2012年8月31日金曜日

春日神社  昭和57年8月 福西茂
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        「福西 茂 画集」
                     「福西 茂 画集 Ⅱ」
        「豊中の史跡たずね描き」
        豊中市立図書館

なくなった 像   ラ・ベンタの巨人頭 サボテン公園

昭和58年5月7日 福西茂
今はない、服部緑地公園東側のサボテン公園
今は 奄美大島に移転 

2014年のサボテン公園は こちら

奄 美 ア イ ラ ン ド 「原野農芸研究所」


2012年8月29日水曜日

忘れられた橋  新庄小橋  中島大水道跡

水の流れない川 として最初にとらえたのがこの写真 
それ以来 歩いて気づいたら写真を
これで、この写真の川の流れない橋、「新庄小橋」という点と
「中島大水道」という線が結びつけることができました。
三千樋から増島橋、和合橋から 淡路を通り十三、・・・・7
 
新庄小橋は 中島大水道の跡であることがわかりました。
「小橋」ですから 別に「新庄橋」があったものと思えます。
この道を線路沿いに東に進むと中央分離帯がある大きな通りに出ます。
それが 中島大水道跡だと考えられます。 
車線の部分追加  2013/10/30  
東淀川区史より  加賀文庫にて


 一挙に 三千橋個! 水の流れない川・橋
 忘れられる橋、水の流れのない橋、こちら
 増島橋
 和合橋




2012年8月28日火曜日

報恩寺 境内  桜井谷 街道を表示

麻田家紋瓦
鬼瓦
  

麻田藩主邸玄関




天井

明治19年の地図 
中央南北(黒い色)は千里川   
右に見える道が旧箕面街道(黄色)
赤色は勝尾寺への道
左に見えるのが 能勢街道(水色
は柴原から半町への道

早い 福知山市役所 それを気付かない人がいる 迷惑メール

先日 下記のメールを福知山市に送りました。 
送付当日は ドッコイセ福知山花火大会」の日で 市の職員全員が総がかりであったはずですが
そんな中 2日後には メールを頂きました。  私 メールをチェックしていますが
「おそいな  おそいな 」と思っていました。  迷惑メールに入っていました。
大変失礼をいたしました。
 

以下 依頼のメール  15日
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 私、「北摂の道標」を調べています。もう一年前になりますが、吹田市江坂で
見つけた道標の旧所在について福知山市役所に問い合わせた者です。市の対応により、
福知山城郷土資料館よりご指導を頂き、調べた結果 この道標の旧在所は福知山市上天
津の175号線(旧宮津街道)と府道527号線の交わる三叉路にあったものと推
測されました。その節はいろいろお世話になりました。
 その内容は 下記のブログにて紹介させてもらいました。
http://katuozi.blogspot.jp/search/label/%E6%B0%97%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E7%9F%B3%E7%89%A9

 その道標に関しましてもう少し、確証を得たいので 次のようなことをお頼み
申し上げます。
なぜ 上天津の道標が約100キロ離れた大阪府吹田にあるのか疑問ですが
1.建立者 「当村願主 松原庄右衛門」者を探してもらえないか。
2.上天津あたりの江戸時代の旧村名が分かりました教えてください。
3.上天津のその他の道標 福知山市史道標編 に記載の道標以外の物
4.上天津の郷土史家を紹介していただきたい。

(右面) 文政十二年
(正面) (僧像) 右 みや津 七リ  なりあいへ  九り
(左面) 当村願主 松原庄右衛門 

よろしくお願いします。
返信メール  17日受信
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1 「松原庄右衛門」は不明です。
2 「上天津」の江戸時代の村名は、正保郷帳(正保4年-1647)では「天津
村」(1280石、上天津村・下天津村をあわせた村名)。慶安2年(1649)「福知
領御朱印高・浮之高・家数人之員数帳」では「下天津村」(241.635石)と記載
されていますので、江戸時代の村名は「下天津村」です。
3、4 その他の道標、郷土史家
  天津の赤井信吾先生を御紹介します。事前に照会についてはお伝えしてあり
ます。

以上、よろしくお願いいたします。

福知山市  □□□□□ より
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9/02  延々36分間の電話  
 紹介された 赤井さんに電話  赤井さんは上天津の自治会長をなされていて、
郷土史には詳しい方でした。 私の資料が欲しいということですが
インターネットをやられるのであれば 「北摂の道標」で検索してください。
要件について概略
 上天津には道標はない。
 上天津には松原という姓はないとのこと。
 

 資料をお送りすることで電話を置きますが  その前に
「一度 福知山においで下さい。」  この言葉、前にも聞いたことがある。???

そうだ福知山城郷土資料館のカワモトサン
「一度 福知山においでください。」と
  2011/8/29 宮津へ調査に    2012/8/2 福知山訪問
 自分の郷土を愛していることでしょう  えらいな
私たちは 「一度 吹田においでくさい。」と云わねばなりません。

もう一つは 元興寺研究所の狭川真一さん
「一度は 奈良においでください」と  いわれ、奈良正倉院展へ


 
 
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8/28 
 もう10日も経っていて 私が返事しないのが 遅いと思っておられるでしょう
あす、担当者には 電話でお詫びをします。

 今年の夏 福知山に行きました。
 明智光秀の福知山城へ
 
 歩くとなにかが 福知山探索
 
 残り少ない 夏休みですが これを確認の為福知山に行かなければなりませんか




 

2012年8月27日月曜日

疑問が晴れる  地蔵堂と大きな木  幽霊に・・・・ 写真追加

「雨の森」地蔵尊  写真見つかる
地蔵堂 (刀根山2丁目) 柴原道沿いにある地蔵堂
柴原村の「雨乞い神事」の出発点


幽霊になった代官 速水治左衛門  ⇔  甚内
   (仇討芝居 浄瑠璃「敵討(かたきうち)崇禅寺馬場」兄弟の墓を崇禅寺に建てる。)
   墓は 梅林寺 戒名「本性院□不背居士」     建立甚内(法名 「浄誓」) 

  
   別の墓 「野村泊月」の墓 

柴原霊園
   北向きの地蔵  願主「浄誓」 (甚内)
  
六地蔵  元禄七年二月(1694)   
   阿弥陀如来像  寛政10年9月(1798)台座に記載  

 「尊じょさんの お迎えとお送り」  盆の13日と15日


その1   写真見つかる! 2012/09/30
 地蔵堂 (刀根山2丁目)  雨が森地蔵堂 
  「千里園3丁目公園」道を隔てて北西に地蔵堂がある。 柴原街道 
  写真を探すが何枚も撮っているのだが見つからない。なぜこんなところに地蔵が
  後で 柴原街道となったし、柴原の道標もみつかった。
  それ以上に 「わが村わが町柴原」桜井谷村史で
  ここの北東に「雨が森」があって この地蔵は「雨乞い」神事の出発点であった。
電柱の住所から 刀根山2丁目5である。

その2
 大きな木

  柴原公園から西へ上がると  柴原道
  ここには「牛廻し」(牛参り)という松の木があった。 柴原町4丁目


中井山3号古墳(太鼓塚古墳) 現在桜井谷小学校校庭 
  7世紀前半  横穴式石室 円墳 須恵器の陶棺
 
 
資料

2012年8月24日金曜日

変貌する町並み 淡路 車中から


何時もと違う 淡路駅のホームから 看板が取り除かれ こんな光景が
あとは 電車の中から
 
 
 
 
 

歩くと見つかる 地蔵 チキンラーメン無料試食会 池田市

立派な地蔵さんです。
今年も何回か通っている道ですが こんなところにというわけで
場所は ここです。
 

阪神高速神田

ダイハツ南門の前です。

大きなセンダンの木の下です。
試食会を行っていました。
この通りは人が多い。
時々電車で見るのは 試作したチキンラーメンを持っている人です。
 

地蔵尊祭り  がんがら火祭り 本日24日 池田市

研修会 
がんがら火祭り
 
 
地蔵尊祭り 地元の人が飾り付け  池田は地蔵が多い

 
 

 





阪急電車池田文庫

 今日24日 がんがら火祭り  建石町でした。


 

2012年8月23日木曜日

「戻そう 福知山へ」 「元の場所へ」

元の場所へ  「道標を戻す運動」を起こしました。

古い歴史で庶民の文化を知る手掛かりになる道標
昔は 修験者、観光、商売には 歩いて行かねばならず、途中で道に迷い
野垂れ死にする人もあった、そのような時代に行脚するひとは道路の辻辻にある道標を
「ありがたい ありがたい」を手を合わせ、旅路を急いだのであろう。
 歩く旅から電車、車などの交通手段が変わり、道路もバイパスなど道路拡張などにより、道標が移動され、忘れられ、なくな道標が数多い。

そんな中 場所を変えて現存する道標も数多い
 ここに揚げる道標は 現在 吹田市素盞嗚神社境内 油かけ地蔵横の石仏群のなかにある。
下の石物である。 
高僧像 右 みやづ 七り  なりあいへ 九り
距離からこの道標を元あった場所・福知山市上天津 の三叉路です。
これまでの経過と考察は 「気になる石物」で確認してください。
何故 吹田に、九〇キロも離れた場所にあるのか不明である。
 この道標は 福知山の人に知られず、このまま大阪においていていいのだろうか!
道標自身も元あった場所に安置されるのを望んでいると思います。
現在再調査中です。

もう一つの道標は 同じ江坂にある「江坂西西道標」である。
これまでの調査結果はこちら

立木観音 2010年12月

立木観音 2度目 今回は山道から






いくつもの 案内が 右立木みち  弐拾丁










弘法大師(こうぼうだいし)を白い鹿が瀬田川を渡る。
鹿は観世音菩薩に姿を変える。
古くから「厄よけ」観音と云われる。

そして道標が
右 いし山道  四十二丁

左 うぢ道  ふしミ道  これは古い道しるべです。
最後は 鐘つき堂へ