2013年1月27日日曜日
2013年1月23日水曜日
横山勘兵衛の残したもの 「高岡の碑」より
本「高岡の碑」は 今は亡き高岡町郷土史家 首藤光幸氏による 平成13年出版ういか
この本に記載されている項目を記載し調査を開始します。
表紙 金剛力士像 横山勘兵衛の寄進
p30-32 金剛力士像 横山勘兵衛の寄進
p33-35 横山勘兵衛墓
p80 御祇園規帳 宝暦8年 年行司組 横山勘兵衛 他5名
p110-113 本永寺 横山勘兵衛地蔵
p294-296 仁田尾の水神
以上が横山勘兵衛の上げられるている項です。
もう一つ 「高岡人物史」 本吉直二 著
元禄15年生まれ 1702年
寛政元年88歳歿 1789年 江戸時代の年表
300年前か お寺は何処だ 一度も行ったことがない。 過去帳なるものがないのか
そのための家系図だったのか!
追加 子孫が残したもの
高浜神社の常夜灯 2基
山之口の山の神の移築
横山勘兵衛
この本に記載されている項目を記載し調査を開始します。
表紙 金剛力士像 横山勘兵衛の寄進
p30-32 金剛力士像 横山勘兵衛の寄進
p33-35 横山勘兵衛墓
p80 御祇園規帳 宝暦8年 年行司組 横山勘兵衛 他5名
p110-113 本永寺 横山勘兵衛地蔵
p294-296 仁田尾の水神
以上が横山勘兵衛の上げられるている項です。
もう一つ 「高岡人物史」 本吉直二 著
元禄15年生まれ 1702年
寛政元年88歳歿 1789年 江戸時代の年表
300年前か お寺は何処だ 一度も行ったことがない。 過去帳なるものがないのか
そのための家系図だったのか!
追加 子孫が残したもの
高浜神社の常夜灯 2基
山之口の山の神の移築
横山勘兵衛
元禄15 | 1702 | 5代目 横山勘兵衛 生まれる |
元禄16 | 1703 | |
延宝1 | 1704 | |
延宝2 | 1705 | |
延宝3 | 1706 | |
延宝4 | 1707 | |
延宝5 | 1708 | |
延宝6 | 1709 | |
延宝7 | 1710 | |
正徳1 | 1711 | |
正徳2 | 1712 | |
正徳3 | 1713 | |
正徳4 | 1714 | |
正徳5 | 1715 | |
享保1 | 1716 | |
享保2 | 1717 | |
享保3 | 1718 | |
享保4 | 1719 | |
享保5 | 1720 | |
享保6 | 1721 | |
享保7 | 1722 | |
享保8 | 1723 | |
享保9 | 1724 | |
享保10 | 1725 | |
享保11 | 1726 | |
享保12 | 1727 | |
享保13 | 1728 | |
享保14 | 1729 | |
享保15 | 1730 | |
享保16 | 1731 | |
享保17 | 1732 | |
享保18 | 1733 | |
享保19 | 1734 | |
享保20 | 1735 | |
元文1 | 1736 | |
元文2 | 1737 | |
元文3 | 1738 | |
元文4 | 1739 | |
元文5 | 1740 | |
寛保1 | 1741 | |
寛保2 | 1742 | |
寛保3 | 1743 | |
延享1 | 1744 | |
延享2 | 1745 | |
延享3 | 1746 | |
延享4 | 1747 | |
寛延1 | 1748 | |
寛延2 | 1749 | |
寛延3 | 1750 | |
宝暦1 | 1751 | 父 孫左衛門歿 |
宝暦2 | 1752 | |
宝暦3 | 1753 | 父三回忌 釈迦像建立 |
宝暦4 | 1754 | |
宝暦5 | 1755 | |
宝暦6 | 1756 | |
宝暦7 | 1757 | 高浜神社 再建 |
宝暦8 | 1758 | |
宝暦9 | 1759 | |
宝暦10 | 1760 | |
宝暦11 | 1761 | |
宝暦12 | 1762 | もさるの水神様を建立 |
宝暦13 | 1763 | |
明和1 | 1764 | |
明和2 | 1765 | |
明和3 | 1766 | |
明和4 | 1767 | |
明和5 | 1768 | |
明和6 | 1769 | |
明和7 | 1770 | |
明和8 | 1771 | |
安永1 | 1772 | |
安永2 | 1773 | |
安永3 | 1774 | |
安永4 | 1775 | |
安永5 | 1776 | |
安永6 | 1777 | |
安永7 | 1778 | |
安永8 | 1779 | |
安永9 | 1780 | |
天明1 | 1781 | |
天明2 | 1782 | |
天明3 | 1783 | |
天明4 | 1784 | |
天明5 | 1785 | |
天明6 | 1786 | |
天明7 | 1787 | |
天明8 | 1788 | |
寛政1 | 1789 | 横山勘兵衛死去 享年88歳 |
2013年1月21日月曜日
吹田郷土史研究会総会 新常任幹事 上村 和功
吹田郷土史研究会の歴史・本年度の予定
昭和42年に故池田半兵衞さん 初代会長
次回 3月20日(祭日)午後1:20 ~ メイシアター
「紫雲寺の歴史と森祖仙の天井画」
ー内陣を飾る森祖仙の幽玄の成り立ちー 講師 竹田 純立
4月17日水 春の歴史探索バスツアー「湖西路を往く」
高島市の継体天皇誕生地、中江藤樹記念館
次回 3月20日(祭日)午後1:20 ~ メイシアター
「紫雲寺の歴史と森祖仙の天井画」
ー内陣を飾る森祖仙の幽玄の成り立ちー 講師 竹田 純立
4月17日水 春の歴史探索バスツアー「湖西路を往く」
高島市の継体天皇誕生地、中江藤樹記念館
2013年1月19日土曜日
中之島 せんだんのきばし 食事の帰り
せんだんきばし 向こうに見えるのは中之島図書館 この橋を言う
昭和初期の親柱
現在の親柱
モニメントの裏 表は
栴檀木橋 この橋のたもとに「センダンの大木」から橋の名前に
町の名前、橋の名前、踏切の名前 それぞれゆかりのある名が刻まれている。
町の名前は市町村合併で消えていくものもあり。橋の名前も四ツ橋など道路になり、
名前が消えていくものがあり、親柱として残されている物もある。
踏切は鉄道の高架計画でその名前が無くなる。
色々な名前な 何時もの時代もそれぞれに思いがあり、名付けられているが
何時は消滅することもあるが、先人の思いを知り、後世に伝えるのは
現代に生きる我々の役目である。
関西の踏切の名前を調べている人がいます。
2013年1月17日木曜日
見慣れた碑 ?宝暦六年? おどろきです。 綾
宝暦六年です。1756年 江戸中期
すごいですね。ちゃんと確認しないといけません。
60年間知らなかったのですから
すごいですね。ちゃんと確認しないといけません。
60年間知らなかったのですから
もう一つ 親父が「山の神様」として祭ってある丘がありましたので再調査
湯之谷です。 田んぼ 左側にある丘を探索
一つはこれ 奥に見えるのが私の別荘(湯治場)
屋根が私の湯治場 「山の神様」でした。
上村 貞蔵 の名があります。 私の祖父です。
昭和18年 建立
この丘に もう1基
水神さんでした。
小さいころ 父親に連れられ登ったことがあります。
いい加減な記憶です。再確認しました。
水神さんと山の神様でした。
湯 之 谷 *************************************
他のサイト 綾町紹介
2013年1月16日水曜日
横山勘兵衛子孫 三石蝶 100歳誕生日と死去 享年103歳
三石 蝶 100歳の誕生日
今日は 正月二日 三石蝶 の葬儀に出席 享年103才
遺族
火入れ お別れです。
うちの母(上村 ヨシ)と2人の業績
横山勘兵衛子孫として
横山勘兵衛子孫として
高浜神社を再興した横山勘兵衛
2人で常夜灯2基と由緒書きを寄進
2人で常夜灯2基と由緒書きを寄進
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この日に、横山勘兵衛の資料を印刷して持参しました。それで
ここで 提案されました。「横山勘兵衛」に関することをまとめてくれと。
私が横山勘兵衛のことを色々聞いていましたので、郷土史をやっていることは知っていました。
それと、従兄弟の中で2番目に若いものですから、時間を見つけてやらねばなりません。
今までの資料を整理したいと思います。 この夏は 宮崎での調査になります。
本「高岡の碑」 の整理
「カンベイバカ」の墓のすべての拓本