2008年7月31日木曜日

豊中の道標  

 6/25 「道標」を手に入れました。 昭和50年「豊中市の文化財 道標編」です。 
     昔のことが身近になりました。

       現在残っているのかその所在から確認しなければなりません。 
      ハイキングの好きな方、写真の好きな方、歴史の好きな方、

       色んな分野で活躍されている方 ターゲットを「道標」でやってみませんか!!
     みなさんのお手伝いをさせて頂きます。 

          

  昭和50年発行 豊中市教育委員会  30年前です。 
 こういう物の存在も分からないもので、 
 先人達のご苦労が伺えます。  さて、次の時代に継承するには これも大変です。
   

 6/24 やっと、やっと来ました 返事がありました。 返事を貰っていてこんなことは言うのは失礼ですが、対応がまずい、 私は再度質問しようと思っていいたところですから 13日の質問です、今日 24日 10日間もかかるのであれば 

 「他市であれば、受け取りましたと言うのが一報のはずですが!!」  

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|先日メールでいただきましたご意見につきまして、以下の通り担当課からの回答をお送りいたします。

上新田2丁目所在の道標について

|お問い合わせいただきました、上新田2丁目に所在する「山田道分岐点の道標」につきましては、ご|指摘のとおり、南面に「右 山田いばらき  左 かちをし」と2行で縦書きされており、他の面には年号|等を含めて読み取れる文字がないことを当課でも把握しておりました。現在、歩道上にある新しい標|識は地元で製作されたものとわかりましたので、趣旨の確認も含めて、今後の取り扱いについて協議|をしていきたいと考えております。
|豊中市内にはこのような道標など、文化財的なモノがまだ数多く残されております。しかしながら所有|関係など様々な課題があり、残念ですが積極的にその保護に取り組むまでには至っていないのが現|状です。説明板の設置等につきましても課題として検討中ですので、悪しからずご了承ください。

| <お問い合わせ先>
|教育委員会
|地域教育振興課
|電話:6858-258
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大阪府最古の道標・穴太寺巡礼道

 曽根 市民会館池横















 大阪府最古の道標 マップ    黄色

大きな地図で見る


6/21 泣いていました 
  大阪府最古の道標  宝徳三年(1451)
 草むらに倒れていました、かわいそうです。
 

案内板もありません。 
道標には国宝、重要文化財など見たことありません。 生い立ちが庶民だからでしょうか!

 庶民の文化 歴史を積み重ねた物ですので後世に正しく伝えていきたいものです。 
 大阪府下最古の道標を所有している高槻市は

      どのように考えているのでしょうか。  

案内板のないのは北摂では 高槻市、茨木市、摂津市、豊中市です。

新しい街道案内板を設置した池田市、市長さんも頑張っています。 
吹田市長は7/21「千里ニュータウンのまちづくり」講演会を
建築家 安藤 忠雄と行います。  文化を大事にする市の姿勢が伺えます。 


いろいろな市にメールで質問しました、メールに対す対応についても同じことが言えます。  まずは

1.受け取りました。 返事は しばらくお待ち下さい。   
2.メールでの対応、電話での返事  違いがあります。

2008年7月28日月曜日

箕面の道しるべは箕面市立郷土資料館

箕面市立郷土資料館館長 福田さんとの話
次回の展示物:拓本を色々取ってあります。
「道標は車などで壊されることがあるるので 拓本を取り、複製できるようにしている。」

 1.今宮の「道標」
 2.上新田との関わり 小野原の道標、今宮の道標
 3.街道ツアーを行っている。
 4.勝尾寺に関して 総持寺、中山観音 との 道しるべ (これは 私のページでも紹介しています。)
 5.能勢街道は東に行っていたのではと言う意見でした。 
    「江戸時代の池田へのしし買いの落語」は いや あれは 明治以降です。
 6.拓本を取っていて、後世に残したいと言われていました。
 道標について 色々 お話を頂きました。  基本的には 自分で歩いて確かめると言われ、
 同じような人が居られました。

私からは
 1.上新田の勝尾寺と山田の分岐
 2.上新田で大阪道への分岐 
 3.上新田から分岐後 勝尾寺には 途中で分岐「上の立石」、同じ物か 樫の木池北東の道標
 4.豊中には道標に関する、表札、案内板が無い どうにかしたい と思っています。

先任の残した道標を 後世に正しく残したい。  今 そう思っています。
豊中で 道標、拓本をやっている方居ませんか
  何か やりませんか!  連絡を待っています。


 
 
 

2008年7月25日金曜日

牧落 勝尾寺大阪道 古い道標(府下4番目)

 6/19 箕面街道・西国街道との分岐 箕面市牧落 享保五年1720)の道標
      
 13日に豊中市に質問しましたが、いまだに 何の連絡もりません、 他の市とは大違い、豊中市どうなっているの     6/24  豊中市より返事あり
  北大阪ミュージアムマップも返事がありません、  どうなっているいるのでしょうか! 

           7/24 現在 返事無し メールが届いてないのでしょうか?

  質問 受け取ったというメールでいいのに!


 6/17 大阪道  勝尾寺から大阪へ  今宮、上新田を通るルート  

     池田の 新宅(木部)、東山、久安寺の道標 (池田の道標一部修正)を見てきました。

       池田市は 史跡の案内 「能勢街道」、「余野街道」の案内板があり、


       寛文十年(1670) 久安寺の道標が記されています。



 6/14 吹田市立博物館から電話がありました。

  前にメールで問い合わせた件(片山の道標 3つについて)の回答でした。

       記録がないとのこと文字が見える年代不詳  

   以上
 
  「大阪」という文字が見れるのと、近くに地蔵さんがあるので「道標」だと思いますが!!

  拓本を採らねばなりません、  残念です、 

  その他のことも聞きました、 一つだけ分からない道標があります、 この道標は個人の家にあり

       移築されたものと答えられました。       

 6/13 豊中市に道標について 問い合わせ。 上新田の新しい道標 について

   道標の歴史を正しく後世に伝えることです。それが現代に生きる我々の努めである、

質問内容

   1.時代を間違った表記になっていること
   2.道標、街道の案内板の設置について

2008年7月24日木曜日

現代人の役割  歴史の伝承 道標:街道

6/12 街道新しい情報    豊中にも道標に詳しい人がいました、 小学校の先生です。

吹田市立博物館へ 質問状
       
北大阪ミュージアムマップ を拝見しました。   

        不都合な点がいくつかあります。  
        

1.下記のページに記載されている「道標」は府下で最古と書かれているのですが、 本「大阪の街道と道標」によりますと 3番目に古いと書かれています。 

    このように表示されいる 根拠を お教え下さい。http://www.kansai-u.ac.jp/Museum/KOMNET/road.html


2.能勢街道の地図で 西国街道との交差点 は違うのではないですか?


3.能勢街道の地図で 石橋から井口堂のルートは何故このルートなのか?


4.小野原街道は表示されていますが 箕面街道、勝尾寺街道の表示がないのななぜですか?


     
        歴史を正確に伝承することが 現代に生きる者の役目です。   

   
間違った歴史は 継承するべきではありませんし、それを、そのままにするのは,
   現代を生きる者として、後世に伝えるべきではありません。
     特に街道と道標を見守っている者にとって  由々しき問題です。 

  みなさんはどう思いですか?

 7/24 現在 返事はありません。

2008年7月21日月曜日

勝尾寺街道:豊中

 7/18 「箕面の道しるべ」(平成三年)
      箕面市教育委員会 を借りました。
     さすが箕面市です道標81基もありました。
「路傍にたたずむ道標は、・・・旅を続けた先人の足跡の一端を伝えるとともに・・・
      限りない歴史のロマンを与えてくれます」 (文中より)


6/7  勝尾寺旧表参道 マップ完成

     勝尾寺から大阪の案内の道標が2基 ありました。勝尾寺関係で「豊中市上新田」を経由したと思える道標を挙げてみると、

     大阪への途中の道標「勝尾寺」が 江坂に2基、庄内長嶋住吉神社、上新田に2基存在し、今宮では 大阪の道標がある、

              「点」 と 「点」 街道が



 6/3  天王寺に行っていきました。
    旧黒田藩蔵屋敷長屋門、慶沢園

       美術館では今度の日曜日(8日)まで「聖徳太子」が開催されていました。   
河内三太子 (叡福寺、野中寺、大聖勝軍寺) 見られない物が一同に多く見れました。
  多くの人が見学に来ておられました。中に混じって東南アジアの人も来ていました。 

       拝観料 1,200円  今度の日曜日まで 8日 

       

 6/2  勝尾寺表参道 この道は15年ぶりです。 新家から ページ新設 前半一部  マップは完成 6/7



    日本最古の 町石
 
  しらみ地蔵から 左 大阪  右 中山  大阪道です



 6/1  六月になりました。  「つつじ葛城山」を新設しました。  



 5/31  高麗橋に行ってきました。道標に
     大阪府里程元標跡を追加
     京都市の「京都市の基準点標石」を列挙

   江戸時代の 12公儀橋??  浪花の八百八橋?? などもおもしろうと思う。

                      

                      ライオン橋(難波橋)


 5/25  竹内街道歴史資料館 見学 南館長さんとお話ししました。

        今回は 「太子町の岩谷で行者が初めてゴマを焚いた。」 叡福寺が行っている。   このことが、「箕面市の勝尾寺の古文書に記載されている。 一度、確かめてみたい。」と言っておられました。

        今回の訪問は、ポスター展の見学と道標の確認 

        「聖徳太子ゆかりの名宝」 (河内三太子) 

             ~ 6月8日(日)         大阪市立美術館   

2008年7月20日日曜日

対応は品格!!  早い箕面市

5/22  「道標」箕面の教育委員会にメールで問い合わせ  
すぐ 返事があり、「道標」に詳しい人を紹介されました。
早速 箕面市郷土資料館に問い合わせ、  返事を貰いました。 
全文 
道標に関するご質問について回答いたします。

1.道標展につきましては、2005年の当館の移転に伴う リニューアルオープン
記念事業として『西国街道の道標展』を開催したもので、
再度の開催についての計画はございません。
2.小野原にありました「右しんでん 左やまだ」の道標は区画整理の工事中に
破損する恐れがありましたので、区画整理事務所で仮保存されていましたが、
近々元の位置の近くに戻されます。

追記 ホームページを拝見いたしました。その中の「今宮会館の道標」について
右  大阪   道
左  野     道  とあり、

野は何を指すのでしょうか?とありましたが、この「野」は「野山」の野です。
あえて野と刻んでいるのは旅人に左に行っても何もないですよと伝えるためです。
この「野」と対照的なもので、道標に時々あるのが「左 ざい所」などのざい所で、
これは左に行くと人が住んでいますという意味を持ちます。昔は旅の途中で行
き倒れになったり、盗賊に襲われたりすることがよくありましたので、道に迷って
野山に迷い込まないようにするために道標に「野」と刻んだり、病気の時に
近くに住んでいる人に助けてもらうために「ざい所」などと刻んだりしたと考えています。

今後ともよろしくお願い申しあげます。
箕面市立郷土資料館 福田 薫 


もう少し早めに問い合わせしていたら、早く解決していたのに と思いました。
小野原での分岐   
右  しんでん
左  やまだ
途切れている道が豊中市上新田につながっていることが分かりました。
点と点  道標でつながりました。

次は 今宮です。  ここには 大阪  道 とあります。  上新田の道標で 左 勝尾寺 につながり、後、三国街道で大阪へ


これも、古い歴史が保存され、伝承されます。
ある市では、道標を新しく建てたらしいです。 ? ? ? ? ?  
道標は歴史を伝えること、伝承です。 教育委員会の品格ですね。


5/16  「やがて消えていく道だから、
その歴史をしっかりと心に刻んでおこう(文中より))
道標・石物をまとめた 1987年の道標写真を掲載 


5/14 自分のルーツ!!!    先祖は
江戸時代 豊中には16代続いた「麻田藩」(藩主青木氏)がありました。
その菩提寺は、池田市の佛日寺です。

そのホームページをご覧下さい。

麻田藩ゆかり の 
藩主邸玄関、陣屋の門、麻田藩陣屋絵図、発掘調査報告書が記載されています。






2008年7月19日土曜日

やがて 消えゆく  小野原の道標は?

5/12 池田市の古い、写真集を見つけました。 1978年発刊の写真です。      
「やがて消えていく道だから、その歴史をしっかりと心に刻んでおこう。」(文中より)        

まだ行っていませんが、能勢街道東ルートマップに順次記載します。 

5/11 古い風景写真を集めます。一緒に集めませんか!     
小野原の風景写真です。吹田市山田から阪大前を通り、箕面市との境 左に細い道がありました。       その道を上がると右に「木馬館」がありました。 金蘭会の裏手になります、このあたりの写真が欲しいのですが。 現在の状況は

左手に車がやっと通れる細い道がありました。  

2008年7月13日日曜日

五一会の歩み  上新田・最古の道標:勝尾寺街道

五一会の歩み

詳しくは分かりませんが 後世に「上新田」を伝えるため、十五人が集まり 展示会を開催されました。
  その後、補足を含め 「写真で見る 上新田」を出版されました。
   その本には 十五名の名前の記載はありません。  
 昭和五十三年 (1978年)
  上新田の道標の案内板を建てる。(三基)
                 (万博は昭和45年(1970年)

 昭和五十五年
  「いにしえの 上新田」の展示会を開催
 昭和五十八年
   「写真で見る 上新田」を自主出版

道標 3基   勝尾寺へ、山田へ、(茨木へ)、大阪へ、さいでらへ



勝尾寺への分岐





 








    最古の道標(豊中市上新田)
  勝尾寺信仰で多くの民が詣でました。 その賑わいで 街道も整備され、道しるべも多く残っています。
 天明元年の道標 
   
右 さいでら (吹田市佐井寺)
左 かつおじ

「写真でみる 上新田」 五一会

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2012/01/19 裏面 「右 大坂」

豊中資料






 豊中市の文化財 道標編


  発行 豊中市教育委員会   昭和50年(1975年)


  

 表紙の地図は 明治19年の地図です。


 





   道標と街道
    右の地図に昔の街道と道標が記されています。
    何となく 街道は分かります。
 
   道の分岐には、道標と もう一つ  「お地蔵さん」があります。
  豊中では    
   32基の道標が説明されていますが、当時、すでにない物もあります。  その後 40年が経過し、現存するか未確認です。
 
  熊野田街道(勝尾寺街道)と勝尾寺への道標を調べています。
 一度失ったものは、元には戻らない、
  消える昔の町並み、風情、を  点と点で 探っていきます。  「道標」