2013年9月30日月曜日

源流探しに 山田川  写真を追加 濁池が濁池でない! 

検索に「・・・源流」がありましたので
ちょっとチェック 北千里から青山台へ
古道を見つける。
 
奥に見えるのが「青山幼稚園」 右側が青山公園  水は透明
 
下流を見る   青山台2丁目 「合歓の木道」です。
これ以上は 溝は見当たりません。 そのまま山を登ります。
ここが谷の終わりか
これから下ります。

青山台小学校と青山公園に架かる「やなぎ橋」

谷を変えます。蓮間池の谷

赤色しています。これから上流は見ることができません。

北千里公園入口交差点

濁池 2013/12/10 撮影 天候が悪い

ヨシ と水草  昔のように濁っていません。

戻って 北消防署を左へ

左は大阪大学バイオ関連多目的研究施設
奥の左側が「弘済院」です。

これは途中ですが 源流の方はまかりづらいのでこれにしました。 水は流れています。源流は赤いかもしれません。 赤水でも沈殿してしまうと透明になります。
下流です。地蔵を見つけましたので さらに下流に行きます。 写真上方に赤い橋がみえませう。
***************** 付近の状況 追加
 
   
そして向こうに見えるのは「大阪大学バイオ関連多目的研究施設」です。

ここで 道が亡くなっています。  道はなくならない物ですが、
開発では、自由に道をつくります。それが開発です。
この道 旧道でしょう。 弘済院の前の道・中央環状と平行に走っている部分は このように道が広くとってあります。 この道は 「石公橋」から「泥池」 「濁池」への道だと思います。
明治の地図を参照してください。
 
弘済院入口左手  源流
  
弘済院の前  右が中央環状
泥池泥池 濁池、濁池と言われ、水が濁っていた池がある。
例えば 牛ケ首池の色が濁池と同じだった山田の「濁池」、 
その濁池が、今年はきれいになっている。
万博公園側の土手が崩れてきていたので、セメントの石垣が組まれた。そのことが原因か?
万博から、湧水が出てきて、土手が崩れていたと考えられる。工事後
水が透き通るように本当にきれいな水でもう「濁池」を「濁池」とは言われない。
もう一つ 何処から水がわいてくるのでしょうか!

源流探しは無理がある。
あとで地図で確認すると、今日撮った源流写真は全て、地図で記載されている終点・始点・源流となるので地図で確認するとよい。
私も北千里で「こんなに水が流れていたらひょっとしたら源流が見れるか」という気持ちでたんさくしました。
結果は上記のとおり、源流は見れません。 源流探し 高川
ただ、桃山台の「春日大池」や南千里の「牛ケ池」 雨の後などには水量が増えるのを見ることだ出来る。これが源流でしょう。 南千里の湧水も源流
ただ、新しい発見があります。 弘済院で地蔵を見つけたことです。
おもしろいです、近場で源流があること、 でもコンクリートの溝では万博公園とおなじで

  蛍は飛びません。  
   ヒメボタル調査  吹田市
   ヒメボタル観察  市天然記念物
   まち案内人研修 Ⅰ  高町池

   ほたる 飛べない「ヒメボタル」  
   他のブログ


源流さがし  湧水が

今日は、近場探索① まちを歩くと、珍しいものが 2015年1月19日月曜日

ビックリ 千里丘陵に源流! 2014年7月11日金曜日

その後の天竺川は こ ち ら     2010年2月2日火曜日

2013年9月29日日曜日

またまたみつけました、地蔵 これは吹田の何処でしょうか!旧道 弘済院


探索すると何か新しいことに遭遇する
この地蔵のいわれは!
川の源流の谷筋を探索していましたら
お地蔵さんに遭遇しました、
新しいと思われますが・・・・・
ちょっと違うようです。

台座が黒く焦げています。古そうです、
 台座と立像には 溝が施されていて立っています

台座に溝 これも珍しいですね!
この地蔵さん何処にあるのでしょうか!
一般の道・街道から外れていますので 何処からかもって来たのでしょうか
ちょっと分かりませんが、よほど通でなければわからないのではないですか!

この地蔵さんのことは、吹田の資料等では見たことがありません。
また、なんという地蔵ですか?
 それにこの横の道が存在し、古道の名残のようです。
さらに探索します。
以前にもここに来たことがあるのですが、その時は
そこにいた人が「そちらは行き止まり。」といわれたので、
引き返しました。
*********************************** またもや問い合わせ
翌朝 山田在住の郷土史家に電話で問い合わせ
「先生、■■にある、この地蔵知りませんか!」
「■■に地蔵があるとは聞いていない!」資料にも載っていなかったしな!
「また、見に行きましょう」で話が終わります。ですが別件の話

「石公に橋があった、その親柱を探したいのだが!」
「私もだいぶん探しましたが、見つかりませんでした!。」

池田の「絹延橋」、 東淀川の「和合橋」、
まだ掲載していないが「大物橋」などは別な場所に保存している場合もある。
忘れられた橋
まだまだあるか 資料に掲載されていないもの!
この地蔵 「吹田こんなところ!新しい発見あり 」に追加しました。
 この道 旧道でしょう。 弘済院の前の道・中央環状と平行に走っている部分は このように道が広くとってあります。 この道は 「石公橋」から「濁池」への道だと思います。

追加。
旧 道

より大きな地図で 弘済院の地蔵 を表示
左から 「石公橋」  中央が「弘済院の地蔵」 右端が「濁池」

赤色の道が「石公橋」から「濁池」への道
黄色の端は左が「上新田村」 右は「山田村」
黄色が山田街道、水色が小野原街道、合流が山田三つ辻
赤と黄色の接点が「石公」、赤と水色の交点が「濁池」 
この道は下の地図で ・・・・・・・で見ることができます。

明治18年の地図 
黄色が山田街道   水色が小野原街道
 

2013年9月28日土曜日

ミステリー 一中に古寺の礎石か?


豊中退教だより 2013/09/25  高市光男
以前ここに取り上げた物が ミステリーに
先生も忙しいそうです。
問題を提起し、池田までいかれたとか 申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。
第8回 信州旅行 を計画 11月5日(火)~11月7日(木)

高市先生にさっそく電話をしました。
原稿がコピーでしたのでどうしてもこのようになってしましました。、
そこで、元の新聞を送ってもらうことにしました。
早速メールが届きました。 ありがとうございました。
送り主は私も知っている、お世話になった、昔の同僚です。
現在も元気な様子でテニスをやっておられるとのことでした。


豊中退教

だより

2013年9月25日

126号

〒561-0874

豊中市長興寺南3-5-11

全教豊中教職員組合気付

豊中退職教職員の会 発行









ミステリー
一中に古寺の礎石が?
                       高市光男

 まだ寒かったころ、上村和功氏から☎が入った。「一中に古いお寺の礎石があるで!」氏は一中で技術科の教師を務められていたころの知人である。退職されてから?文化財に強い関心を持たれ、ことに道標の調査は右に並ぶものはない。貴重な文化財が廃れていく現状に常に怒っておられ、いつも、何とかせい!と投げかけられる。

 さて、話の続きだが、まとめて言えば、本町の看景寺に金寺廃寺の礎石があるが、それにそっくりなものが一中にあるのだという。

 私は一中に13年在職し、すみからすみまで知らぬことはない。でも出てから28年になるからそれ以後のことは知らぬ。かといってそんな大切なものを持ち込むことも考えられぬ。そこで一応調査することにした。看景寺の礎石は門をくぐった右手にあり、文化財としての説明板もあった。200160くらいの石の中央に径64㎝の穴が削られ、さらにその中央に径8㎝、深さ10㎝程の穴がある。この部分は舎利穴とてシャカの骨を納めたものという。この寺は7世紀後半のものと「新修豊中市史」にみえるが、礎石のことは書かれていない。

普通礎石の柱台は凸状であり、この礎石のように凹状というのは知らなかったが、五重塔などの心柱にあたる部分であったからであろうか。

 さて一中の手水鉢であるが、なぜそういうかと言えば、私が一中時代からそう信じていたからである。中庭の校舎際の植木の陰にあった。そこになければならないという必然性のあるものではなかった。植木の葉や土ぼこりが積もって、きたならしいので何度も掃除をした記憶がある。今改めて見ると、昔の通り木の葉や泥で満杯になっていた。28年分の誇りだろうと思う。造りといい、周囲にある幅5㎝の帯状凸起も、おそらく底にある舎利状の凹みもないであろう。スコップを持参、土をどけてみれば!と上村氏に言ったが、未だ果たせられていないのではと思う。

 さて、次に疑問が浮かぶ。なぜ?不要の長物に近い手水鉢がここにあるのか?ということである。

 一中のあったとこは墓地だったと聞いたことがあるが「沿革誌」には書かれていない。法務局で土地台帳等で調査中ではあるが、その伝に間違いはなさそうである。「昭和の初め、小林一三(阪急)が曽根駅周辺に高級住宅地の開発に取り組み、自らもこの地に居住した。その関係で駅周辺の墓地の移転にかかった。その経緯は明らかではないが、追々現在の原田南町の原田曽根霊園に移した。そしてこの大きな厄介者が残されたものと思われる。

 法務局で土地台帳を調査したところ、原田村共同墓地、曽根村共同墓地は隣接してあったが昭和5年山林として地目変換の上同志土地に売却したこと。さらにその土地は一中の敷地には含まれていないことが明らかになった。その場所は曽根駅前に接し、一部道路ともなっているようである。

 さて、もうこれ以上の展開はなさそうである。あゝ!ミステリー


人気の西国街道 リレーウォーク 

9月21日(土)歴史街道講演会
「時代でつなぐ西国街道 -古代・中世・近世-」

西国街道リレーウォークの第1弾。
【定員に達したため、申込を締め切りました】
 
高槻での講演会でスタート。会場150名、予備会場36も満杯。
会場からあふれた方は、レジメだけでもと50名以上の方が並ばれる大盛況。
街道への関心の高さが伺えます。 

池田市立歴史民俗資料館 特別展示 10/18~12/8
北摂麻田藩の財政再建  ???
地名にも載らない「麻田」、その昔、麻田藩は唯一の外様が支配していた豊中の蛍池にある。
幕末までつづいた1万石のお殿様です。
その遺構が現在も残っています。
報恩寺   麻田藩藩主青木氏の屋敷の表玄関がある。

***********************************
人気の西国街道 
ミステリー? 西国街道リレーウォーク②
ミステリーの解明





2013年9月27日金曜日

水運で栄えた吹田村  太陽の塔もありますが 大学が4つもありますが

ネイチャーホスター対象 「吹田散策」  ☆シニア自然大学校卒業生

ようこそ 文化と歴史の街へ
「水運で栄えた吹田村」
          歴史と文化のまち
 2013年10月19日(土) 10:00 阪急京都線相川駅集合
 持ち物 弁当、 水筒、帽子、雨具、歩きやすい服装で
 コース 相川駅1000 「吹田の渡し」→「高浜小橋」→「大の木さん」→1100「旧西尾邸」→「浜屋敷」→ 南町道標」→1230「高浜神社」→「吹田街道」→「園満寺」  →1400「泉殿宮」→「アサヒビール吹田工場」15時アサヒビール→  
 



 A:相川駅 新京阪電鉄京都線1928開通 大宮まだ伸びる後に阪急と合併。分離後(1948)阪急に 新京極の名残が橋の親柱にあります。 
K:旗本竹中家陣屋跡・吹田市発祥の地
 吹田村・吹田町・吹田市役所跡  済生会跡
 L:高浜神社 天平七年(735)にはすでに
 吹田大宮として存在していた。 
また貞観十一年(869)には素盞鳴尊
(牛頭天王)を合祀して疫病の流行を
免れたという記録もある。
御神木「鶴の松」、古い灯篭:江戸初期
 B:神境町春日神社歴史は古い、天満の神輿を一時預かったなどの言い伝えが残っている。ダンジリを持つ町ですが、現在は高浜神社の御旅所
 C:亀岡街道・吹田の渡し
 D:吹田の渡しの案内板 カラー版が阪急吹田駅地下道にある。大阪と北摂の入り口  子女郎稲荷、 菖蒲池 伝承が残っている。
 ☆ 三方会所・建前地蔵 江戸時代3人の
領主により統治されていた。その会議する場所
と立札を立てていたところに立つ地蔵 
現在は浜屋敷へ? 
 E:新高浜橋・高浜小橋  堤防があった。 南江口からの新運河M11 高浜防災船着場・災害の時の船着き場  ラッパのマーク 
 ☆明治期のメインストリー:吹田街道 
吹田駅が今より西へ200メートルのところ
阪急の駅の近くにあった。
 F:泪池・ 松の音善蔵の墓:川面墓地: 済生会病院の創設者の墓 
 M:常光円満寺 聖武天皇の天平年間 
 行基の開祖とされ、七堂伽藍、13坊を有し、
大きなお寺であった。浜の近くにあったので
「浜の堂」と号し 武士に人気があったが、
応仁の乱の兵火で焼失 
寛文12年僧教範によって再建された。
 G:大の木さん 鎌倉時代西園寺公経が別荘を構えた。「吹田殿址」の碑、泉殿宮の御旅所
 H:仙洞御料:上皇の領地の庄屋屋敷旧西尾邸 電話は1番、電気も1番 若くして亡くなった音楽家貴志康一(大阪市太閤園の庭に碑あり)の生まれたところ、
 N:泉殿宮 貞観11年(869年)里人は建速須佐之男大神を相殿とした上で降雨を祈ったところ
境内に清水が湧出したという。
明治22年(1889年)この清水はミュンヘンにて
「ビール醸造に最適」と評価される。大塩平八郎の叔父が宮司で切腹し、島流しになる。
泉殿宮神楽獅子は伊勢神宮の流れをくみ
大阪の天満宮とのかかわりがある。
 I:浜屋敷 庄屋屋敷「気比家」跡 7台の一つダンジリの見学ができるが今日はイベントのため見学できない。文化財愛護委員の加賀文庫がある。
J:南町道標 亀岡街道と吹田街道の分岐  この付近にその他に2基ある。 明治になり、新高浜橋ができ、亀岡街道は高浜神社宮前通りに変更

旧西尾邸で生まれた 天才音楽家「貴志康一」コンサート
 11月4日  会場 旧西尾邸 13:20~16:00

第4回すいたティーンズクラシックフェスティバル
甲南学園には「貴志康一記念室」がある。
******************************************
吹田こんなところ! 新しい発見あり 
おいで下さい すいたへ 

歴史を知り、地域を知る・・・ 子どもたちに伝えたい
郷土愛を育てる 

吹田郷土民話すいたきょうどみんわかるた  吹田郷土史研究会
天然記念物 「ヒメボタル」
大好き 万博記念公園
山 田 村
吹田の市町村合併 

2013年9月26日木曜日

人気を先取り「東洋の魔女」・ユニチカ記念館 「尼崎界隈を歩く」案内 

明日開催予定の「尼崎界隈を歩く」に関して
天候が危ういですが、開催予定です。
私も10時30分には阪神大物駅に行きます。
その後の開催中止は次のサイトをご覧ください。

http://wwwpc007.blogspot.jp/をクリックしてください。
先ほど 携帯から送信されたものが表示されています。
歴史のまち 尼崎城 ニチボウ・ユニチカ記念館
おいで下さい 尼崎へ 

 吹田郷土史研究会

期  日 10月16日(水) 13:00 ~  16:30
アクセス
 阪神梅田駅  →  大物  180円  所要時間 15分 帰りは阪神尼崎から 230円
        6人揃えば 回数券で180円→150円、    
 
食  事  
 阪神大物駅下に コンビニあり  食事場所:大物公園内 
 梅田の阪神百貨店地下1fで食べるか
 大物駅近くの県立尼崎病院の地下食堂で食べるか

解散 阪神尼崎駅  反省会
 多くの店がある。 

阪神大物駅  大物の散歩道  県立尼崎病院の地図

より大きな地図で 大物 を表示
****************************  尼崎歴史がいっぱい
歴史のまち 尼崎 城跡 貯金箱博物館

2013年9月25日水曜日

おいで下さい すいたへ 

吹田案内 

吹田市内案内がありました。吹田市観光ウェブhpより 
「一度はおいで下さい すいたへ」 

すいたはこんなところ !!!!


2013年9月22日日曜日

吹田市観光講座終わる

「吹田の地質と三名水」
     講師 安倍亮介 吹田地質学会前副会長
 
   天保7年1836年 摂津国名所跡細見大図絵
この地図から 
1. 多い「牛頭天皇春日明神」
2. 泪池
3. 円塚
4. 現存しない寺 垂水 恭松寺?
5. 三所明神、五社明神、七社明神などがある。
6. 上新田、熊野田、下新田あたりに「行基山」あり、「一本松」が紹介されている。
7. 廣芝が高川の西にある!
8. 渡しでは 吹田、下流に榎、コリ子の渡し??、三国の渡しになる。???

渡しの利用している地図は下記。
幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回作成 、
全国規模で国ごとの地図が作成されました。  
村名と石高、山、川、街道(赤で)等が描かれている。  感想はこちら
元禄摂津国絵図(1696~1702) 重要文化財
多くの参加者がありました。盛会です。 43名
今日も飛び入りで参加  岩崎さんも来ていました。
閉会のあいさつ
 

「吹田の地質と三名水」 吹田市観光講座  案内

 
吹田市観光講座 ⑤
 
*****************************************  以前の講習会  2011年度
新しいことを見つけに!

吹田まち案内人講習会 Ⅰ

まち案内人講習会Ⅱ

吹田まち案内人実習

まち案内人研修 Ⅰ

吹田まち案内人養成講座

吹田まち案内人養成講座 Ⅲ  

勝尾寺表参道の大鳥居 ⑨


福田館長の紹介あり。

2013年9月20日金曜日

吹田の歩き  また新しいことが 石龕・石祠 2014/01/12

再調査 2014/01/19 
気づきませんでしたが 上を見上げると

火の見やぐら跡に サイレン搭が

再調査 2014/01/13
先日 芝田町の「六観音・六地蔵」の探索はできませんでした。
知っている方何処に行ったか教えてください。

が、天津神社がわかりました。 その中からまた新しいことが
 南吉志部自治会 
    天津神社
 
『日本書紀』、『古事記』に 神功皇后に反旗をあげた忍熊王が大津で殺さたときその首を、配下の武将が岸部の天津神社に持ってきて埋めたという言い伝えがある。その武将が吉志氏の祖だと。
 難波吉師霊燈? 剥離して読み取れない。

 天津神社

 

開けさせていただきました。  中は これです。 吹田では珍しい「石がん」  
 
2基目となる こちら   1基目は市場池は こちら
再掲  一度撮ってあるはずですが 見つからず再調査


 
リンク機能が働かず、修正が出来なくなりましたので 一時中止 

一般的に石造の扉ですが、これは木の扉、開くことが出来ませんでした。
中には地蔵か、壁面に像が彫ってあるかです。


 「石がん」の説明はこちら 

市場池の祠  2009年10月29日木曜日
元興寺文化財研究所 2009年10月30日金曜日
泉大津市  多くありました。2009年11月11日水曜日
西宮市  2011年1月30日日曜日
山田市場の地蔵塚???? 吹田で唯一「石がん」、 2013年9月5日木曜日
交野市の石造文化財 Ⅱ
これ以上は調べられません。  


近くを見ると
キンカンです、 根の方を見ると  
植木鉢に植えてあります。植物の生命力って、すごいですね!

さて、以下の写真は  訂正2014/01/15
浜屋敷でのボランティアから帰る途中  
記載漏れがないように写真を記録しておきます。
亀岡街道に沿って帰ります。 向こうに見えるのが
JR吹田駅前の「メロード吹田一番館」 この写真は下の写真と全然関係ありません
撮影 2010/12/10
祠があります。
左側の祠には 地蔵が祭ってありました、 「出口地蔵」
(追加 これが 天津神社)
もう一つの記録は 「五位橋」の上流の写真

こちら