2013年7月19日金曜日

豊中の案内  「いぶき」からの案内

豊島体育館前から服部駅に向かいます。
この道路は 周りより幾分高くなっていますが これは天竺川の氾濫から守るため
「穂積村の輪中」堤防の一部です。
豊島小学校 100周年の記念碑があるが 創立は明治7年1874年で今年で138年となる
(蛍池小学校 明治6年 第一番小学校)
この東側校庭に 「妙見宮常夜灯道標」文政4年 立っていたのは能勢街道と吹田街道の分岐に立っていたものです。
この堤防をさらに進むと 駅にぶつかり道が無くなっている。もともとここは踏切があったが、ホームの延長で地下道になっている。(旧踏切名 穂積第一踏切  後 庄内まで穂積第六踏切まである。)  地下道をくぐる。
この道が 服部天神社にでる、
服部天神社  この項は他の資料日ゆだねます。
この前の道を南北に通るのが能勢街道である、
南下して 三国を目指します。T字路に出る 右に行くと「安楽寺」 そこの役行者像の道標がある。
役行者が箕面で修行中 安楽寺あたりで 白い煙が立つのが見え、訪れ 像を彫安置させる。
T字路を左に取り そのまま国道を渡り天竺川に行くと住吉神社山門がある。 住吉神社には大阪で一番古い能舞台がある、 また、この道は 小曽根を通り吹田への道でもあった、 また、このあたり「市場」の名称が残っており 大きな市を形成していた。その市は近くでは石橋、吹田の山田市場が地名として残っている。 江戸初期には無くなっている。
国道176の手前を右に折れる。その先は 内環の高架の左に斜めの道が見えるそれが能勢街道に続く この国道の交差点には昔 大きな石柱があったが今はない、
橋の欄干の跡もあるが 名称などはわからない。
内環の高架の手間前で 国道を渡る、稲津町には古い家並みが残っている、
途中振り返ると 参道であったのか 住吉神社鳥居のある参道はもう少し天竺川よりである、
そのまま進むと堤防にでるが、ここで2つ 左手のマンションの駐車場に地蔵が祭ってある。
もう一つ 左側の大きな木の下に「西南の役」で死亡した者の記念碑が立ったいる。
そのことの詳しいことは 元小学校校長 高市光男氏が公表し、その論文は愛媛大学歴史研究会の論文雑誌の巻頭を飾った。
堤防に出たら 後は 三国の渡しまで堤防を歩く、
堤防を上がったところから上流の対岸には 長島村の住吉神社の森が見える。
その堤防には 道標がある。移築されたものでしょう。
ここの分岐に道標があっても不思議ではないが 十三のJR貨物線手前まで道標は存在しない。














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