2009年10月3日土曜日

ある教育委員会からの返事  石仏の溝

調べている道標に関した疑問に思っていることを
太子町教育委員会生涯学習課に問い合わせました。
この地蔵です。
太子町の角屋前の道標の左横の地蔵には

 はっきりした溝がありました。この溝について問い合わせました。
なぜ、このような溝があるのか?
今日、封書をいただきました。  すごいですね! いろんな資料の中から調べていただき
次のような資料をいただきました。
有難うございました。   これで、又一歩前進です。
  
付箋のあるものが「溝のある石仏」交野市の石造文化財Ⅰ、交野市の石造文化財Ⅱに記載されています。
それによりますと  「再利用 唐臼の支柱へ」
年代は古い物で室町時代のものも存在します。  

私も9/17に、そうではないかと思っていました。それは、野の仏「じろう」を再度見ていると、頭までえぐれているのです。これは、石仏を彫った後に再利用した物だと。  これで確認できました。
有難うございます。

 この資料、地蔵のことがまとめてあり、時代認識もされています。
  明日は交野市に行き資料を見てきます。
また、やることが増えた!
 と思って、住所等を調べていたら、別なサイトで門真市歴史資料館にも面白い物がありましたのでこれは写真を撮ってきます。

2009年10月2日金曜日

箕面市 小野原の道標設置

小野原から「山田 ・ 上新田」の道標
 公園に設置されました。

 小野原から出てきて、最初の三叉路で 右は しんでん  左はやまだ
  新田は上新田のことで、吹田の北千里公園を横切り、青山台方向に抜け、勝尾寺街道に出会う、その後安場池の「上の立石」の横を通り、上新田へ
 
 道標は東を向いています。 方向的におかしいのですが、今回の設置違いではなく、このように立っていたようです。 方向としては 西向きが正解です。
 私は10年ほど前探したのでしたが、見つかりませんでした。 2年前 問い合わせると、「資料館で預かっている」「区画整理が終わった後公園に設置する予定」ということで、私は始めて見ます。
 道標も自分の物の場所もどり、一安心していることと思います。
 南の方向 上新田方向

 箕面市

 [箕面から大坂への道しるべ展]
期間:9月4日(金曜日)から12月7日(月曜日)
見つかった道標2基

今日の新聞から  
  一度破壊された物は元には戻らない。
 「ポニョの港」守られた。
  宮崎駿監督談話「開発の時代は終わった」

次の時代に残す物、借金ですか! 

2009年9月29日火曜日

『箕面から大坂への道しるべ展』 Ⅱ

[箕面から大坂への道しるべ展]
期間:9月4日(金曜日)から12月7日(月曜日)

動く広告塔 リックサック 
「川西市中部道標をめぐる」14キロに参加 アップは後日
見つかった道標2基
見つかった道標1  38番

大坂道ウツギ谷上池合流点

見つかった道標2 45番

NO45 上新田西口道標
(旧新田小学校の道標)  
この道標の所在につきましては、豊中市立第十三中学校教諭の上村 和功 氏から
当館にご教示がありました。 展示にあたりましてお礼申しあげます。

その他 見つけられた「道標17基」