2013年11月19日火曜日

「信仰道を巡る」 としまして 「勝尾寺街道と道標を訪ねて」 道標10基

 第2弾 「上新田探索」シニア自然大学校豊中支部案内(企画案)
 
 小野原にある 山田と上新田の分岐
小野原探索 山田・上新田、失った道標、相撲取りの墓
 
「信仰道を巡る」 としまして 「勝尾寺街道と道標を訪ねて」を企画しました。
   

期   日 12月10日(火曜日) 10時
案   内 上村 和功  携帯:090-7349-0809
集合場所 北急桃山台駅 後ろ改札口(売店前) 
途中から参加の方へ 旧上新田小学校で 10:30 千里中央から 15分
解散 阪急北千里 16:30 頃
持ち物   水筒、雨具、弁当 
追加持ち物 中央公園のジャンボローラー滑り台を利用の方は段ボールまたはプラスティックのお尻当てをご用意ください。お尻が熱くなりますので、服が変形するかもしれません。
     
     途中でコンビニに寄ります。

コース 桃山台駅 旧上新田小学校 上新田村 見つかった道標を含め5基 天神社
 
     中央体育館・中央公園・安場池( 昼食の予定)樫の木公園 桜並木 峠の茶屋跡
 今宮墓地 西国街道 新家・勝尾寺鳥居 一里塚跡 
小野原公園(道標) 泣き地蔵 笹川良一墓 北千里公園 北千里 
                            約8キロ

 勝尾寺への参拝道はいくつもありますが、今回は大阪からの最短ルートを探りながら、勝尾寺鳥居のある西国街道・新家までを探索し、帰りは、上新田の親村の山田への小野原街道にある道標を通り、上新田の脇道を通り北千里へ 約8キロのコースです。このコースでは道端に立つ見つけた道標を含め8個もの道標銀座にお目にかかります。 

 上新田は竹林で朝日新聞「日本百選」、「豊中百選」でしたが、今大開発が行われ、昔の面影が失われつつあります。 

より大きな 桃山台 上新田 を表示
やく2.3キロ
 
地図の下にリンクが張ってありますので 大きくしてください。 左側に名称、中央に地図が表示されます。
図中のポイントをクリックすると名称がでます。
北急桃山台駅 は全体地図で見てください。 上の地図の一番左下から説明 上新田の様子
      nitta_04.jpg
                              昭和47年の写真 「文化財ニュース豊中より」

上新田は 江戸初期に淀藩領山田村の豪農3名により下新田と開発された。それ以来増産増産で80石であった出来高が明治初年には605石であり、大きく成長したむらである。 江戸中期には「隠し田事件」が起こり、死亡者がでている。 同じころ、民が力をもち、心のよりどころとして、観音信仰・勝尾寺(西国33か所)への参拝者でにぎわう。
明治の市町村合併で下新田と合併し、三嶋郡新田村 昭和28年分離して豊中市へ下新田は春日町として吹田市へ 
旧新田小学校 大阪府
  この建物は、明治33年1900年に建てられたもの、木造建築で最古大阪府の文化財になっている。
  最初に立ったもの、後で建て増ししてある。100周年の航空写真によると、もう一つ校舎があって、その東側に運動場があった。 75歳以上の下新田の人は、この小学校に通っていた。 使用していたのは 昭和48年まで
  
見つかった道標 上新田の墓地  万人講は4基見つかっている。
 そのため、後の文字も読める。 また資料として 右 くまのだ おかまち としてわかった。
 万人講は多く存在していたようで、八幡市円福寺(だるま堂):鈴鹿峠の常夜灯は万人講
 この近くの万人講の道標は ここと、吹田江坂のスサノウノ尊:油かけ地蔵にある。
上新田御旅所
  天神社のおみこしは 午後ここから出発していた。
  
  祭りとしては、山田村の流れがある。  「おたび池」だった
共同井戸跡
大阪三里の道標 在所とは村があるということ。
  木製の案内板は 「五一会」の人たちが建てたもの五三年  また、「写真で見る 上新田」を出版
 
「右 か」の道標 
   現在の千里中央 南西にでる。 農作業を行うための道、春には箕面へ花見にいったとか、竹林の中で宴会が開かれた 裏面は 「上」 だけ、道路工事の毎に埋もれたらしい。

「さいてじ」の道標 豊中で一番古い道標
   天明元年 さいてじとは吹田の佐井寺:観音信仰 目の病気が治る
   裏面に 右 大坂 とある

色々な門構え
上新田で唯一のお寺「浄土真宗 新覚寺」
 
  もともとは 旧石蓮寺の興法寺の末寺だったが、浄土真宗本願寺派 
  明治6年 片山の連合小学校の分校として明治14頃までここで学んだ
天神社」、大きな地蔵
「千里のパワースポット 上新田天神社 千里の氏神様・千里の天神さん

  「本殿」 市指定有形文化財 1686年

  「とんど祭」 市指定無形民俗文化財 1/14日 火を持ち帰り、小豆粥を炊いて食べると、一年間無病息災で過ごせるという習慣があります。 見学記録 2013/01/14

  上新田は竹林で朝日新聞「日本百選」、豊中市のhpでも「とよなか百選」でしたが、

   今大開発が行われ、昔の面影が失われつつあります。 
 
 
「山口邸」旧山田邸 上新田の薬酒 かの有名な「日本外史」の著者:頼山陽もおと連れ、伊丹と行き来をしていたらしい。  この家には、頼山陽が命名した部屋「歳寒堂」の額があったが、現在は 岸部中西家にある。 、
徳林院の案内:徳本上人が訪れた場所
 由来 常光庵 開祖大阪市の呉服商の娘・小畠清順  本院は京都・知恩院内の「徳林寺」を移築、
 入口の碑は 徳本上人・徳本行者 享和元年(1801)から箕面勝尾寺松林庵13年間 箕面を去る1814年(文化11年) 文化八年勝尾寺法然八〇〇回忌を営まれ、「詣で来る者朝市の如し」と記され、多くの人が訪れる。粟生間谷西の碑:有名なのは独特の丸文字で書かれた徳本文字 「南無阿弥陀仏」の六字名号の掛け軸が伝えられている。その他全国に1000基以上の碑がある。

山田街道の分岐道標 


より大きな地図で 上新田の道標 勝尾寺街道 を表示   
 


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