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2020年9月14日月曜日

福西茂 新聞報道

産経新聞 平成元年10月19日  見つかったのは池田市立図書館(2014/12/4)

産経新聞 北摂版 平成2年11月6日(火)  サイクリングスケッチ

2014/12/08 7:29
3530枚の史跡・文化財のスケッチ

2019年3月4日月曜日

忘れられた橋   in 奄美

次に ②,③ は   忘れられた橋として登録
何処にあった橋でしょうか! 
 
「たかつ橋」の親柱  
大阪市内に ありました。 ウィキペディアの中にありました。 高津入堀川(こうづいりほりがわ)に
 同一視することは 出来ませんが まずは 第一歩です。
 道頓堀川の下大和橋下流側から南へ分岐し、西高津新地内で一度クランク状に折れ曲がり、国道25号の手前で西へ、南海本線を潜ってすぐ北へ向きを変え、浪速区役所の南東で難波入堀川(難波新川)鼬川に合流していた。長さは約1.8km。現在はクランクより上流側の区間を除いて阪神高速1号環状線の敷地に利用されている。  享保19年1734 開削 
大阪市内の川の地図写真は右側の地図 13:難波新川 14:高津入堀川 こちら
  もう一つの地図  27:高津入堀川 28:難波新川  29:鼬川  37:七瀬川 こちら

「高津入堀川」上流から  市街地図    広域地図

  • 清津橋  
  • 吉田橋
  • 磐舟橋 - 千日前通
  • 末広橋
  • 「高津橋」 この橋でしょうか! 写真か絵があるといいのですが!
  • 福知橋
  • 沖田橋
  • 堀初橋
  • 深田橋
  • 薗坪橋
  • 愛染橋
  • 増井橋
  • 玉水橋
  • 名呉橋 - 堺筋
  • 夕日橋
  • 広田橋
  • 星池橋
  • 高岸橋
  • 船出橋


橋を調べていたら 新しいことが
  ① 環状線芦原橋 鼬川にかかっていた橋 一度は見に行きたい。
  鉄橋・鼬川橋梁が残されていて、橋梁の下は現在は芦原橋駅の自転車駐輪場になっている。
大阪環状線鼬川橋梁(芦原橋交差点付近)
② 平野川の調節池  ためていて最後はポンプで木津川に   こちら
      これによって 浸水家屋が激減する。
  

③ 運河連結工事中に 古代のくり船が発見さた。碑は浪速区難波中3丁目

またまた新しいことが・・・・
  調べることは 楽しいですね ルンルン


2018年12月12日水曜日

2018年6月13日水曜日

四季耕作図 2題

「豊中伝来屏風の位置を探る」  豊中中央公民館
豊中のどの地域の事を言っているのか 分からない説明でした。
観客も少数  市歴史の講演会にしては ちょっと・・・
ある講演会では こんな調子ですが・・・
神奈川大学名誉教授 河野通明
①馬鍬で代掻き(しろかき) ②種籾浸し ③籾蒔き ④施肥 ⑤草取り 
⑥田植え ⑦昼飯待ち ⑧路車で灌漑

①稲刈り ②稲束運び ③稲架(はさ) ④藁塚作り ⑤唐笠で籾打ち 
⑥篩(ふるい)で選別 ⑦箕で風選 ⑧土臼で籾摺り 
⑨碓(うす)で米搗(こめつき) ⑩蔵入れ
以上 豊中市立文化芸術センター 展示室 以前に撮影
これは、絵が古く、薄く良く分からない。それで、河野先生の話を聞きに
おもしろい手法を知りました。
屏風を上下4段階に区分し、12ヶ月×4区分=48区分 
その部分に登場する人数の数を挙げる。
おもしろい。
資料にあった 「農事歳時記絵屏風」の方が見やすいようであった。
資料のような表示の方法は 吹田市立博物館の藤井さんが提案した。と聞きました。


続いて 池田市立歴史資料館
「四季農耕図屏風」個人蔵  江戸末期
綺麗ですね!
① ~ ⑭
絵図の説明 ①
一絵、一絵に抽出しての説明は理解しやすい。
この展示は、解説者は要らない。 
  

2016年5月1日日曜日

展示会の様子 画家「福西茂スケッチ画展」 小濵宿資料館

インターネット検索
「 福西 茂 」

「北摂の道標」

 
新しい情報はありません。 下のような資料を作成
「豊中の歴史を掘る会」    
 
このページを 資料館に送付しました。 活用されるといいですが!
 
(この光景は 今は 見ることが出来ません。と吹田の人が言っていました。)
 
4月2日(土)~
「福西茂スケッチ画展」

小濵宿資料館 0797-81-3655

福西茂スケッチ画展:小濵宿資料館
平成28年4月2日~ 平成29年3月26日迄

宝塚でのスケッチ総数 663点
今回は一部展示

製作開始 昭和63年2月25日 ~ 平成1年7月22日
宝塚市教委寄贈 平成1年8月?



各市町村にスケッチ画が寄贈されているのですが、未だ見つかっていない市町村があります。
新聞に報道されているにもかかわらず。
各市町村 教育委員会の対応は 対応の良い大阪市でも同じです。
前回2014年の調査で、寄贈された物に対しての各市の対応がばらばらであることと
寄贈された物が データー化・記録されていないことが分かります。

でも、いい話もあります。
ですが、見つけることが出来ました。色々な目・方法で 捜索しなければなりません。

各市町村の名誉にかけても、探し出して欲しいものです。

2016年4月26日火曜日

探しています。 解説付きのスケッチ画 福西茂著 


作品例  猪名川町の場合

 A1 大野山頂 猪名川町柏原s61.11.08
スケッチしその下に解説というスタイルです。
上の穴は展示用のフック架けです。

福西茂さんの

30年前の解説付きのスケッチ画
   こんなスケッチ画を見たことありませんか!
  各市に寄贈されたスケッチ画が行方不明です。
   寄贈したものが紛失  それはないのでは
    「絆」が失われつつある世の中
    善意で寄贈した物、粗末には出来ないです。 
       寄付金も同じでしょうか・・

見つからない市町村に
  再度捜索をお願いをします。
 
明治時代の庶民の遺物が出てくるのには感動します。
   

   また、別なサイトでは、維持費のボランティア
    寄付金をお願いしていますが 

 このサイトも 大阪中学校準硬式野球
  年間 1000円の協力も得ていません。
    このままでは、消滅しかない。
     
宝塚市・猪名川町は未整理

  宝塚市は一部判明 2016/05/02


行方不明の市町村 寄贈されたスケッチ画

箕面市456点2016/4/  見つかる

川西市386点、能勢町・豊能町425点(父親の出身地)

    平野区①平野区②東住吉区  

寄贈品の行方は???   そうゆうものでしょうか!  熊本への
寄付金も同じでしょうか!


  各市の対応はこちら

福西茂 スケッチ画 掲載地域   上村 和功作成
福西茂 スケッチ画  総数 3530枚 
見つかった スケッチ数 いまだ不明 スケッチ数
豊中市 367点
池田市 356点 川西市 386点
猪名川町 422点 能勢・豊能 425点
宝塚市 664点 平野区 307点
    東住吉区 147点





箕面市    456点 一部不明  2016年5月10日火曜日




 左 「馬街道」 小濵 S63.06.18  右 小濱法城の大堀川 小濱 S63.06.16

他の市町村でも 同じように、スケッチ画の下に解説つけている形式になっている。
宝塚市で見つかった様子 豊中信用金庫の封筒  2014/11/26

最大の664点 一部不明 
 
見つかったときの様子   2014/11/27

日の目を見た宝塚の文化財

以上宝塚市


次は 池田市
見つけるまで、4年掛った。

スケッチ画と一覧表が添付されていた。  s59.8.6 荒木蘭皐の墓   撮影:2014/12/08
          スケッチ画数 356点

   スケッチ場所の地図はなかったが 、 一覧表に 展示会の日時・場所が
      展示会は 昭和59年9月1日(土)~9月14日(金)
      場 所 池田中央公民館 公民館ギャラリー
      これは、寄贈前に 展示会を行ったことになり、
   いやまてよ 展示会はそれ以前になる昭和59年とは1984年 平成元年は1989年
   
   池田市へ寄贈 平成元年10月18日 池田市へ寄贈 新聞報道
   
   寄贈された物の展示会を市が開催したことになる。
   広報「いけだ」でもう一度 展示会の案内 
   
      平成2年(1990)10月1日 (くらししおりの項)
   
      
池田の冊子 4冊 
 ①池田市中央公民館所蔵 福西 茂氏 直筆
             2010年4月26日月曜日借用

 ② 池田市中央公民館 ①を活字化したもの 撮影 2014/01/10
             
 ③ 池田市立図書館所蔵  表紙に手書き「1990.10」 撮影2014/11/05
             この本の中に挟んであった物2通
           産経新聞 平成元年10月19日号と展示会会場の福西茂の紹介文
         寄贈された物で、福西さんの字で 書かれているので、福西茂氏が寄贈したものです。

原画が見つかったのは  2014/12/04
原画を見に行きました。 2014/12/08

ほんの一部を紹介  

5枚ありますが 上の2枚がスケッチ画  
下の三枚は スケッチ画の裏で、ポスター、辞書どの厚紙がつかわれている。

スケッチ画の紹介
B-12 S57.07.30 西本町の道標       B-17 S57.05.31 昔の巡礼道沿いの商店 

 ④ 豊中市岡町図書館所蔵  

撮影2014/06/26 資料室於 その時の様子
池田市教育委員会・中央公民館 1990発行
新聞報道が1枚 織り込まれていました。 
この写真が悪いので、池田の図書館で表紙を撮ろうとしたのですが、同じものですが、ちょっとの違いがありました。それは、池田冊子③の表紙に手書き「1990.10」と描かれているのです。その場所・位置が 池田冊子④ と違うのです。

産経新聞 北摂版 平成2年11月6日(火)  サイクリングスケッチ 
これも、福西茂氏が寄贈されたのでしょう。
以上 池田市

猪名川町  2014.11.28 写真は 2015.01.10 受領






A3  永泰寺の山門  S61.11.05



A1 大野山頂 S61.11.08

古い 昭和61年です。

猪名川町 422点



2016年4月15日金曜日

宝塚市の文化財を掘おこす 「福西茂スケッチ画展」 in 小濵宿資料館

展示会場の作品 下の地図で場所を確認してください。
 展示作品一覧はこちら

作品分類 製作年月日     題      名       所  在  地
 H-36   S63/07/10  木接太夫彰徳碑         山本東2丁目
 
  G-63   S63/05/26     中山寺奥ノ院本堂        中山

 A-111 H01/04/28  普明寺参道       波豆

 E-8   H01/03/09   宝塚温泉碑        湯本町九



宝塚で663点
 福西茂スケッチ画数 

製作開始 昭和63年2月25日
終了 平成1年7月22日
寄贈 平成1年8月?
インターネット検索
    「福西 茂」
    「北摂の道標」
      by. 点と点


福西茂スケッチ総数   663点
小浜宿資料館 企画展
宝塚市のスケッチ画  地区別分類
番号 分 類 地区名抽出による。   題   名
1 A  1・2・3 波豆 125点 1.2は不明
2 B 1 売布 45点  
3 C 1・2 米谷 95点  
4 D 1・2 小濱 80点  
5 E 1 月見山、紅葉ケ丘、湯本町、梅野町、南口、中州 55点  
6 F 1・2 社町、仁川北 74点  
7 G 1.2 中山 100点  
8 H 1・2 山本台、山本東 89点  
9 合計   663点  














     

新聞記者の取材か! 記事なるかは判りません。
 経過 
 「宝塚:小濵の展示会」について、市役所に問い合わせるが、「良くわからない。」ということで、私に電話でした。
 小濵宿資料館から電話 「新聞記者がスケッチ画のことを知りたいとのことで、詳しいのは 私ですので、電話番号を教えてもいいですか!」 
 新聞記者からすぐに電話です。
 要領を得たのでしょうか!
 展示会を開催していることと、原画の行方不明の原画もある。
おもしろいストリーが幾つも描けると思いますがね・・・
このサイトを見ていただいている方々は判ると思います。 

30年ぶりに日の目を見たスケッチ画 文化財

別な場所での宣伝  宝塚市役所内
 八幡神社の御神水:波豆
丁字ケ滝:月見山
中山寺奥ノ院本堂
馬街道:小濱



文化財を掘り起こした、

これ迄の経過
豊中市の住民で合った、福西茂スケッチ画展の開催を計画しました。 今から 2年前にさかのぼります。
 その時は、福西茂氏の資料がありませんでした。
  豊中で「福西茂スケッチ画展」を開催するに当たり、新しい資料を探しました。
 市報で絵画展の日時の記載を調べました。 箕面市、池田市、川西市、宝塚市  そんな中
 池田市に資料の提供を依頼  すると 新しい資料・冊子が出てきました。 2014/01/10
さらに、展示会の開催の有無、記載の市の広報・箕面市、池田市 中に
 2014/11/05 池田市図書館で調べていたら、池田市の冊子が出てきました。 
 池田市から 新たな資料として、3種類 冊子がありました。 その冊子の中に 

 産経新聞 平成元年10月19日号 「阪急沿線の文化財などを描く」報道です。 
 他市町村でもスケッチ画を描き、其々の市町村に寄贈されたことが記載されておりました。 話は聞いていたのですが、記事になると現実味を帯ます。 その中に宝塚市もありました。 

その後、池田市では再度調査され、スケッチ画が図書館の書庫があることが分かりました。
ここまでには 池田市の「福西茂のスケッチ画」探しに2010年から 4年掛りました。 
私がしぶとく市役所を調査したおかげです。 
 最初は 池田の中央公民館で見付けてもらいました。
  池田市の史跡スケッチ集  2010年4月26日
 
 さて、実際に図書館で見せて貰う申し込みをしましたら、担当の方が「市教委と相談する。」との返事です。
 私が、4年間かけて、市教育委員会、資料館、公民館などに問い合わせをしたのが、分からなかったのですが
 今回、30年ぶりにようやく見つかったのです。 私が池田市の文化財を掘り起こしたと云う事になります。
 今まで、何の物やとも思われず、誰にもふれることなく、その存在すら忘れられていたものなのが、図書館の倉庫から見つかったのです。
 ところが、上記の様に、私の池田市に「見させてください。」と言うのに それまでは、何処にあるかもわからなかった福西スケッチ画ですが、見つかった途端、文化財としての対応でした。
 私が見つけるのにお手伝いしたのですが! まあ、経過も知らなかったので、しかたがないことです。
 
 池田市の福西茂のスケッチ画



さて、宝塚市に関しては、新聞報道を元に、宝塚市の図書館で展示会が開催されたかを調べました。 ドジョウはいないかと、前々々回の箕面市、前々回の池田市、前回の川西市と同様調査しました。宝塚市市報には出てきていません。
それは、2014年11月22日土曜日ことでした。
 帰る前に、新聞報道を元に、宝塚市立図書館職員に調べてもらいますが、福西茂氏の冊子はないようでした。

 そこで、あわよくば  何か出るかと ついでに 「福西茂」に関して、新聞の記事を見せて、「宝塚市にあるはずだ。」と聞きますと  「問合せの部署が今日は休みの為 後日連絡をいたします。」とのことでした。
それが 22日土曜日
連休明けの 11月25日火曜日 宝塚の図書館から電話
「福西さんの資料がある。との返事 ・・・「えー 」  能勢町、川西市、箕面市、東住吉区、平野区では見つかっていないので、


ビックリポンヤ!  仰天です。市役所が保管してあるそうです。 「ヤッター」 
「市役所に連絡ください。」  早速、市役所へ電話
「何個かあります。 別なところに 保管してあるので、いつ来られますか!」
見つかりましたね! 

「前任者に問い合わせたら、すぐにわかりました。」とのことでした。
良かった良かった。  
そして、今回 30年ぶりの展示の話になりました。 今後、この絵を市報に載せるなどの活用が期待されます。

 今回、文化財、資料として市に寄贈された物の 記録がなく・データ化がなされていないことを痛感しました。
もしわからなかったら、市報などに載せて この絵について、情報を得る方法もあります。

 宝塚市で初めて見た時


左 「馬街道」 小濵      右 小濱法城の大堀川 小濱

他の市でも、スケッチし下に解説を入れる表現方法は同じようです。 

豊中市での展示会 その① 「庄内・むかしの面影」 2015年7月3日(金)~ 9日(木)
豊中市での展示会 その② 昔の豊中  2014年12月5日(金)~11日(木)
 


行って来ました:小濵宿資料館 4/15

ここは以前に見学していますが  疑問が一つ
この道標です。

有馬から来た人のため
右 大坂   左 のみち
多かった道標  三つの出口に四コ
この道標は 小濵の有馬からの入り口「米谷」側に建っています。
どう見ても、この道が本流と思われるのだが
小濵の人は「川を下って、沢を渡る」とう。
その道は 大変狭いので、馬街道とはならないと思う。
また、和田家住宅の裏側を通る事もおかしい。


明治43年の地図  この道からの 繋がっていたと思われる。
追加訂正 2016/10/20  この橋は 明治8年にかけられたそうです。
    よって、明治の地図には描かれていることになる。     以前の調査 小濵



豊中在住であった福西茂氏のスケッチ画展  in 小濱宿・宝塚市



福西茂スケッチ画展
- 宝塚市の文化財をめぐる -
福西茂氏は大正10年(1921年)大阪市に生まれ、戦前から戦後にかけて大阪
市ないで小中学校の教諭をつて目ました。昭和57年(1982年)定年退職し、退職
後、健康のためサイクリングを始め、「ただ走るだけでは面白くない、何か記録を残そ
う」と訪問先をスケッチすることを思い立ち、まず市の資料などで文化財を調べて訪
問先を決定しました。                                      
 春から秋は早朝5時、冬は朝8時過ぎには愛妻弁当をもって家を出て、夕方6時
ごろスケッチ小旅行をし、一日平均4枚のスケッチを描いたそうです。雨の日も雪の
日も、ロープで自転車に傘を括り付けて出かけました。                  
また、体育・数学・社会など5教科の免状を持ち、税理士・行政書士など5種類の
国家試験を突破しました。北摂地域や大阪市内などを訪れ、ハガキ2枚大の画用
紙に名所・旧跡などを描いたほか、解説なども描き残しました。作品数は、3500点
近くに上がり、関係各市町村へ寄贈され、平成25年(2013年)6月に亡くなられまし
た。                                                 
 今回の展示では、郷土史家・川端道春氏の本を参考に、昭和63年から平成元
年ごろに600点余りのスケッチをされ、平成元年ごろに宝塚市へ寄贈されたものを展
示しています。約30年前の宝塚市の風景をご鑑賞いただき、宝塚市の魅力を発見
していただけましたら幸いでございます。                             
平成28年(2016年)4月  宝塚市教育委員会


展示会場 

展示会場の様子の写真ですが 

削除しました。


大きな写真の下に 福西茂のスケッチ画 が展示されていました。

スケッチの場所が分かるといいので 調べて後日アップします。4/24


  同じように表示されますが、その下に過去のものが表示されます。


帰り道 ブラブラ
 
道路元標  小濵村   石物①


 


中国道の下をくぐると「小濵の宿」

石 物 ②
 
宝暦三年二月の道標
宝塚市中筋山手4の道標 道標50 所在地:中筋山手4丁目 しだれ桜横

南面「すく中山寺道」  西面「左 ざい所道」

石 物 ③

梵字 十一面観世音  泉流寺   山本村 
明治三十二年
 
   御堂が二基  左 奥にあるのが「弘法大師像」を安置、 
右は  庚申塔の安置された御堂

 石物④
 
庚申塔 元禄十六年


「弘法大師像」

石物⑤

目立たない道標でした。 巡礼道の逆コースですのでね!
勝尾寺から来ると判るようになっている。
 
南面 左中山  是(より)   十一丁 西面 右いけ(た)
西面は 確認が取れなかった。
三角形の自然石

石物⑥

この道標はすぐに分かりました。 
振り向くと 石物⑤を見つけました。
  
北面 右さい所 左みの於    西面 (なし)
南面 左池田(□)    東面 施主大坂住吉

これは方向からして違う 


右を向いたら 見つけた石

東面 (梵字)キャ 中山寺道 右 中山 ミち
その他の面 (なし)

宝塚の道標は郷土史家古川んがいます。 資料はあると思います。

宝塚の道標 pdf


歴史の道調査報告書集成 単行本 – 2006/8