っていた。と考えると理解できる。一柳家の前がそうなるのではないですか!
 



妙見宮、柳谷 権世音の銘が読み取れる 嘉永六年

大峰山 三十三回記念として建てたものです。
上は黒いので 火災にあったのでしょう。

ここいらの自治会長さん
前回の「国次町」について教えてもらいました。

ここの地名 あざ名「増島」(ましま)から「国次町」に変更したのがこの方のお父さんです。
刀鍛冶の「国次」が祭ってある寺が淡路の西方にあり、それにあやかって「国次町」とつけられたそうです。
「もともとは境界線道路にあったが、自宅の敷地に移した。」といわれました。
ここで終わります。
この後、阪急淡路を目指します。
歩いた距離は 阪急吹田駅から浜屋敷から菅原1丁目そして
淡路を目指しました。 
迷い迷い ようやく着きました、集合の時間に遅れること20分でした。
車に付いているカーナビ、「これはカーナビ私用に必要だ。」
淡路で道路に「街道のマーク」がありました。
またまた、歩くといろいろぶつかります。

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亀岡街道  まよいまよい 新しい発見が・・・・    (前回の調査) 2011年4月25日月曜日

2013/03/20
東淀川区東部 Ⅰ                 2011年12月9日金曜日         
東淀川東部の探索 2―1    2012年1月3日火曜
東淀川区の探索 2―Ⅱ     2012年1月4日水曜日
東淀川区の探索 2―Ⅲ 後半 淡路まで 2012年1月5日木曜日
東淀川区東部探検 Ⅲ 2011年12月12日月曜日
東淀川区探索 Ⅳ 江口の堂 2011年12月13日火曜日
東淀川区の探索 Ⅴ 2011年12月22日木曜日
一挙に 三千橋個! 水の流れない川・橋 2011年12月12日月曜日

浜屋敷「加賀眞砂子文庫」資料より 3

ここには、いろんな資料がありました。
一部を紹介します。

大正11年から昭和28年まで 大阪市市役所前

市役所に問い合わせましたが 分からず
現在の道路元標
まだまだ ありそうな予感がする。

浜屋敷「加賀真佐子文庫」にお出で下さい。
次回 開館日 5/28日(土)13:30~

JR吹田駅が近い
連絡いただければ 阪急電車北千里線吹田駅から案内します。
前日までご連絡下さい。
 090-7349-0809
  6月の予定 6/11(土)、6/25(土) 13:30~ です。
 

『 ☞  吹田 』 の道標 大阪市立博物館 研究紀要 

浜屋敷「加賀真砂子文庫」資料

小野原にかっこいい道標が
  箕面市の資料にもありません。
  箕面市立郷土史資料館館長に連絡をしなければなりません。
大阪市立博物館 研究紀要 第5冊  1972 (昭和47年)

右端は 小野原の東端にある「左 京 伏見」道標
左端は 新家の勝尾寺の鳥居の傍にある「勝尾寺二階堂道」

 そこで 上の写真の中央です。 ボリュームある道標です。
この界隈では 珍しい ☞ の表示で
『 ☞  吹田 』 

これは 小野原にあったという道標です。立派です。


小野原での調査 小野原探索 山田・上新田、失った道標、
 

2011年5月16日月曜日

点と点   つながるか? 露天神社 大阪三神明


露天神社 の境内で見つけた、下記の「立て看板」です。

浪速(夕日)神明社
夕日の神明社、朝日の​神明社、日中の神明社​・・・「大阪三神明」
これと、次の写真がつながりました。

神明社 歴代大阪城代が参​拝していた。
現在の首相が伊勢神宮にお参りするのと同じか
この地で、無事仕事が終わるように・・・

神明社舊跡