2011年3月23日水曜日
千早赤阪村 金山古墳 金剛山 PL塔は何処に!!!
今だ不明 千早赤阪村森屋???
道標の表記は… 不明 連悪あり
左たきだに
道右とんだばやし
ありがとうございました。
珍しい 2つの円墳の「金山古墳」
後ろには 金剛山? 葛城さん
1つの円墳に石棺が見れます。 中央柵の中
石棺
中央奥に 白い建物 「PL塔」
以上 写真を追加 2024/2/11
拡大しても 左右 以下の文字が読み取れません。

千早赤阪村 森屋
自然石で長年経っているのでしょう、文字がはっきりしません。
街道? 左は細い道である。

その横に 「森屋地蔵」

楠木正成のゆかりの地 社団法人 千早赤阪楠公史跡保存会
甲取橋・甲取坂

千早赤阪村 森屋
自然石で長年経っているのでしょう、文字がはっきりしません。
街道? 左は細い道である。
その横に 「森屋地蔵」
楠木正成のゆかりの地 社団法人 千早赤阪楠公史跡保存会
甲取橋・甲取坂
千早赤阪村 「かお」
写真 https://photos.app.goo.gl/NTxp9nX7ghLuAR6S8
https://photos.app.goo.gl/hbP55i1yEzYkRJRaA
https://photos.app.goo.gl/zHCzfVw9LgzZKqmV9
https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgWOkZuD9eyiPClrtPnIHZa_kSWlzkZeL6KdlT56VVzfyiUmiZm1g_pqQoWQTepmI1UmRStYNDEQgQZ4Do-IyAeexu5Km8VR1b8960oZBVCsIoFH16QuX5tWSkCRJzHFuaz6-K5z7XAHA8/w854-h641-s-no-gm/?authuser=0
https://photos.google.com/photo/AF1QipNYBOcX1HiaCcIlBRGKsW16HfUlsS5e6Lf8-eJO
地図 https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjza8AfnEMM0RyW739I5QVVDkuSmMb_CfAWDcjupPRAth2GFZhNjtmTIgCZ8iQ2AuDKvfagtUw7CuFK8KJ3zpvMx3_4VdvHV9zTJsQsQE2NPoIapriEjKpi9uvaQH3yVdhaY0ub-lXplWs/w854-h641-s-no-gm/?authuser=0
2011年3月19日土曜日
箕面市立郷土資料館 公開講座の案内 拓本 この道標は何処の道標
メールを頂ました。 講座の案内です。
拓本で有名な「アンコールワット拓本保存会」の話
アンコールワットの壁画拓本や
箕面市稲の教学寺の三島海雲顕彰碑の拓本も会場に展示いたします。
箕面市立郷土資料館 公開講座
日 時: 平成23年3月27日(日) 午後1時30分~
場 所: 箕面文化交流センター多目的室2(郷土資料館と同じフロア)
講座名: ~アンコール・ワット拓本で見えたもの~
講 師: アンコール・ワット拓本保存会会員 久藤 昭太郎 さん
受講料: 無料
2011/06/08 講演の様子
箕面市立郷土資料館
以前の資料
拓本で有名な「アンコールワット拓本保存会」の話
アンコールワットの壁画拓本や
箕面市稲の教学寺の三島海雲顕彰碑の拓本も会場に展示いたします。
箕面市立郷土資料館 公開講座
日 時: 平成23年3月27日(日) 午後1時30分~
場 所: 箕面文化交流センター多目的室2(郷土資料館と同じフロア)
講座名: ~アンコール・ワット拓本で見えたもの~
講 師: アンコール・ワット拓本保存会会員 久藤 昭太郎 さん
受講料: 無料
箕面市立郷土資料館
以前の資料
行先の「道」について、標示方法いろいろ、
問題です。 この道標の場所を当てて下さい。
すぐ 上新田 京
役行者像に「道」
みのを山 かつをう寺
崩した「道」 大坂・はっとり・天神
もっと崩した、「屋」ににた「道」もある。
「ミち」 カタカタ交じりの道が多い
この道標の立っていた場所は!
2011年3月7日月曜日
2011年2月24日木曜日
「上の立石」の銘 記載の間違い・・??? 追加
(南) かちをうし
(西) 南無阿弥陀仏
(北)
(東) 為万人講衆中法界
写真はない。
これら消失した道標4基については、
「昭和38年の豊中市史編纂当時、市内道標の一部を調査し、これを地図上にメモしたものが残っている。」で紹介されている。
それによると
30.樫の木池北東、勝尾寺と野道との三又路
新千里北町2丁目
(西) 南無阿弥陀仏
(北)
(東) 為万人講衆中法界
写真はない。
これら消失した道標4基については、
「昭和38年の豊中市史編纂当時、市内道標の一部を調査し、これを地図上にメモしたものが残っている。」で紹介されている。
それによると
30.樫の木池北東、勝尾寺と野道との三又路
新千里北町2丁目
住所から「上の立石」のことが書かれている。
さて記載について別な資料 本「野の仏」大阪読売新聞には。
この道標は江戸時代のものであろうと記されているが
上記の(西)、(東)面の記載はない。下の写真でご確認ください。
これが、「上の立石」を「野の仏」が紹介している写真です。
彫が深い、南面には「(馬頭観音像)右かちをじ」 東面には 文字らしくものはない。
大きいので立石と言われ、道標編30で記載されているのはまちがいと考えられる。
この道標は江戸時代のものであろうと記されているが
上記の(西)、(東)面の記載はない。下の写真でご確認ください。
これが、「上の立石」を「野の仏」が紹介している写真です。
彫が深い、南面には「(馬頭観音像)右かちをじ」 東面には 文字らしくものはない。
大きいので立石と言われ、道標編30で記載されているのはまちがいと考えられる。
道標編30の項は一部間違って書かれている。
(西) 南無阿弥陀仏
(東) 為万人講衆中法界
これ項は面は違うが、私が見つけた「新田西口道標=旧新田小学校北東道標」に記載されているものとほぼ同じである。 行先の方向は 左・右の表示がなく、この道は 「かつおじへの道」を指している。
(西) 南無阿弥陀仏
(東) 為万人講衆中法界
これ項は面は違うが、私が見つけた「新田西口道標=旧新田小学校北東道標」に記載されているものとほぼ同じである。 行先の方向は 左・右の表示がなく、この道は 「かつおじへの道」を指している。
新田西口道標 の記載 下部欠損
(東) 左大坂
(南) 南無阿(弥陀仏)
(西) 為万人(講衆中法界)
(北) 右くま(のだ)
とあるので、面が違うが、こちらの銘を間違って記載されたものと思われる。
箕面市に同じ人(万人講)が立てたものが2基あり
それらから補足すると
(南) 南無阿弥陀仏
(西) 為万人講衆中法界 願主岸◇ となる。
後の二面は 左・右の行先を表示
箕面市の2基は 勝尾寺から大阪へ帰る道沿いに立っている。=大阪道
万人講①は 勝尾寺表参道の 2町石と3町石の間に立っていたもので
右側に分かれ道があり5歩ほど歩くと左側に立っている。
万人講②は、西国街道を西に取り、今宮で大阪と別れるところの立っている。
万人講③は、上新田「西口道標」 =「新田小学校北東道標」
西口道標で 右に取ると 熊野田から豊中へ
左に取ると 高川から小曽根・横関街道にて、大阪へ
万人講④ 吹田で見つかった 「万人講道標」
万人講④ 吹田で見つかった 「万人講道標」
江坂 素盞嗚尊神社 油掛け地蔵横の石物郡
旧在 三国街道と横関街道三叉路か 三国街道を少し行ったあたりに建てられた物
旧在 三国街道と横関街道三叉路か 三国街道を少し行ったあたりに建てられた物
と考えられる。
表記
「かち(をうし)」
表記
「かち(をうし)」
「為万人(講衆中法界)」
「南無阿(弥陀仏)」 下部欠損 これが本「豊中の文化財 道標編」30番の記載されている。
万人講道標は 勝尾寺から大阪への帰路案内で 要所要所に建立
「南無阿(弥陀仏)」 下部欠損 これが本「豊中の文化財 道標編」30番の記載されている。
万人講道標は 勝尾寺から大阪への帰路案内で 要所要所に建立
失った道標 豊中市 打越池南西
失った道標
以前あったとされる道標、旧在所を探しに
旧中環状線 上新田に向かう途中 熊野でこの道を右に入ります、
熊野町は花山法皇が、佛眼上人(ぶつげんしょうにん)というお坊さんに作られた、吉野熊野に似ているということで「熊野に代る地」として村名が「熊野代(くまんだい)」がなまって「くまんだ」→「熊野田」となった、由緒ある村ですが、現在はその名称は学校名「豊中市立熊野田小学校」と阪急バス停「熊野田小学校前」にその名を残すだけである。
熊野田村の名前がなくなった。今は熊野町
熊野町は花山法皇が、佛眼上人(ぶつげんしょうにん)というお坊さんに作られた、吉野熊野に似ているということで「熊野に代る地」として村名が「熊野代(くまんだい)」がなまって「くまんだ」→「熊野田」となった、由緒ある村ですが、現在はその名称は学校名「豊中市立熊野田小学校」と阪急バス停「熊野田小学校前」にその名を残すだけである。
熊野田村の名前がなくなった。今は熊野町
熊野田の村中から
住宅街を抜けると開けます、
右手に取ると、服部緑地公園になります。右側にいづみが丘小学校、
そのまま進むと豊中十七中、中学校の前に大阪市の服部墓地がある。
そのまま進むと大坂に向かい、高川を目指します。
三国街道、横関街道を使い大阪市内へ
右手に取ると、服部緑地公園になります。右側にいづみが丘小学校、
そのまま進むと豊中十七中、中学校の前に大阪市の服部墓地がある。
そのまま進むと大坂に向かい、高川を目指します。
三国街道、横関街道を使い大阪市内へ
左は「打越池」の横を通り、下新田に向かいます。
三叉路ですので、この地に建っていたものと思われます。
打越池北西三又路 西泉丘二丁目
北面に 右 大坂 世話人
左 下新田 大峰講中
打越池北西三又路 西泉丘二丁目
北面に 右 大坂 世話人
左 下新田 大峰講中
池の横を通り、下新田(吹田市春日町)を目指す。
吹田の千里山からは、下新田を通り、ここ熊野田を通って
「豊中高校」へ通学していたようです。
池田の人に渡したそうです。吹田の千里山からは、下新田を通り、ここ熊野田を通って
「豊中高校」へ通学していたようです。
古い話ですが 失った道標「上の立石」
豊中の文化財 道標編
昭和50年 38p

その他 豊中の道標
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またまた見つけ ニュータウンに地蔵尊が ガイドブックに記載なし 2012/05/05
2012/04/04 追加春日町から「旧熊野田へのルート 」
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