2014年2月10日月曜日

また資料が 「世の中に1冊しかない」 東住吉区の福西茂氏 そこで新しい発見

東住吉区の史跡

大阪市中央図書館から借りました。
これこそ「世界に1冊しかない」
何度も 「大阪市から借りていますので 返却日までには 必ずカウンターまでお返しください。」

30年前の物ですので なかなか 何回かコピーしてあるので文字が薄くなっています。
全て手書きです。

平成3年1月4日が一番古く その年の10月2日ごろまで書かれたものです。

さて、資料はそろったが 
前回同様 道標を拾ってみます。

道標2基 東田辺 
       
 道標その①
   旧下高野街道の角に立っていたが、40年ほど前、道路整備の時当家に移建された。(1950年頃。) 下部欠損
     施主 大坂住人
     享保(1840)十一庚子四月
   右 住よし   さかい
   左 平野   八尾   久宝寺 ふるい(ち)   
  
 道標 その②
    元平野区平野南四丁目にあった辰己池(現 常磐会短大)の近くに立っていた。
    40年ほど前、道路整備の時当家に移建された。(1950年頃。)
    左 道明寺 ふぢい寺 大峰山上吉野道
    右 京  大坂道
    嘉永六年(1853) 壬癸四月 建    施主 平野□
    左 大坂 平野道
 
  
     
はりみちの道標① 針中野3-2
         写真あり
  正面    ☞ はりみち
  左側面  ☞ でんしゃのりば
  裏面          大正三年 四月   新吉 建之


はりみちの道標② 針中野3-3-1
         写真あり
   正面  ☞でんしゃのりば   ☜はりみち
   裏面  大正三年四月        新吉 建之


はりみちの道標③ 針中野3-2-1   上の絵の③は見つけることができなかった
  正面    なかの はりみち
  右側面  大正五年 一月   新吉 建之
            
   ※ 新吉 さん 中野鍼療院の 中野一氏の祖父である。

八尾街道の道標 と力石 中野2-7 財団法人平野区画整理記念会館
        写真あり

 東住吉高校の北、八尾街道の四っ辻に立っていたが、通行の自動車の接触により株が破損し、道路脇に横倒しになっていたので、近くの平野区画整理記念会館の玄関前の植え込みの中に移建された。
 (北面) 八尾街道 距奈良街道分岐
 (東面) 距 堺市元表 二里五丁三十九間
 (西面) 距 平野郷町元表十四丁五十六間
 (南面) 明治三十六年十二月建  大阪府


行基大橋と旧「天道の渡し」 矢田5-6
        
  行基橋は 昭和五三年架設  行基菩薩にあやかって命名され、全長二〇七メートル 幅20.5メートル 上流三五〇メートル程の所に架かっている「下高野橋」の狭い交通事情が改善された。
「下高野橋」の少し下流に渡しがあった。
  明治三〇年代に「下高野橋」がかかるまで、矢田と天美の間は「渡し」船で往来していた。 対岸の大和川南側には、休憩所もあったそうで、矢田近所の人は「天道(てんど)の渡し」と言っていた。
  大和川は、もとは、現在の藤井寺、柏原氏のあたりから八尾を経て、京橋あたりで淀川に合流していたが、流域の水害が激化したので元禄十六年(1703)に幕府は付け替えを決定翌年二月十五日に起工、 同年宝永元年十月十二日に竣工 今見るような流水始めた。
「天道(てんど)」のいわれは、川を流れてくる砂や石ころで、川床が周囲の平野より高くなった、「天井川」がなまったのではないかといわれている。


地蔵石仏道標 矢田6-4  賽ノ神神社
         右側の祠
 下高野街道沿いに建っている。
  矢田部落ではこの賽の守を「火の神さん」として崇めている。 毎年一月一五日には「とんど」の日で、六,七メートルもある青竹を何十本も立てて組み合わせ、しめ縄をその中に、さらに周囲にわらをくっつけて火をつけての「とんど祭り」は有名である。

  右 なかの ひらの
地蔵尊陽刻
   左 大坂 てんのうじ

  注意 この石物は、多分下高野街道の分岐点に立っていたのであろう。


今川会館西に立っていた道標 平野区平野1 東南工営所保管
        
  (東面)  右 大阪道  すぐ 北田辺天下茶屋築港  左 中野 南田辺 住吉
  (北面)     明治四十三年十月 設立
  (南面)     共融会
  (西面)  倒されたままになっているので確認できず。


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針中野探索

「はりみちの道標」ネーミング、けったいな道標です。
それで、興味を惹きました。それで調べてみると!
針中野駅のいわれを知りました。 面白いですね!


親柱の確認 まだ現存しているか!

鍼?中野探索 はりみち道標???


福西茂氏作
 豊中編 

10万ビュー 有難うございます。 私にとってはうれしいことですが・・・

 祝 10万件ビュー    2014/02/09  

このページへのアクセスは増えていない。????

下のグラフは 毎月の訪問者数の推移
  当初のころ2か月間は 訪問者は ゼロ なんと ゼロ でした。

  今 「吹田こんなところ!・・・」 
    情報収集を行っています。
    一度ご覧ください。


開始 2007年05月         0件
        06月     0件
                 07月  790件
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今日のページビュー
126
昨日のページビュー
79
先月のページビュー
7,079
全期間のページビュー履歴
100,039
自分のページビューを追跡しない
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吹田郷土史研究会 会則


吹田郷土史研究会会則

(総則)

第1条     この会は、「吹田郷土史研究会」と称し、事務局を次に置く。

吹田市山田東4丁目31番10号 竹田 純立方(電話)06-6877-8193

第2条     この会は、吹田市及びその周辺の歴史的風土を愛し、東アジアの歴史の流れのなかに郷土史の調査研究と文化財の探究保存につとめ、これに対する市民の認識を高めると共に、会員相互の友情と親睦をはかることを目的とする。

第3条     この会は、前条の目的を達成するために、調査、研究会、講演会、史料の収集及び展示、見学、出版、講師の派遣、そのほか必要な事業を行なう。

(組織)

第4条     この会は、第2条の目的に賛同する者をもって会員とする。

第5条     この会に次の役員を置く。

会長 1名、副会長 3名、常任幹事 若干名、会計 1名、会計監査1名

第6条     会長はこの会を主宰、これを代表する。副会長は会長を補佐し、会長事故ある時はその職務を代行する。幹事は会務を分担する。

第7条     役員の任期は2年間とし、再任を妨げない。

第8条     この会に学識経験者を顧問として委嘱することが出来る。

(会議)

第9条     この会はつぎの会議をもち、会長がこれを招集する。

・総会。年1回以上開催し、重要事項の承認ならびに決議を行なう。

・役員会。必要に応じ開催し、この会の運営に必要な事項を協議決定する。

・専門部会。必要に応じ専門事項を研究する。

(会計)

第10条    この会の経費は、会費、助成金、寄付金、その他をもってこれに当てる。

第11条    年間会費は会員1、000円とする。但し必要ある時は臨時会費を徴収する

ことが出来る。

第12条    この会の会計年度は毎年1月1日に始まり12月31日に終わる。 

(付則)

第13条    この会則の変更は、総会において出席者の3分の2以上の同意にもとづいて行なう。

2014年2月7日金曜日

ご迷惑をおかけします。 文化財保護課は忙しい 8%の影響? 



桜塚古墳群発掘調査 豊中警察署跡
大阪府教育委員会 文化財保護課
そうか 今 建築ラッシュだ 文化財保護課は忙しい


この黒いのは何でしょうか!





向こうに見えるのが御獅子塚古墳 その向こうには大塚古墳がある。

桜塚古墳群 明治時代36基あったらしい。

明治7年 大阪府摂津國豊島郡桜塚村壱目三拾六墳全図


2014年2月6日木曜日

平野区の道標:地蔵堂  福西茂氏のスケッチから マップから 写真は5枚

訪問者が少ないな町  多い町 1313ビュー 2018/05/01再掲 

1.国道25線三叉路の道標  加美西 2-1
           
 (正面) すぐ 柏原道明寺 奈良
       左 八尾信貴山瓢箪山
 (裏面)    大阪府

2.善正寺東の道標       加美鞍作1-8
                 
 善正寺東隣の子安地蔵堂の前に立っている
 (東面) 左 平野 大阪道
 (南面) 右 久實寺 八尾 信貴山
 (西面) 百度廻
 (北面) 天保六年■■四月  末久□□建

3.大念仏寺の道標          平野区平野上町1丁目7
               写真あり
 京都・大原三千院の近くの来迎院に立っていたのを当所に移し立てる
 (正面) 右 聖慶大師御廟(ごびょう) ビョウ ミョウ たまや みたまや
           音無滝 是ヨリ五丁
 注 聖応大師とは融通念仏宗の開創 良忍上人で 長承元年(1132)2月26日来迎院で示寂(じじゃく) 61歳  
 (裏面) 大正十三年建立

4.杭全神社参道の道標    平野上町2-7
             写真あり
 (西面) 熊野権現 祇園宮
 (北面) 右 大阪 寛政十二庚申歳暮 三月建立
 (東面) すぐ 天王寺 大さか
 (南面) ふぢゐ寺  大峰山上 かうや山
  現在この地点のすぐ北を国道二五戦が東西方向に通じており、道を隔てて杭全神社の鳥居が見える。
   平成二年三月一七日

5.右大さかミちの道標       平野本町1-5
               
  (正面) 左 ふちゐ寺 かしわら道
  (左面) 右 大さかのミち
  (右面) □□□□ 五月吉日
  平成2年4月1日
 
6.平野タンス屋前の道標    平野本町4-7
                写真あり
 元平野本町5-1に立っていた
 (北面) 左 ふぢゐ寺 大峰山上
 (東面) 左 なかの 住よし さかい  道
 (南面) 右 八尾 志紀山  道
 (西面) 安永八年己亥三月

7.全與寺境内の道標      平野本町4-12
                写真あり
 本堂の前に立っている。以前は当寺近くの商店街の角の本屋のそばに立っていた
 (西面) 右 さ山 高野山  すく 信貴山道
 (北面) 左 ふじ井寺 是より1丁東  道明寺乃辻右へ同所  道
 (東面) 右 天王寺 大さか   すく 住吉 さかひ 道
 (南面) 慶応二丙寅二月下旬建立1866

8.国道25線角の道標     平野東1-1
                 写真あり
 (西面) 右 ふぢいてら  大峰山上
 (北面) すぐ 道明寺   左 志ぎ山
 (南面) すぐ 玉つくり 左 天王寺 
 (東面) 弘化2年乙己四月1845

9.茶店「くろせ」前の道標      平野東1-8
                 
 (西面) 西 右 道明寺 富田林    左 天王寺 大阪
 (北面) 北 右 天王寺 大阪     左 八尾 法隆寺 郡山
 (南面) 南 右 八尾 法隆寺 郡山 左 天王寺 大阪
 (東面) 明治三十九年一月建設 大阪

10.まんどころ橋の石柱     平野東2
                 
 往時、東西に小川が流れていて、石橋がかかっていた。その橋は政所(まんどころ)といわれ、その遺構の石柱が一つ隅に残されている。 「まんどころ」と刻まれている。 北に行けば国道二十五線に出て、東は平野公園に達する。石柱のあたりは 往時は竹藪であった。

11.樋之尻橋の親柱              平野公園
                
  三十歩神社背後の土塁の上に2基立っている。
  昭和6年三月修築
  樋之尻橋         と刻されている。
 土塁と松山池は濠跡の名残で杭全神社東側の濠とそれぞれ現存する数少ない環濠集落のなごりである。

12.八尾街道の道標       平野西2
                 写真あり
 東住吉高校の北、八尾街道の四っ辻に立っていたが、通行の自動車の接触により株が破損し、道路脇に横倒しになっていたので、近くの平野区画整理記念会館の玄関前の植え込みの中に移建された。
 (北面) 八尾街道 距奈良街道分岐
 (東面) 距 堺市元表 二里五丁三十九間
 (西面) 距 平野郷町元表十四丁五十六間
 (南面) 明治三十六年十二月建  大阪府


13.喜連の道標
               
 喜連小学校の東南角の向かい側に木枠で囲まれた屋根つきの中に立っている
 (北面) (阿弥陀仏像) 右 すミよし  さかい
 (東面) すぐ 高野山ミち
 (南面) すぐ 大念仏寺 十八丁  四天王寺 一里半
(西面) 嘉永四年亥正月建之 中喜連 石橋辻市


14.大和川堤下の地蔵道標  瓜破7-1
                
 高野大橋東約三百メートルのところ 以前橋が架かっていた中高野街道の石段だけが残っている。その堤防下に、地蔵が陽刻され、道標を兼ねた石塔が立っている。
 (正面) 地蔵菩薩(陽刻) 右 くうや道  すぐ 志ぎ山なら  左 ひらの 大さか
 (右側面) 右 かしはら しぎ山   左 住吉 さかい
            かうや    しぎ
 (左側面) すぐ □□□山  □□山 (□は不明瞭であるが多分)
 (裏面) 剥離して紀年銘不明 多分江戸中期のころであろう。
 
15.道標を兼ねた常夜灯    長吉長原2-4
                 
  古市街道の栴檀の辻の地蔵から約十メートル余り北の三叉路の角に横倒しのまま放置されている。以前は、向かい側に常夜灯として立っていた。 その竿の部分の刻銘によると
   左 道明寺 葛井寺 大峰山上
   常夜燈 明治十五年五月立之
   右 □□□・・・・・  (かくれて 不明)

16.明治橋詰の道標      長吉川辺2
                   
 (南面) 右 柏原 信貴山   左 平野 大阪
 (東面) 明治四十五年三月建設  大阪府
 (西面) 右 葛井寺 道明寺 天神 誉田八幡




地蔵堂 これでいいでしょうか
   京の7口
   平野の13口とは!
1 ⑬-10市の口地蔵堂   平野市町3-7
2 ⑬-1馬場口地蔵堂   平野上町1-5
3 ⑬-2小馬場口地蔵堂  平野上町1-12
4 ⑬-泥堂口地蔵堂   平野上町2-1
5 ⑬-10社内入り口地蔵堂 平野上町2-9
6 ⑬-3田辺道西脇口地蔵堂 平野本町1-7
7 ⑬-4西脇口地蔵堂    平野本町4-2
8 ⑬-5堺口地蔵堂      平野本町4-4
9 ⑬-6流口地蔵堂      平野本町5-9
10 ⑬-7田畑口地蔵堂    平野東2-12
11 ⑬-8出屋敷口地蔵堂   平野東2-4
12 ⑬-樋ノ尻口地蔵堂   平野東2-11
13 北口地蔵堂      喜連2-7
14 西口地蔵堂      喜連2-7
15 南口地蔵堂      喜連4-7 なし
16 尻矢口地蔵堂     喜連6-1 なし
17 東口地蔵堂      喜連6-5  なし


  9番目は 樋ノ尻口地蔵堂か?
  
 11番 河骨池口が描かれていない!。   

平野区画整理記念会館なかで このマップ見つけました。
担当の方に このマップは何処に行けばあるか聞きましたが、
当館にもないそうです。
ぼけていますが。
13口名が分かるように写真を撮りました。