2012年1月5日木曜日

人気沸騰中 961件 現在1,539(2022/12/05) 東淀川区の探索 2―Ⅲ 後半 淡路まで 追加 

追 加  2015/09/27 
   引江村から吹田・上新田に向けて渡しがあった。  

追 加  2014/11/19
   阪急淡路駅 新光写真館の
    「過ぎ去った日の淡路」  
  
追 加   2014/5/28
  
バス停「鳩ケ瀬会館」

下新庄鳩ケ瀬会館

公園の碑   「淡路区割整理記念碑」

地区総地■ 六萬七千十六坪
宅地地■   四萬六千四百弐拾参坪
遊水路地■  壱萬八千五百八拾参坪
公園地■   六千拾坪     
事業開始 昭和7年12月
工事完了 昭和9年参月

昭和 14年10月建之


2015/10/14 相変わらず 訪問者が多い。
 2015/10/14日現在  961件です。

2014/01/19 相変わらず 訪問者が多い。 
18日現在  801件です。

2013/09/25
このページ閲覧者が多い  25日現在 352件です。
郷土史家が増えたのか いいことです。  次の項目にご意見を
「五田名北踏切」
鳩ケ瀬踏切」
「下新庄鳩ケ瀬会館」
いろいろありますが、「北摂の郷土史」のネットワークをつくりましょう。
情報提供から始まる歴史・・・
疑問から始まる歴史、質問から始まる歴史 
このブログは「北摂の道標」でいいのではないですか!
コメントに書き込んでください。
新しい情報をお待ちしています。

上村 和功
565-0854  吹田市桃山台1-1-2-406
℡、FAX    06-6170-6090

ここから始まったか!
携帯      削除しました。 イタズラメール

  何回もメールが来ています。 いたずらメール 
「電話番号を公開するよ」と云っても
メールです。 「ちょっと・・・・・」    
ということは、東淀川区の関係者か!

メール   fkyws889☆ybb.ne.jp 
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訪問者数 1日100件超え
102件(3日)、 110件(4日) 正月から調子がいいですね!
ありがとうございます。 ご意見をお寄せください。 
アジア地学研究所 
ある路地です 中を行くと
ありました。右側に祠が
「延命地蔵尊」 中には多くの地蔵がありました。

公園ですが、一般的な公園とはちょっと違います。
先ほどの「大桐公園」と同じ風景です。
大きな石がやたら多い! 私たちが思う 公園のイメージと違います。
やたら 石が多い!! 何故?
さて、前ページの地図B点 から東に延びる道 気になりませんか!
その地点に参りました。 このまま 西進します。 角にある三角形の小さな公園



下の川が淀川  赤色が亀岡街道が菅原の道標と出あい 右 江口 川沿いに行く
一柳家の道標で『右 江口、瑞光寺」を目指す。緑色
途中分かれる、緑は右下に直線である。それが、上の写真で見た直線道路になる。
緑はその後、「西大道村」内、道標があった場所に出会い、南大道村を目指し東へ向かう。
南大道村では、亀岡街道から分かれ、川沿いに上って来た道に出会い、そのまま川沿いにのぼると、「江口村」に出る


電話です。
今広島にいる友人から、「大阪に帰っている。」
さっそく 梅田で会うことにしました。
会社役員ですが 今も現役です。ちょっと頭は・・・ですが、
男前です、私の次に・・・
2年前に我々の友人を失いました、遠く離れていますので今では
年賀状だけの連絡でした。二人とも「知らなかった!」悔やまれます。
病気であったことも知らず、残念です。
「同窓会を開こう!」、これからな、機会あるごとに会う約束をしました。
彼は酒が飲めません。コヒーショップでお茶を飲んで別れました。

探索の続き 
豊新5丁目  北方向 「瑞光寺」 反対側は写真がありません。
反対側のルートを進むと 「道標一柳家」の分岐です。
帰宅後 明治19年の地図で確認しましたが、
今まで直線としてやってきた道(交差点の右側)が「江口への道」になります。
その後は、内環状線を横切り 前回の大桐の道標に出会うわけです。
「左 江口」 になります。
ここは 「五田名北踏切」???
阪急京都線をクグリ、新幹線沿いにやってきました。
これは 阪急北千里線下新庄駅南側の踏切「五田名北」

少し 駅に向かい 斜め北に入る道を進むと

坂になっています。 堤防跡か

両脇には大きな家があります、


その前に気になるものが これです、
珍しい車 木彫
メーカーです。

坂を上りきると たぶん堤防跡  左側が西下新庄公園
右は「阪急下新庄駅」
探査ルートはこの道を左に取ります。 

前回夕闇の中の写真でした。
アップします。 
右 あまがさき
左 そうぜんじ
郵便局前のやぶの中,三叉路いや5差路に立っています。
剥離が始まっています。 早く保存を まずは拓本で
向かいが 西下新庄公園  
道標の案内「左 そうぜんじ」の道をとります。
写真を撮っているこの道を逆行します。

通りに出ました。前方の建物 新幹線その下の建物「下新庄鳩ケ瀬会館」????
新幹線を越すと 公園が
そこには 道路整備記念碑が
街道が消えていますので探索はこれで終わり
この先「変貌する町並み」 阪急淡路をめざす。

その後、梅田で同級生と対面です。

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2013/03/20
東淀川区東部 Ⅰ                    2011年12月9日金曜日         
東淀川東部の探索 2―1                               2012年1月3日火曜
東淀川区の探索 2―Ⅱ                              2012年1月4日水曜日
東淀川区の探索 2―Ⅲ 後半 淡路まで         2012年1月5日木曜日
東淀川区東部探検 Ⅲ                                      2011年12月12日月曜日
東淀川区探索 Ⅳ 江口の堂                           2011年12月13日火曜日
東淀川区の探索 Ⅴ                                          2011年12月22日木曜日
一挙に 三千橋個! 水の流れない川・橋      2011年12月12日月曜日

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夜中に書き込みがありました。 現在の時刻 午前2時です。 私自身ブログを書いています。

そこで 返事です。 
図書館で調査依頼をされたら早いのではないでしょうか!
私も大阪市役所hpの「市民の声」に依頼した結果 大阪市立中央図書館調査相談担当 から返事のメールを頂きました。その内容など見られて質問されたら 一週間以内に返事があると思います。 大阪市の図書館は「知識創造型図書館を目指します。」 大阪市役所の対応は非常に早いと感心しています。これは間違いありません。
さて 質問方法 一度 図書館で下記のこと検索され、司書に問い合わせられてもわかるとおもいます。それでもわからない場合 下記の要領で問い合わせされたらどうでしょうか!
1.下新庄の歴史を知りたい。 「下新庄郷土史」があるか!
2.下新庄の小字名が書いてあるものを知りたい。
3.下新庄の地名「鳩ガ瀬」、「五名田」の地名はあるのか!


知りたい内容は手持ちの資料・写真があった方が相手に納得がいくので、 その資料として私のブログ上げ、「ここに書かれていることだ。」と言われた方がわかりやすいと思います。

そして新しい事実がわかりましたら お教えください。


長くなりましたが 貴殿が云われるように 昔の地名、名称、由緒などが失われようとしています。
私も「道標に託された庶民の心情」を後世に伝えようと頑張っています。 貴殿におかれても貴殿が知りえたことを後世に残す・資料ことで頑張られていると思います。 ブログなどやっておられたらお知らせください。 色んな意味でご協力させていただきます。
回答 2012/03/30
詳しい人に聞きました いながきさんです。「歴史散策の達人」
戦国時代 茨木城主 中川清秀 が織田信長の命で 下新庄の「明教寺」に築城する。
それで新城 から 新庄になったものと考えられる。
「鳩が瀬」は名前からのイメージ通り、鳩が沢山いたのでは
「五田名」は橋の名前ということらしい ???

中川清秀については、先だって 茨木を探索した折 梅林寺に中川清秀の墓があるのを見ました。
もう一つ 大岩山にある中川清秀の墓


問い合わせ  2012/03/29
上では ・・・「下新庄鳩ケ瀬会館」??? となっている通り 地名としてありません。
、「鳩ケ瀬踏切」もあります。地図で確認してください
私、吹田の住民ですので今のところここまでです。
何かわかりましたら また ブログに載せます。

より大きな地図で 踏切  を表示
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5 件のコメント:

点 と 点 おやじ さんのコメント...

追加
「鳩が瀬」という地名広いようです。
阪急京都線の淡路-上新庄駅間の踏切に
「鳩が瀬踏切」があります。
その時のブログを探しましたがわかりません
写真をお送りします。

点 と 点 おやじ さんのコメント...

KN 算のコメント
の 鳩ケ瀬会館の鳩ケ瀬や、五田名北踏切の五田名、といった地名は区画整理等で無くなってしまった地名なのでしょうか? 私は現在、下新庄1丁に住んでいるものです。

点と点です 消したみたいです 再掲します。
すみませんでした。

点 と 点 おやじ さんのコメント...

ありがとうございます。  鳩ケ瀬、五田名について、明治の地図では両名の村はありません。 地名として残ったものと考えます。   鳩ケ瀬会館の南側は開発され、昔の面影、街道は見つかりませんでした。公園があり、開発の碑が立っています。五田名の西側も整備された宅地が存在し、昔の面影はありません。  すみません、現在はこれくらいしかわかりません。  知り合いに問い合わせてみます。  一番の早道は 地域の人、郷土史家に問い合わせてみるとよいと思います。  下新庄駅西側には 古い家がたくさんありますので、知っている方がおられると思います。

KN さんのコメント...

お答えいただき誠にありがとうございました。
地名・地理というものはそれ自体がひとつの文化であると私は考えております。
今となっては、駅・バス停・電停・踏切などにのみ、その名を残している地名がたくさんあり、寂しくもあり、興味深くもあり、といった思いです。
また、このブログを拝見しに来ます。

点 と 点 おやじ さんのコメント...

由緒ある昔の地名
いまだ残る地名・街道名
先人の遺産を後世に伝えるのが現代に生きる我々の役割と思います。
無くなる踏切にも地名を残すものが多い
消え行くものを後世に伝える。
淡路駅の高架のため無くなる踏切があります。
「旧下久野暗渠」
「井戸口橋梁」
「新神崎川橋梁」