2013年8月30日金曜日

八尾市文化財
  • 旧植田家住宅は、旧大和川主流である長瀬川左岸(旧大和川の左岸)にあり、大和川付替えによって開発された安中新田の「会所屋敷」の地を継承したものとみられます。
  • 建造物としては、主屋の他に道路に面し周囲を区切る表門とその右脇の土蔵と奥の主屋と接続する土蔵、控舎(番部屋)などがあります。
  • 『安中新田』の開発は宝永元年(1704年)の大和川付替え後ですから、会所としての「会所屋敷」の建物は、これ以降の建造物になります。
  • 主屋と土蔵一は、江戸時代後期のもので、主屋の土間部分は会所当時の姿を留めている可能性があります。表門と控舎は明治中期、土蔵二は大正後期に建てられたと考えられます。
  • 旧植田家住宅は、江戸時代の集落の成立とともに高く評価され、現在の歴史景観からみても貴重な建造物です。

堺市
 兒山(こやま)家は、家伝では中世にさかのぼる旧家で、家業の施薬に加え、江戸時代を通じ大庄屋として小出藩代官も勤めていました。この建物は、江戸時代後期に本家より分家し、通称「東兒山」と称されている住宅です。
 当家周辺は、堺市の中南部に位置し、急速に開発が進む本市内では数少ない田園風景が広がる一帯です。付近には寺社等の歴史的建造物が点在していますが、当家は今や市内では数少なくなった豪農の住宅建築として、重要なもののひとつです。

 庭に面した座敷二間の襖や床には、江戸時代後期の大阪画人 金子雪操(かねこせっそう)による山水画が描かれています。   金子雪操の絵 気比家にもある。

0 件のコメント: