2015年9月23日水曜日

「横関の渡し」のコメント再掲・整理

***************** 横関村が存在する  2012年3月17日土曜日
コメントを頂きました。 有難うございます。
別なページに掲載させていただきましたが、ここにも掲載します。

「横関村が存在する」資料が見つかる 投稿

コメントがありました。

前から気になっていたのですが、横関村について...
 吹田市史第6巻史料編
174 過書方摂河村々渡船出入控え帳
 549頁の部分に「横関村 庄屋 ○○」
の記載があります。  
天明六年七月二十九日

 ご確認ください。     以上

有難うございます。  吹田市史第6巻史料編 で確認しました。 公文書 確かに、上記のように記載されています。
公文書から 「横関村」が出てきました。 単独名でなく 連名での登場ですので 確かなものです。
 横関村の存在です。   今まで、吹田で言われていた「横関村はない」という説を覆す物になりました。  横関村の存在 何処にあったのでしょうか!
うむ・・・・  横関村が存在するとは?
長柄村
横関村
川口村
成小路村

となります。 検討します。
成小路村 中国道より南側の大阪市内の小さい村が集合した村 

結論は 調べないとわかりません。 これまでの経緯
  
私が、このブログで調べた結果を公表しています。その根拠となる物は下記のとおりです。
最初は 「横関街道」、で「横関は何処にあるのですか?」 という疑問が始まりです。
江坂の交差点に蔵人 ありますが、昔、蔵人という村はあったが、現在はない。明治の地図では 蔵人の町並みが見られ、下の地図では「蔵人村」は、「江坂村の内蔵人村」になっているので、江坂村に統合されたのではないでしょうか。  ただ、「交差点名」、地名・蔵人は残っています。
さて 横関 です。

1.最初、いろんな人に問い合わせたが一般的に 「横関村」は地名にないというのが 吹田の人にとっては一般的です。  その他に大坂の人にも聞きましたが 横関という地名、横関村という村の存在もないといいうことでした。 

 そこで終わればいいのですが。 
 それなら、何故 「横関街道」と命名されているのかというのが次の問題です。
 簡単に「横関の渡し」からの命名となります。  
 でも、本当に横関の地名・村は存在しなかったのか! 明治の地図によると集落跡はみつからない。 消滅した村なのか

2.大阪市に問い合わせたが 「横関街道」について問合せ  横関村の存在は確認できなかった。
    横関村があった、なかった。ということは言及されていません。
    横関街道は「横関の渡し」から横関街道となったのが有力

3. 江戸幕府か作成し、それには街道が赤い線で表示されていて、村名、石高が表示された地図 には 
  よこぜき村は存在しない。
  国立公文書館所蔵 元禄摂津国絵図(1696~1702) 重要文化財
http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000944

今のところ 以上の結果から 横関村はなく、村名、地名を付ける街道が横関街道ではないこと。
銀山街道とか馬街道と同じく
堰の横を通る渡し「横関の渡し」から 横関街道となったのが 最有力です。

そこで 最初に吹田では 横関はない ということから調査しましたが 吹田市史に横関村が存在することになります。
  では、地図上では何処になるのでしょうか!



下記へアクセスしてみてください。
http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/Jecoh/detail/09061.djvu
横関渡しの一連の古文書が読めます。
所定のアプリをダウンロードすると djvu形式の文書が入手できます。

横関の名前のいわれはこの中の 23番と43番の文書に書かれています。
添付は23番 1782年のもの。

往古南方村濱村ニ■■■候■より
渡シ守リ候ニ付中ノ渡シと唱候■大坂
御陣の節右渡しの少し上ニ御関■■
候間より以来横関渡しと唱来り依の■

ということで...。

2つあわせると大坂の冬の陣の時、濱村と本庄村の間に堰を築き、淀川の水をせき止めた。
その時から中の渡しと呼んでいたのを、横関の渡しとなった。

雨予報 中止の連絡 9月の例会 ハイキング

9月の例会 ハイキング  能勢街道 十三界隈編 


明日の天気予報 雨

明日の降水確率 60%ですので、例に倣い、中止

雨男ではないが延期ということで
  天候不順ですね!

他の地域では
今度は高知市内が よく雨が降ります。
それも「どかあめ」  

 お日様が顔を出すのも少ない。
 作物ももう一つです。





ミスが多かった試合でしたね。  同じテンポでのパスがインターセプトされるなど、22:15 ~ 24:25
日本×スコットランド

吹田博に持ってきてもらいました。有難うございます。

すごい、見せていただきました。有難うございます。
今回の博物館だより 63号まで
バックナンバーです。


探していた物です。「博物館だより NO.14

マスダさんより頂きました。

「横堰渡し」謂われ・・・新資料  江坂の郷土史家 平塚正明さん 「江坂ウォッチング1」

吹田市立博物館から電話 9/30
 図書館から「博物館に来られる際はご連絡の上お出で下さい。」とのことでしたので、電話をすると担当者が展示の準備で外出中、別に急ぎませんから、来週でも再度電話します。「問い合わせがあったことをお伝えください」と伝言しました。
その間に、新しい情報が入りました、 そうこうしているうちに 博物館から電話がありました。
 「覚」 資料は書き写された物、情報が寄せられたので、マイクロフイルムであっても
  「濱村」が正解ですが、3文字の「横関村」と間違うわけがないので、これは、他の地区での「覚」を探す方が良いと思います。
  電話内容で、閲覧は必要ない旨、江戸の元禄の地図と明治の地図とで、「横関村」の存在はない。 「横関の渡し」の言い伝えが出てきた。 堰が出来、それまで、「中の渡し」と呼ばれたのを「堰の横を渡す= 横堰渡し」というようになったこと。これで十分
  そうゆうわけで結論は、私が云っていたことに落ち着きました。  めでたしめでたし!!


  
吹田図書館に行ってきました。 9/29 
 唯一 「横関村」の記銘が存在する  吹田市史の「横関村」に関して図書館にメールを出しましたが、返事がないので、南千里の図書館へ 以前の博物館からのメールをコピーし、吹田市史第6巻を持ち、カウンターへ   「原本を見たいが、何処に行けば見ることが出来るか!」  博物館に問い合わせ、見ることが可能と 博物館では「中央図書館に返事している。」ど二重の問い合わせになった模様である。 それで、長いこと待たされた。
  コピーできるかわからないが、原本が観れたら気が済む話です。 横関村・・・・の項目です。

記載の村名
 長栖村、横関村、川口村、成少路村、薭嶋村、野里村、下嶋村、一津屋村、江口村、吹田村、榎坂村、小曽根村、三屋村、佃村、大和田村

  
さらに詳しい情報を入手 2015/09/29
   大阪市立大学学術情報総合センター  から 入手
  「淀川横関渡船記録」





大事な契約書でしょ、横関の渡しのことにも関わらず、濱村・南方村となって、
「横関村」になっていない。
やはり、横関村は存在しないということになる。


完結編となります。

「横関の渡し」に関して、新しい情報の提供されました。

    以前のコメントはこちら

    その他「横関の渡し」「横関街道」に関すること

横関の名前のいわれはこの中の 23番と43番の文書に書かれています。
添付は23番 1782年のもの。

往古南方村濱村ニ■■■候■より
渡シ守リ候ニ付中ノ渡シと唱候■大坂
御陣の節右渡しの少し上ニ御関■■
候間より以来横関渡しと唱来り依の■
ということで...。
2つあわせると大坂の冬の陣の時、濱村と本庄村の間に堰を築き、淀川の水をせき止めた。
その時から「中の渡し」と呼んでいたのを、「横関の渡し」となった。
    
やりました! 平塚さん

元に収まったようです。 予想ははずれることもあるが、

今回は私の予想通り 的中 ばっちりでした。 めでたしめでたし。

有難うございました。

この項目 大阪市立中央図書館からもらった資料に追加してもらいたいので

今回も早い 大阪市の市立中央図書館 に報告しておきます。

もちろん、平塚 正明 
情報提供者は上村 和功と 9/24

もう一点 尿船のことで、「横関村・・・・」とあります、
唯一「横関村」の記載がある吹田市史の件
この記載が問題です、ここから「横関村」の存在がクローズアップしました。
大阪市史、東淀川区史等 大阪市の資料からは「横関村」の存在は出てきていません。
江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回作成されたが
国立公文書館に元禄の摂津の国が残っている。 その中にも「横関村」はない、
明治18年の仮装地図にも集落は見つかっていない。 

唯一の記載  
吹田市史第6巻史料編

174 過書方摂河村々渡船出入控え帳

 549頁の部分に「横関村 庄屋 ○○」

の記載があります。  

天明六年七月二十九日

「控え帳」の原本が見られないか! 今、吹田市中央図書館に問い合わせ中 9/25
9/30日 博物館から電話 



昨日に続き、今日も吹田博物館
1時間も前に行きました。 今日は、昨日よりもっと多いと思いましたが、もう一つ
くつろいでいると、 以前、横関街道で議論した方で、
そこで、「こんなことをやっています。」と渡された資料です。

江坂ウォッチング1   編 平塚 正明 さん
    


私が気になったのは このページ
「江戸時代のくらし3」  蔵人に高札場があった。

吹田図書館に寄贈された方が良いのではないですか!





2015年9月22日火曜日

うれしい悲鳴 追加追加の資料印刷  盛況の講演会 聴講者 ローカまで 

私もウェーブで紹介している講演会  
  このサイトで宣伝しています。

   何時も参加されている、郷土史会のメンバーも内容と例年であれば、余裕で聞くことが出来るのですが、既に席が満席、仕方なく、増設した椅子で
   机の間の通路まで椅子を・・・ ロビーまでになりました。

   明日はもっと増えるはずです。 私も行きますので、
   私が行った後、その後に吹田市立博物館に来てください。
   時間は 13:30以降に

講演者もビックリ 例年 3~40名の会が、講演者初めての満員御礼だそうです。
 宣伝しないと来ません。 一部の宣伝はこのサイトが行っています。
  ひらめいたときに、この会に行こう、 案内のサイトです。
   
 初めての快挙  何回も資料追加印刷  ご苦労さんです。
 この講演会で、 色んな人に会いました。     
  久しぶりの SELFの松森さんに会いました。 御元気でした。
 
さて、 明日の題材  歴史講座②
                                               

  「写真でみせます 吹田の古地図」

    講師/池田直子(当館学芸員)
9月23日(水曜・祝日) 14時00分~15時00分
秋季特別展では、日本国絵図や慶長十年摂津国絵図、吹田地域の村絵図、近代の地図や鳥瞰図など、古絵図・古地図を展示します。会期に先立ち、一足早く展示品を紹介します。

会場/当館講座室
定員/先着120名
   (事前申込不要。当日直接会場にお越しください。)
参加費/無料  

時間 13:56 満員です。 
明日は、もう少し早く満員御礼になるか!
講演開始 7分ずれ込む



館長もご満悦の挨拶でした。

探し物があります。

「博物館だより NO.14」 吹田市博物館発行を
お持ちの方は、コピーさせてください。

解決しました。 マスダさんがコピーをしてくださいました。

講演の案内
博物館へ行こう 吹田市立博物館 2015年9月13日日曜日

「みきハ京ミち ひだりハふしミみち」  追分の道標

東海道と伏見道との分岐・大津市の追分に立っていた道標です。
大津の追分では今はありません。碑2基ともありません。
53次Ⅱ 追分-瀬田の唐橋  2014年5月21日水曜日

有名な道標ですので、多くのサイトで取り上げられています。
色色々調べましたが、下で紹介されているのが分からいやすいと思います。

 追分 柳緑花紅碑  昭和29年、安土城のも紹介されている。

さて、この宝塚の道標は 

字の形は瓜二つです。こちらは 32センチあります。
年代的には古いと思われるが!
レプリカか! 石屋さんへ持ち込まれた物か 定かでない。

津市追分の道標?  他の資料を調べてみました。

   追分 柳緑花紅碑(摂取院内  こちらは、昭和29年、安土城のも紹介されている。

  

   的形道標クラブ 東海道の道標(1)  昭和29年

  

  京都市歴史資料館GA004 柳緑花紅【道標】 - 京都市 昭和29年

 
  大津歴史博物館 大津の歴史辞典より

  安土城考古博物館 周辺探索 安永9年(1780)刊行の「都名所図会」には紹介

  東海道五十七次<  「摂取院2代目   
  
別項 

京都市歴史資料館 京都のいしぶみデータベース 

************************************

追加 2 09/28

 宝塚では、京都に向かって 左が京都、 右が伏見
宝塚にあったのではないことが分かります。
宝塚市とがんこ亭に問い合わせ中です。
移築された物か、レプリカかは 今のところ分かりません。

表示からこの道標は 京都、伏見より 東側にあったことになります。 
さて、元の場所は何処でしょう!地図を開いたらわかりますよ!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皆さん この道標は何処に立っていたのでしょうか!
お分かりになりましたか!
それにしても彫も深く、見事な道標です。 ・・・・・追加 

当日の様子
食事に行きました、予感的中 石物がありました。
幅 32センチ  高さ160センチ
彫が深く、立派な道標です。



みぎハ京ミち ひだりハふしミみち

さてこの道標が立っていた場所はどこでしょうか!

ここは、兵庫県宝塚市「がんこ亭」にて現在所
これは、移築された物かレプリカかは不明ですが
元々立っていた場所・旧在所は何処になるでしょうか!


正面と左面に記載されていますが
後ろの面、右面は記載されておらず、面も荒く、文字かあったの削ったのかと思える。


11:30分を少し回ったころにがんこ亭へ
帰りには、待合室に2グループ ということで、席に案内されるとき
「90分でお願いしています。」一本勝負でした。



茶室もあります。

これは何
次は、平野に行ってみたいです。今年はがんこ亭ですね!
問い合わせ 宝塚市役所&がんこフーズサービス株式会社 に問い合わせ中

宝塚市教育委員会からの回答  2015年9月29日火曜日

がんこ 宝塚苑からの回答   2015年10月1日木曜日

 

石橋苑編   
 初詣④ 豊中稲荷神社 実施編 2015/01/14 最初のきっかけは


二条苑編
 源流さがしに 高瀬川 パート1 2015年6月7日日曜日 
 源流さがしに 高瀬川 パート2  6/14


宝塚苑 次は 平野編で行きましょうかね!


 東海道の追分にあった 道標がない
    「みぎ 京  左伏見」の



他に一基石物がありました。





   

2015年9月21日月曜日

吹田の煉瓦

吹田のレンガ造り 古い写真集

http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%90%B9%E7%94%B0+%E9%81%BA%E6%A7%8B&aq=-1&oq=&ei=UTF-8#mode%3Dsearch



























貴方の知っている! 吹田こんなところ!