2009年12月4日金曜日

吹田市郷土史家

加賀真砂子から返事をもらいました。

1.江坂西西の道標は「みごとな道標」で確認してもらいました。

2.片山の道標と、吹田街道・亀岡街道の間道については理解されませんでした。

3.岸辺の道標は、場所が分からなかったようです。再度

 2.のことが大事です。次の機会に資料をそろえて確認してもらいます。
説によりますと

千里街道は、明治33年大阪府誌による、府道の設定では「天道」から「吹田停車場」になっていて、天道から高浜神社に向かい、現在のJRの線で停車場に向かう。となると、それは今となっては確認できません。

明治19年の地図で見ると、天童から片山村に抜ける道が間道ではないかと考える。片山村から、泉殿の北側をとおり、
帝釈寺前をとおり、吹田街道にであう。途中、道標らしい物が2基みられ、祠が2基存在する。「浄念寺門は元々北側にあったそうで、そこが通りに面していた」、もう一つの道標は、家の人が小さいときからあったといわれている。天道から第一小学校の抜け、片山に抜ける道が千里街道になると思います。

2009年12月2日水曜日

郷土吹田の歴史

「郷土吹田の歴史」
吹田市 昭和56年3月  p242

条里制

吹田の街道

街道を探る 勝尾寺街道


上新田は江戸初期吹田山田の3人で開発された。

この地区は北は千里中央、南は桃山台、南千里間に挟まれている、

千里ニュータウン開発にはかかわらず現在も昔の面影を残す。

上新田は交通の要所であり、街道としては勝尾寺街道が通り

三国街道と山田街道の基点でもあり、重要な位置として発達した。

それぞれの通じる道には、全て道標が残されており、

他の地区には見られない貴重な地区である。


新免から北東に進んで この新御堂筋のガードをくぐると上新田である。

左の道路は府道2号線( 堺・布施・豊中線 ) 

橋は「上新田高架橋」


角には不二家のレストランがある、

道は 前の建物の右側を通る。


「落合橋」天竺川で左手に合流する川がある。その川現在は暗僑になっているが、現在の千里中央及びその西側の谷からの川との合流地点です。 天竺川は合流地点を右側に取る村中を流れる。

右手に見えるのは大阪府指定「旧新田小学校」です。


これが「旧新田小学校」


上新田村出身の吉田氏の記念碑が建っている。


表 「旧新田小学校」  右に市立しんでん幼稚園がある。

昔の写真を見ると 行事や運動会が行なわれた場所でもある。

この道が「三国街道」


交差点の角ここに 見つかった道標 


「上新田西口道標」があったものと考えられる。

右は熊野田(勝尾寺街道)、左は小曽根の渡し(大坂、三国街道)になる。  

見える橋は落合橋、向こうの高架が新御堂筋





交差点


旧新田小学校横の交差点で 

村の中に入るには タクシーの進行方向、左に進む。

右は新道 堺・布施・豊中線


村中 左に天竺川 橋を渡り 右手に源流に近づきます


大坂三里の道標

ある解説のよると、左の道は、表示が「ざいしょ」とあるので、

① 行き先を牧落に通じるとされている。

②もう一つは、この道標は移築されたものではないか!「ざいしょ」とは「熊野田」だというのもある、

③願主が 苗字を持っているので 医者ではないか と色々な説が出てくる。

「ざいしょ」とは「近くに家があるよ」とのことで、①は「しまこまやま」を越すのでここではそぐわない。

私も長年②を提案していましたが、今回の発見でこれも違うのでないでしょうか! ③はありうることです。

この項、新しい情報が入りましたら再度検討したい。


いまだ残る、昔の家並み、向こうに見えるのが千里中央


新しい看板です。  4基の道標 が記されています。


北口道標「右 か(勝尾寺)」裏「上」  後ろの杭は 「五一会」が道標四基に立てたもの。

左に取ると、千里中央から萱野・箕面の滝へ


右が千里川 橋の袂に道標が 


南口道標「右 さいてじ  左 かつおじ」
(吹田市のさいd)
裏面「右大坂」     

それの左手前に 大きな家が





新しい 案内板 右には 上新田町唯一の寺「真覚寺」

左は 「上新田天神社」、さらに竹やぶを潜り抜けると「千里中央」にでる、


上新田天神社への道  その手前に 大きな地蔵がありました。 


村中  「山口家」


途中 徳林寺への道しるべ


階段を上がると すぐ祠が






境内 右手に小さい墓地が 天明二年 の墓が 手前2番目は 「2世」と記されていた。


村の東はし 「東口道標」


「右いばらき 山田」「左かつおじ」  左端に見えるのが本物です。


だいぶ痛んでいます。方向を一面であらわしています。

同じ様な「西口道標」「北口道標」同じタイプで 古い道標とされています。

もともと 向かいの角にあった物です、

左に取ると 上新田小学校から源流新池になります。

右手に「千里ゴルフ」のネットが見えます。




この後勝尾寺道は表参道へ 

2009年12月1日火曜日

ガイドブック 生駒の歴史と文化

生駒の歴史と文化

生駒市教育委員会  P102

「石物の里」石仏寺
 阿弥陀三尊像の横に阿弥陀立像「嘉元四年(1306)七月日  近住行仏」 

竹内街道の道しるべ

最古の街道
竹内街道の道しるべ
竹内街道歴史資料館
平成八年九月  p171

「神南辺大道心」


竹内街道最古の道標「大道の道標」
元文四年(1739) 地蔵立像 

2009年11月30日月曜日

道標

「才の神南 ???」         能勢に「才の神峠」がある。
南海線「千早口」駅

延命寺への坂道に地蔵

道標です。 右えんめい       左野道

観心寺 赤橋の手前 常夜灯の横に自然石でできている。

観心寺境内 指で「大楠公御首墓」

寺元地蔵尊

嶽山城への登り口

右龍泉寺


地蔵道標 右

交差点の向こうに  左 嶽山城跡