2013年1月27日日曜日

赤坂下池の野鳥 1/30 1/13 1/7

今日は市民病院の前の二尾池で 1/30



サギ 「鵜」が休んでいました。

下の写真は 赤坂下池(桜井谷)
 

 同じ場所に来ていました。 2013/01/13 撮影
2013/1/10撮影 
アオサギ  2013/01/07 撮影

サギが  10/5

さぎが 2012/10/05

二尾池 

これは 赤坂下池 オオヨシキリ  5/11


ここにも自然が残る 「ヒメボタル」 豊中市  

六地蔵道標 更新





2013年1月23日水曜日

横山勘兵衛の残したもの  「高岡の碑」より

本「高岡の碑」は 今は亡き高岡町郷土史家 首藤光幸氏による 平成13年出版ういか
この本に記載されている項目を記載し調査を開始します。

表紙 金剛力士像  横山勘兵衛の寄進
p30-32   金剛力士像 横山勘兵衛の寄進
p33-35   横山勘兵衛墓
p80     御祇園規帳 宝暦8年 年行司組 横山勘兵衛 他5名
p110-113  本永寺 横山勘兵衛地蔵
p294-296  仁田尾の水神 
 以上が横山勘兵衛の上げられるている項です。

もう一つ 「高岡人物史」 本吉直二 著

元禄15年生まれ 1702年
寛政元年88歳歿 1789年     江戸時代の年表
300年前か   お寺は何処だ 一度も行ったことがない。  過去帳なるものがないのか
そのための家系図だったのか! 

追加  子孫が残したもの
 高浜神社の常夜灯 2基
 山之口の山の神の移築 

横山勘兵衛
元禄15 1702  5代目 横山勘兵衛 生まれる
元禄16 1703
延宝1 1704
延宝2 1705
延宝3 1706
延宝4 1707
延宝5 1708
延宝6 1709
延宝7 1710
正徳1 1711
正徳2 1712
正徳3 1713
正徳4 1714
正徳5 1715
享保1 1716
享保2 1717
享保3 1718
享保4 1719
享保5 1720
享保6 1721
享保7 1722
享保8 1723
享保9 1724
享保10 1725
享保11 1726
享保12 1727
享保13 1728
享保14 1729
享保15 1730
享保16 1731
享保17 1732
享保18 1733
享保19 1734
享保20 1735
元文1 1736
元文2 1737
元文3 1738
元文4 1739
元文5 1740
寛保1 1741
寛保2 1742
寛保3 1743
延享1 1744
延享2 1745
延享3 1746
延享4 1747
寛延1 1748
寛延2 1749
寛延3 1750
宝暦1 1751  父 孫左衛門歿
宝暦2 1752
宝暦3 1753  父三回忌 釈迦像建立
宝暦4 1754
宝暦5 1755
宝暦6 1756
宝暦7 1757  高浜神社 再建
宝暦8 1758
宝暦9 1759
宝暦10 1760
宝暦11 1761
宝暦12 1762  もさるの水神様を建立
宝暦13 1763
明和1 1764
明和2 1765
明和3 1766
明和4 1767
明和5 1768
明和6 1769
明和7 1770
明和8 1771
安永1 1772
安永2 1773
安永3 1774
安永4 1775
安永5 1776
安永6 1777
安永7 1778
安永8 1779
安永9 1780
天明1 1781
天明2 1782
天明3 1783
天明4 1784
天明5 1785
天明6 1786
天明7 1787
天明8 1788
寛政1 1789  横山勘兵衛死去 享年88歳

2013年1月21日月曜日

吹田郷土史研究会総会 新常任幹事 上村 和功


平成25年度 総会  2013/01/18
メイシアター レセプションホール

新会長 武田  純立
新人 常任幹事 山根 茂男
新人 常任幹事 上村 和功

前会長・名誉会長 佐々木 進氏  

司会  内山実嗣 副会長
「日本の歌曲を歌う」

独唱 肥田静江さん  池田はんべい 氏の縁者

ピアノ演奏  平野淳子さん


 顧問 加賀真砂子さん
 閉会の辞 岩崎 健一 副会長

吹田郷土史研究会の歴史・本年度の予定 
昭和42年に故池田半兵衞さん  初代会長


次回 3月20日(祭日)午後1:20 ~ メイシアター
「紫雲寺の歴史と森祖仙の天井画」 
ー内陣を飾る森祖仙の幽玄の成り立ちー   講師 竹田 純立

4月17日水 春の歴史探索バスツアー「湖西路を往く」
高島市の継体天皇誕生地、中江藤樹記念館



2013年1月19日土曜日

中之島 せんだんのきばし 食事の帰り

祝いの食事会 01/11  北浜
せんだんきばし 向こうに見えるのは中之島図書館 この橋を言う

モニメント 
  
明治時代         大正時代          昭和時代

 大正時代の親柱
昭和初期の親柱

現在の親柱

モニメントの裏   表は
栴檀木橋 この橋のたもとに「センダンの大木」から橋の名前に

町の名前、橋の名前、踏切の名前 それぞれゆかりのある名が刻まれている。
町の名前は市町村合併で消えていくものもあり。橋の名前も四ツ橋など道路になり、
名前が消えていくものがあり、親柱として残されている物もある。
踏切は鉄道の高架計画でその名前が無くなる。
色々な名前な 何時もの時代もそれぞれに思いがあり、名付けられているが
何時は消滅することもあるが、先人の思いを知り、後世に伝えるのは
現代に生きる我々の役目である。

関西の踏切の名前を調べている人がいます。




 
 
 
 

2013年1月17日木曜日

見慣れた碑 ?宝暦六年? おどろきです。 綾

正月3日 小田爪・湯之谷
 右が私の別荘への道、左はゴミ焼却所・保ケ岳への道
これです。60年間見てる碑ですが、詳しく調べませんでした。
碑の丘から湯之谷を見た、杉が切り倒されていました。
 
「山の神」  を祭ってありました。
 宝暦六年です。1756年 江戸中期 

すごいですね。ちゃんと確認しないといけません。
 60年間知らなかったのですから

宝暦六年 二月
 
もう一つ 親父が「山の神様」として祭ってある丘がありましたので再調査  

湯之谷です。 田んぼ  左側にある丘を探索

一つはこれ  奥に見えるのが私の別荘(湯治場)

屋根が私の湯治場 「山の神様」でした。

上村 貞蔵 の名があります。 私の祖父です。
昭和18年 建立

この丘に もう1基 

 水神さんでした。
小さいころ 父親に連れられ登ったことがあります。
いい加減な記憶です。再確認しました。 
 水神さんと山の神様でした。

湯 之 谷  *************************************
他のサイト  綾町紹介

2013年1月16日水曜日

横山勘兵衛子孫 三石蝶 100歳誕生日と死去 享年103歳

三石 蝶  100歳の誕生日

今日は 正月二日 三石蝶 の葬儀に出席 享年103才
 
 
 
遺族 
 
火入れ お別れです。
 
うちの母(上村 ヨシ)と2人の業績 
 横山勘兵衛子孫として
 高浜神社を再興した横山勘兵衛
             2人で常夜灯2基と由緒書きを寄進
 山之口の水神様を 高岡町に移築
 
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この日に、横山勘兵衛の資料を印刷して持参しました。それで
ここで 提案されました。「横山勘兵衛」に関することをまとめてくれと。
私が横山勘兵衛のことを色々聞いていましたので、郷土史をやっていることは知っていました。
それと、従兄弟の中で2番目に若いものですから、時間を見つけてやらねばなりません。
今までの資料を整理したいと思います。 この夏は 宮崎での調査になります。
 
本「高岡の碑」  の整理
「カンベイバカ」の墓のすべての拓本