2010年4月28日水曜日

春日郷土史

吹田市 春日郷土史

「春日をよくする会」発足20周年記念事業実行委員会  2002年 
大正時代に発行された物がある。

尿船のことが記載されている。
嘉永7年 下尿請ケ所井代銀取調帳
この資料には道・街道について、
阪急千里山駅が開通し、千里山が発展したので、
千里山に通ずる道の改修を行ったとされております、
ですが、道標の記載はありませんでした。
道しるべがあったことなど記載されていません。
残念です。

同じ下新田の郷土史 

下新田村郷土史

吹田市春日町青年部 昭和37年2月25日

図書館郷土の資料がたくさんありました。また、行って調べたいと思います。
また、忙しくなるぞ!  ファイト

吹田市立図書館



町歩き  若竹町  Ⅴ その後

一度江坂に寄り 再度 豊中へ

天井川 高川 

住吉神社  


裏山から見る 服部野球場


若竹町の西の端  この光景を反対側から見て興味を持ちました。
向こうに横切ってい道路は神刀根線のカーブ   左から A、B、C道とすると
A(最右)は若竹池(山の池)をぐるりとまわり、神刀根線・清河寺橋東交差点へ
赤いのはポストその前を通る人道道 B は人道 同様に西願寺橋東交差点へ 
車止めのあるCの道を下ると勝部寺内線になる。

反対側から見たら 上の道が神刀根線 車止めの真中は 上の写真のB 人道
一番右が勝部寺内線 上の写真のC道が高低差の大きい坂道がこの道に出くわす。
上の写真 Aは 下の写真の左上で神刀根線との交差点(西願寺橋東)に出る

天竺川に架かる西願寺橋東交差点は左上、ここは西願寺橋交差点 
左服部緑地 正面のマンションと勝部寺内線の間に 「人道」があります。

これから 城山町を探索
 
西願寺橋交差点 これを降りてさわ病院へ


興法寺の桜と観音寺

近くにある 大坂焔焇蔵場跡

2010年4月26日月曜日

池田市のスケッチ 世の中に1冊しかない 


池田市 冊子 その①
 
名も知らぬ いち郷土史家の郷土への思いをスケッチに
池田市 冊子 その①



池田市立中央公民館所蔵



2014/11/24 追加

  池田市教育委員会に寄贈 平成元年10月19日 産経新聞

  池田での展示会  2014年11月8日土曜日   池田市広報

  「池田の史跡」   2014年11月6日木曜日    池田市立図書館


2014/02/14 追加   一枚のスケッチ画から再調査

福西茂氏 池田   2014年1月11日土曜

福西茂氏 平野区の資料 2014年2月1日土曜日




以前の経過
豊中市 原図を保管  冊子あり  原図画集  画集
池田市 原図見つからず 冊子あり’(池田の史跡 スケッチ集) 冊子 その①、その②、 その③、 その④ 
能勢町 原図みつからず
東住吉区 ・・・・・平野区  ・・・・・・  大阪市立中央図書館で確認
わがまち平野のスケッチ  原絵 福西茂
   あれ以来 連絡がないというので 平野区は期待していたが、大阪市内は原画がないということになる。

町歩き  若竹町 Ⅳ


より大きな地図で 若竹町 を表示
服部緑地内の野球場から
新宮池のほとりに地蔵が祭ってありました。
土台の石にはなにやらもようがあるようです。
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新宮池の南 地蔵が
観音寺の道標

これを全て写真を撮りました。
岸龍山観音寺

源仲公御守本尊

行基菩薩御開基

下新田の道標の行方は?  曇り空ですが  探索に出かけます。

午後は「町案内人」とよなか・歴史と文化の会に参加のため出かけます。
高川の源流 吹田市「牛ガ首池」
春日町の北の端 左上新田 右南千里
左は 山口さんのタバコ屋さん ここで、話を聞きました。 右は唯一の寺「西照寺」
「千里山からの道は」「道標はなかった」
話によると
「道はもう少し上、上新田方向らしい、
道標は上新田と南千里のところにあった。
下には信号の所にあった。」どうなったかわからない。
郷土史家を訪ねました。不在で奥さんに対応してもらいました。
「わからない! お爺ちゃんが村長をしていた。」それでは資料があるのでは!
「豊中には熊野田を通って行った。」山口のおじいちゃんが云われたことを確認できます。
「下新田村郷土史」資料があるはずだ、図書館に問いただしてください。」 これ以上はむりです。
お礼を述べ、連絡先を伝えて帰りました。 
「下新田の道標」=「下の立石」について話を聞くことは出来ませんでした。

2010/4/25 吹田市立図書館で調べました。 資料「下新田村郷土史」吹田市春日町青年部 この本では、生活の様子、尿について、千里山への道の改修などが書かれていましたが、私が知りたい道・街道については確認できませんでした。
調べていたら、他の道標のことを別な資料で確認できました。
現存しない道標・一度は現れるがその後姿を消す。 
加賀真砂子先生の拓本あります。
樫切山の道標  博物館にありました。
東面  すぐ 山田・小川村
 左山田下村
西面 すぐ 茨木 富田
施主 高槻河内屋平兵ア家内
現在の樫切山交差点より40メートル東になる

2010年4月25日日曜日

歩く旅

ご一緒しましょ 4月20日  歩く旅 毎日新聞シリーズ始まる!  次回5月24日

  第1回 太子町 最古の街道・竹之内街道
   敏達・用明・推古・孝徳の天皇陵と聖徳太子の御陵がある。
   大道旧山本家住宅の下りに 太子町教育委員会の鍋島隆宏さんが解説されていました。
 私以前に下の写真のある太子町の地蔵のことで問い合わせをしました。

この「地蔵の溝」の件でお世話になった方です。
送信者
いろいろな資料を頂き、謎を解く手がかりを得ました。
あの節はお世話になりました。有難うございました。

 
   
    

2010年4月22日木曜日

京都宝厳院前

以前の写真
      2009年11月




八多町誌

神戸市北区八多町誌
最近の郷土史です。

新しく見つけられた道標も入っています。
p528の大作です。
新しい郷土史です。 2008年10月1日発行

2010年4月20日火曜日

京の道  「千両ケ辻」


「千両ケ辻」栄華の地  大宮通今出川
江戸時代「西陣問屋街」

現在の通り

2010年4月19日月曜日

京都の道標 

京都の道標 西院

立派な物です。
37×15×105
右側面  右上さかみち(?)
正面 あたごみち   5行にわたって表示されています。
西院村が立てた物です。





春日通り

道すがら 京都


京都「原谷苑」桜見学の後 歩きます。

下は京都市内 氷室道


橋本吉幸公司之碑

左はグランド、右は金閣寺
赤いポストの向こうに地蔵が

馬代通 この通りは雰囲気があります。
わら天神の交差点手前 西徳寺
表通りに神社があります。
見つけました。 役行者???

役行者像です。 

不動明王

原谷苑から大宮通今出川まで  帰宅まで20000歩
まだまだつづく

2010年4月14日水曜日

変貌する町並み  淡路  路地裏 地図掲載


延命地蔵

工事中 南側に祠が
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 2012/02/25  追加 作成途中
昔のことを思い出しながら地図作成  途中

より大きな地図で 淡路の地蔵 を表示