2019年3月14日木曜日

立石 3基 上新田・江坂・野の仏  消失した道標 下新田への道 熊野田からの道

もう一つの写真 「上の立石」  

 豊中市教育センター所蔵の写真より
この写真には花立があります。


  上新田村の村の中央に立つ立石は 
       「豊中の史跡たずね描き」には 
   この道標を「上の立石」として紹介してあり、
   説明文の最後には下の立石のことがこのように書かれていて  
  「下の立石、造成工事中に持ち去られたのか、所在不明である。」とかかれている。
昭和58.1.26スケッチ

条件としては 大きさ 大きいこと 
横幅より奥行きが広いことが特徴で 同じ人または同じ講の設立と思われる。


野の仏の「上の立石」
その紹介には、「(馬頭観音像)右 かちをうし」だけで
他の面には記載がない、すなわち 道標30の後の2行の表記はされていない。
大きさは 17から20cm

 
表記の間違い 別な道標   「上新田西口道標」
  (東) 左大坂
 (南) 南無阿(弥陀仏)
 (西) 為万人(講衆中法界)
 (北) 右くま(のだ)  
  「上新田西口道標」の 2行が同じです。
 これは万人講が設置した道標で 大きさは14~15cmの角柱 
 
「立石」大きな道しるべとして紹介されているが、万人講大きな道標ではない。

失われた道標 30(「上の立石」)樫の木池の北東
混同して表記は
    「かちをうし」、
      「南無阿弥陀仏」、
      「為万人講衆中法界」 と掲載されていますが、
  万人講の道標は大きな道標ではないのでこれは「立石」ではない。
       箕面市では 2基「万人講」と呼ばれている。
       別な資料によると 表記が違う
              4基の万人講道標はこちら         

それから 道標がなくなりました。
豊中の文化財 道標編 の地図の一部を切り取りました。

失われた道標 28 「打越池の道標」打越池の南西
右 大坂   世話人 
左 下新田  大峰講中



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