2011年5月17日火曜日

今日は浜屋敷  時間があるので忘れ物を撮りに 一柳家道標再考2017/05/11

今日は浜屋敷「加賀真佐子文庫」でボランティア 
夜、会う約束には時間があるので、

先日の撮り忘れた道標を求めて   亀岡街道 菅原Ⅱ
 前回 まよいまよい・・・   前回の調査



間違ったところから再スタート

風流ですね! 塀と石垣


亀岡街道です。   その横に公園が

「わがふはし」橋の欄干 公園を散策 もうひとつありました。

「和合橋」 昭和二年十二月架橋 
前回見つけた欄干

「増島橋」欄干 淀川の北部を並行して流れていたのか!
 移動しました。 

立派な門構えの家です。

  そうそう、この塀の先に道標が
  
この塀には 瓦が埋め込まれていました。
 
正面
☞(右) 厄除・安産 正権世音 瑞光寺道 同江口道 
 瑞光寺 は クジラ橋 で有名です。

裏面 すぐ 大阪道

左面
☜(左) 吹田 富田 茨木 道
この道標は もともと道路の反対側に立っていたものでしょう。
再度考察 2017/5/11
 立っていた場所が違う。三叉路に立っていた。
写真:  
 現在一柳家の③番に立っているが
 一柳家の道標は ④に立っていた。と考えられる。
 吹田から来た人が「すぐ おおさか」を見る
大阪から来た人は「☞ 瑞光寺道 同江口道が最初に見える。
 橋の親柱2基 「和合橋」「増島橋」は移動している。

⓵②は道標が立っていた場所
表示
⓵ 「右大阪」「左ずいかうじ(瑞光寺)、吹田、江口」(文政十二年)    
② 「右大坂みち、左すいた、江口わたし」「左大さかみち」 

 大阪から⓵②から右は江口ですが、 北摂から来た人たちの案内で、瑞光寺と同じと考えると理解できる。 
 両方とも 江口とすいたが同じ道になっていのと、一柳家の道標も 瑞光寺と江口と同じ方向を指している。江口の道はこれと思われるのが交差点④です。
これは2つも 立っていた場所は現在の場所からはなれ、④までのあいだのどこかに立っていた。と考えると理解できる。一柳家の前がそうなるのではないですか!
 



妙見宮、柳谷 権世音の銘が読み取れる 嘉永六年

大峰山 三十三回記念として建てたものです。
上は黒いので 火災にあったのでしょう。

ここいらの自治会長さん
前回の「国次町」について教えてもらいました。

ここの地名 あざ名「増島」(ましま)から「国次町」に変更したのがこの方のお父さんです。
刀鍛冶の「国次」が祭ってある寺が淡路の西方にあり、それにあやかって「国次町」とつけられたそうです。
「もともとは境界線道路にあったが、自宅の敷地に移した。」といわれました。
ここで終わります。
この後、阪急淡路を目指します。
歩いた距離は 阪急吹田駅から浜屋敷から菅原1丁目そして
淡路を目指しました。 
迷い迷い ようやく着きました、集合の時間に遅れること20分でした。
車に付いているカーナビ、「これはカーナビ私用に必要だ。」
淡路で道路に「街道のマーク」がありました。
またまた、歩くといろいろぶつかります。

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亀岡街道  まよいまよい 新しい発見が・・・・    (前回の調査) 2011年4月25日月曜日

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