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2024年7月2日火曜日

➂ 江坂の道標 不明?! ② 豊津小学校創立150年 ① 藤井翔太 永世称号獲得  大谷翔平  

07/07  297回ビュー 628,181回ビュー  07/08  290回ビュー

07/04  393回ビュー  627,249回ビュー  07/05 340回ビュー  527,589回ビュー

07/02  421回ビュー  626,573回ビュー  07/03 283回ビュー  626,856回ビュー

07/01 411回ビュー  626,152回ビュー

2024/04月期 12,074回  5月期 10,893回  6月期 6,522回 

     

 江坂の道標    投稿 江坂の「万人講道標」見つかる 

  万人講道標 

  万人講道標 ④ 

   見 つ け   2011年8月17日水曜日 関係機関に報告していました。 油かけ神社の地主、博物館、

    一時 消  失、   2019年10月7日月曜日 消息不明   

       再 発 見    2019年12月30日月曜日   平塚さんが探していただき見つけていただきました。

                                        ありがとうございました。  

         しばらくの間 家で保存   現在は    油かけ地蔵の横に          




油かけ地蔵 江坂 素盞嗚尊神社 で保管


別課題   ブログを 見ていたら この道標どこの!

新聞報道 拓本 吹田メイシアター の写真14 この道標です。

左側の道標 「右 かちを」 何処の道標???
教えて  この道標は 何処の道標でしょうか!
吹田拓本会 会長さんに電話 今日は ご機嫌伺 
近況報告で 田んぼの草刈り・・・????  お元気のご様子でした。
 
 その後 「吹田の道標」を調べていましたら ありました。
わかりました! 江坂の西道標 左です。「吹田の道標」P4に記載


豊津小学校創立150年 

  創立 明治10年 はどんな年・・・

  校長ブログ

  プール開き   救命救急講習   田植え   土曜参観   

正門横 創立150周年看板 後ろの石碑は  

創立100周年記念碑

拓本 展示に豊津第一小学校の紹介がありました。
写真 13 江坂西西道標
写真 14 江坂西道標

別 項  徳基小学校  碑


展示会で「右 かち」の道標 はどこにあるの! 江坂西道標でした。


    ① 藤井翔太 永世称号獲得  棋聖5連覇で 永世称号獲得



   大谷翔平 活躍

 

2021年10月27日水曜日

ここは大神様の道・高川堤防東側・吹田市側に立っていた道標 「榎阪郷昔をたずねて」投稿  GOOGLEマップに掲載 右の大の木 に・・・ 

下高川橋西詰・フラワーロード
「大神様の道標」とは50mほど離れている。

赤い道が「大神様道」

 高川の上流 箕面の山々
橋は「小芳橋」
建物の中の前の部屋には祭壇が
「大神様道」道標 部屋の中に祭殿が   投稿 H氏より

GOOGLE マップの「大神様道」口コミ より

1 年前

 オオガミサマヘノミチと読みます。大神樣(オオガミサマ)というのは、この高川の向こう側、吹田市芳野町8の大きな木の下にある祠を指しています。その祠が明治大正の頃は、大神樣という名の祈祷師のおばあさんが住む祈祷所がありました。そこへ向かう道を示す当時の道標です。むかし、周辺の村人が病弱になると祈祷所を訪れては、大神樣が呪文を唱えながら彼らの身体を軽くさすったりしてお祈りしていました。周辺の村どころか大阪市方面から病気平癒を求めてやってくる人々もいました。

 渡場(ワタシバ・現在の豊南町東3の旧地名)の青年会が彼らを案内するために、村人から寄付金を募って大正510月に建てられました。ちなみに道標の北面には「渡シ場青年會寄附」と彫られています。その道標は建立当時からそのままの位置で建っているのではありません。昭和30年頃、高川を掘り下げて堤防をコンクリート造成する工事がはじまり、それに伴って、本来の位置から現在の位置へ移設されてしまったのです。本来の位置は、道路をはさんで反対側、つまり川へ降りていく法面に建っていました。工事で川底が深く掘り下げられて急なコンクリート法面に変わり、道標を元へ戻せなくなったため、現在の位置、つまり道路の西側の土手へ移設されてしまったのです。分かりやすく言いますと、現在の位置は道路から見て西側にあるのですが、工事前の本来の位置は道路から見て東側にあったのです。道標の西面に彫られている「ソコノ向側」は、今は道路から見えない裏側になっているのですが、当時の本来の位置で見ると、道路を行き交う人々が常に見える表側だったのです。当時の高川は天井川のため川の流れが高い位置にあり川底も浅く、道標のほとりには対岸の吹田へ渡る飛び石がありました。「そこを渡って向こう側へ行けばありますよ」という意味で「ソコノ向側」ということです。道標の東面には「大正五年十月建之」が彫られています。石碑や墓石に彫る日付はふつう背面に彫られるもので、当時の本来の位置関係で見れば道路の背面になっているということです。道標の南面に彫られている「大神樣道」は、大阪市方面からやってくる人々へ見せるタイトル看板のようなものということです。 

    渡場の古老の生前のおはなしより 

情報「大神様道」   高川の道標 3


 

2020年8月15日土曜日

箕面ダムから「マリアの泉」勝尾寺へ

能勢の沢で 音で涼を
綺麗な沢です 


沢蟹が泳いでいます。水がきれい

ダムの前に 勝尾寺への道の途中で 冷たい瀧が
箕面ダム湖 憩いの場所、展望が出来ない。

「マリアの泉」

前のページの 
*印 ヒ素及びその化合物 0.012mg/L 水道水0.01mg/L以下
水道水の水質基準に不適合 となっています。が
大坂の代表的な湧き水-環境省 には入っています。


川原で遊んでいる 

水は冷たい


今日もサイクリングの人達が休憩に 食事後 水をもって 勝尾寺へ
一町石

 ちょっとボケています。再度チャレンジ 「国の史跡」です。


それから 「万人講道標」を目指します。
二町石


二町石と三町石の間 三町石に近い 表参道からウツギ谷に分かれるとことにある、

表参道の横に立っているのは 境界石  ウツギ谷に2メートルの左側にある

これが「万人講」が立てた道標   箕面に2基 
上新田1基 江 坂1基 私が2基を見つけました。

「箕面の道しるべ」に記載

勝尾寺
右側にある 「下馬」の横に立っている道標

右 大坂六里 元治元年七月

十兵衛瀧右入口と左 勝尾寺公園 勝尾寺川の源流?

ガードレールの切れているところから入る
公園に行くと


沢蟹が 中央の右より

上流   横には山の神が祀ってある。

2020年8月9日日曜日

湧き水 茨木の山奥 地蔵1基見つかる 粟生間谷 素戔嗚尊神社

地蔵 2基不明 1基見つかる
上の道は 新しい「西都への道」
粟生間谷 地蔵堂

不明の地蔵「椿地蔵」  十六丁地蔵とは建物が違う
巡礼道 勝尾寺へ 地蔵3体 2013年5月29日水曜日
上のページが判らず難儀しました。 十二丁石より 勝尾寺よりだ 

湧き水 以前 何回か水汲みに行きました。
茨木能勢線 で勝尾寺川登る 粟生間谷で分かれ 豊中亀岡線府道43号線を登る
泉原で「茨木高原カントリークラブ」への道を上がる 300m左に折れる道を取る
分岐から 1.5kmと長い


もうすこし行くと「林道西谷線 終点」(茨木市)の標識が 


展望 右に煙突が見えます。 リサイクル協同組合


水場の横に

「水質基準に適合しない」の看板が
すごすごとかえります。 その前に探索
この道路 「東海自然歩道」京都大原から箕面の森迄

途中で
「十二丁長石」ここから谷に降り 
廻りは苔むしています。「椿地蔵中継ポンプ場」前
「十六丁石と十六丁地蔵」
以前  巡礼道 勝尾寺へ 地蔵3体
3体の地蔵があったが
見つけたのはこの一体のみ見落としたかな!

間谷の神社「素盞鳴尊神社」探検
勝尾寺からは 西田橋の手前を左に登る


 
二つの石物がお出迎え

「素戔嗚尊神社」
 
これは 由緒あるようだ! 文字は読み取れなかった。
 
 
「山の神様」2基

灯籠 1対

「縁起」