2010年8月31日火曜日

むかしむかしのはなし

千里ニュータウン むかしむかしのはなし

石井俊子   1977

2010年8月30日月曜日

下新田村郷土史

下新田村郷土史
吹田市春日町青年部 昭和37年2月25日

同じ地域の郷土史 「春日郷土史」 2002年
「春日をよくする会」発足20周年記念事業実行委員会

吹田郷土史 論文募集

加賀眞砂子文庫の創設を記念して

吹田市域の郷土史に関する論文を募集します

特定非営利活動法人 吹田歴史文化まちづくり協会

加賀真砂子文庫 第2・第4土曜日に開館
浜屋敷蔵棟 多目的室

2010年8月24日火曜日

絹延小橋???? 荒木塔  資料館


移築  現在橋の立て替え
移築先は 池田市立図書館


その横にある祠  今は草に覆われています。 
この時はそうでしたが 最近の様子14/01はこちら

「荒木の塚(荒木村重)」 江戸時代の池田村絵図に、このあたりに「荒木塔」という小さな塚えがかれています。池田が持つ豊かな文化性を象徴する資料として重要です。

「榎木の渡し」からぐるり


十八条墓地


地蔵さん 文化二年

榎木橋 神崎川を渡ると吹田市

神崎川 榎木橋より上流

神崎川 榎木橋より下流
めいぼの渡し跡  高川と神崎川の合流地点

高川  神崎川対岸から

江坂の稲荷神社  榎木橋から横関街道を北上する

2010年8月23日月曜日

吹田のおもな古みちと道しるべ


吹田の道標
現存しないものは「×」印 3カ所
  今の万博公園内にあった・山田白頭道標
  山田街道から泥池に抜ける弘済院西の 山田公石橋道標
  三国街道沿いにあった 下新田道標  である。

2010年8月14日土曜日

今津っ子さんより電話あり

今津っ子さんより電話がありました。
 私のブログを見て感想を頂きました。  有難うございます。
 私からの質問は
  大阪市内の道標の資料があるのか!・・・・ないようです。
  また、南側の道も、西側の道も消滅しているので、旧街道とは言えない。
 ポツンとある道標をどのようにして、見つけられたのか! 疑問でしたので
 聞きますと
 「昔の地図を今の地図に重ねて歩いてみたらあった。」ということらしいです。
 なるほど、なるほど 
 現在ない古い旧道を探す探検家ですね! このような捜査方法もあります。
   またまた、一本取られました。

 北宮原村    山口村



 西宮で道標を調べておられる池田市立図書館に「荒木勉氏が池田の道標の本を寄贈した。」との事です。
  それなら、一度 図書館へと思っています。
  それに、荒木勉さんが今津っ子さんに道標の資料を渡されるとのことです。
  そんな方なら私も一度お会いしたいと思います。
  今津っ子さん
  後日、よい知らせが報告されることを待っています。

 
    

2010年8月12日木曜日

勝尾寺への道標11 宮原 東中島 横関街道


以前に「今津っ子」さんから指摘のあった道標 2基調査
以前に捜索に出かけましたが、分かりませんでした。
今度は入念にと思い地図で探しましたが、そのような道はありません。
覚悟して出かけました。

立派な道標です。 
大きさ 23x22.5x100
(南年) 左 ミの かちを寺
中山          道
池田 伊丹     
(西面) 右 大坂道
(東面) 明治四十年  建

となっています。車の後ろに南向きに道路があったそうです。
右に取ると道路を横断すると大きな宅地になっていて、道がありません。 
これが一つがぽつんと立っていて、思いつきません。
近所のおばあちゃんが出ておられ、この道標のことを聞きました。話してくれました。
「道路工事の際、撤去の話がでたが、前の家の人が邪魔になる物でもないので残しておいてくれ」とたのまれたそうです。その家の人は、西側が自分の生まれた家で長女、何十年まえ、ここに屋敷を構えたらしい。

「ここの道はでこぼこ道で大きさは、いまの半分ほどあった。」
「そこの大通りも半分ほどの大きさで、当時は道路の両側和どぶ川になっていた。」
「ここいら全て田んぼであった。」
「おじいちゃんはもう死んでいない、墓は、東淀川駅の東側にある。」


西側  宮原1-16-16  垣内大三郎

さてもう一つは  新大阪駅の南側になります。
右は東海道線 大阪方面 後ろが新大阪駅
左側の斜めの道を進みます。

振り返ると 新大阪駅



大きな通りにでて二手に分かれます。
道標は 掃除をしている方のマンションの左側の祠にあります。

これも立派な物です。
大きさ 24.5x21.5x86
右 本ん庄
北 かち於じ
左 よこぜき


こ のビルの所有者が話をしてくれました。
今日はついている、相手が話しかけて頂きました。
「この道標は もっと西にあったものだ。」
(斜めの道からぶつかったところにあった。写真で真正面になければならない。)
「途中折れているのは 空襲によるもの」という話
それ以上は情報を得ず
観音様です。 東中島町1-8-10 


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2013/03/26

横関街道  淀川から神崎川まで 「ざ・淀川」         2013年3月4日月曜日                     
横関は横堰の新事実                       2012年3月24日土曜日
勝尾寺への道標11 宮原 東中島 横関街道          2010年8月12日木曜日
 
追加  2012/03/25 
あなたはどのルートを撮りますか

2010年8月11日水曜日

赤川橋鉄橋  車の中から

道標を探しに 地図もなく西中島へ
途中
淀川にかかる橋
歩道と鉄道が同居




追加
電車が  歩道閉鎖 
倍返し  台風18号 

「樫切山の道標」 吹田

吹田市立博物館所蔵
「樫切山の道標」
吹田郷土史研究会副会長 竹田氏
今回、先生にお願いして、博物館で見せて貰いました。

(西面) 裏 面
すぐ 茨木 富田

横幅 16㎝    高さ 67.5㎝

東 面   
すぐ 山田小川村
左  山田 下 村
幅 12.5㎝
高槻河内屋平兵□  家内

博物館に掲載許可申請し、許可を得ました。
本ページに使用している写真の使用には管理人に連絡してください。

吹田市の道標修正

ある風景  高瀬川 僧行基

高瀬川跡

高瀬川は古歌にもうたわれ、平安時代には
「高瀬の淀」、江戸時代には「守口川」とも
呼ばれていました。
この高瀬川には。僧行基がかけたといわれ
ている橋があり、その橋の遺物と思われる橋杭の
石柱が出土したことから、相当大きな川で、かっては
淀川の本流であったといわれています。

高瀬神社
土居の道
高瀬・世木の道

2010年8月9日月曜日

今日の講師 妙見山はよしかわ先生

能勢妙見山

知っている方も多いと思います。

妙見の三角点
キリスタン瓦とも言われている。
能勢氏の家紋?

右 黒川
左 吉川
明治十一年

妙見口の見つけた「町石」は まだ溝に入ったままでした。

2010年8月4日水曜日

ハイキング 吹田街道 Ⅰ

服部天神から服部緑地 江坂、垂水でアサヒビール

何か新しい物が見つかるか!、解説は!
出かけました。

服部神社まえの能勢街道に入るまで受付の行列です。
 8月1日 今日の参加者1400名



天竺地蔵尊
この地蔵は浜まで流されていたのをここに設置されたそうです。

天竺川でイベントが行われていました。

松並木の残る天竺川服部緑地横

この日は、緑地のプールが一杯でした。

山ケ池 には蓮が一杯です。 その中央に橋が架かっています。白鳥橋

緑地花壇の中央にある梅塚古墳
 
地蔵尊が

こんもりした森は 「観音寺」

道標と案内碑 この道が「三国街道」

向こうに見えるのが高川、堤防沿いに歩くと「小曽根の渡し」
橋「新豊吹橋」を渡ると横関街道

江坂で吹田街道に入ります。その横に立っている道標、
「江坂西西の道標」です。
皆さんが進む方向の道が 服部から吹田に抜ける「吹田街道」です。
皆さん歩くことが趣味ですので、道標などには目もくれません。
ですが、案内板があると時々読んでいる方がいます。
この道標まだ解決していません。奥様にあいさつしていこうかどうしょうか
「しつこい」と思われても、今後の調査に障害になってもいけません。
解決していたらすぐに訪問するのですが、
奥さんは在宅でした。経過を報告しました。
「どうもごくろうさま」ねぎらいの言葉を頂きました。