2010年4月1日木曜日

古い能勢街道  伊勢街道  

小曽根北側から、天竺川を渡り堤防を降りると
さわ病院に出くわす。
そこを右に取り、病院前の坂の道をとる。すぐに左手に墓地が




祠の仲には見事な地蔵がありました。

  これが 染香 の墓




塀の手前三叉路にある 古い道標です。
   名号板碑道標
  右 みのふ山、か□□  左り いけ。

旧能勢街道と箕面街道との分岐


通りすがりのおばあちゃんに聞きました。
「道標を調べているのですが、地蔵なんか知りませんか!能勢街道は」
「家の家の前 岡坂と言っていた。 その横に地蔵が待ってある。 主人が原田神社の宮司をしていたので色々聞いている。原田神社は何べんか火災にあっている。」
「この近くの地蔵は」
「ここいらはたくさんある、荒木の乱の時の死者の弔う地蔵が各家には必ず1基はある。下にもたくさん地蔵さんがあるでしょ。」
「地蔵さんは亡くなった人を弔うことですね。」

福杖講の道標については
「もともとあそこにはなかった、 いつの間にか置いてあった、」

「長興寺村はもともと天竺川の際にあって、洪水の被害を避けるため、この高台にみんな移ってきた。」
「このあたり、瓦焼きが多くあった。」

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